第5話 TKG
この世界で『人類』と言えば、いわゆる『人間』と呼ばれる種族が九割以上を占める。
とはいえ人間以外の種族も多数存在しており、その多くに『鬼』の名が充てられる。
例えば魚類や爬虫類のような牙を持つ種族は『牙鬼』と呼ばれ、紫や緑、橙などの鮮やかな色彩の瞳や毛を持つ種族は『色(し)鬼(き)』と呼ばれた。
だが正確にはそれは、『人間』社会での呼び名である。鬼と呼ばれる者たちからすればそれらは蔑称に他ならない。元々、『人間』たちと交わる以前は、どの種族も独自の社会や文化を持ち、自分たちを『人間』と当たり前のように呼んでいた。それがいつの間にか時代が流れ、国際的な社会が形成されるにつれて、少数派であるという理由によって区別という名の差別が行われるようになった。
鬼の名を充てられた種族たちは協調し、定着しかかった呼び名を変えようと働きかけてきた。例えば『牙鬼』は『牙(ブレ)持つ(ディ)者(ア)』、『色鬼』は『鮮やかなる(ヴィヴィディ)者(ア)』というように。
しかしその切なる想いは悪気なく彼らを鬼と呼ぶ『人間』の大多数に届くことはなく、今もなお蔑称は当然のように使われ続けている。
故にブレディアであるアシュラドが、姫をヴィヴィディアと呼んだことには、本人たちにしか解らないニュアンスが含まれている。少なくともパナラーニ姫は先ほどアシュラドを叩き伏せたときよりはずっと落ち着いた目を向けていた。
「だけど、ブレディアは……」
パナラーニがサイにぶら下がり脱力した格好のまま、瞳に疑問を浮かべる。
「『土地ごと消え失せ、滅びた』か?」口調に感慨はない。「俺以外は、事実そうだ」
パナラーニは「ほんとうに?」と言うように眉を僅かに潜める。アシュラドは指で口の端を広げ、歯を見せた。
「信じられねえか? ほら、この牙が証だ」
「……見たこと、ないから」
遠慮がちな声がする。その反応から、今なら冷静な言葉が届くとアシュラドは判断した。
「お前たちの顛末は、知ってる」
パナラーニの顔が強ばるが、逆上はしなかった。
「ヴィヴィディアは、お前が最後のひとりだと言われているな。少なくとも公式的には」
ヴィヴィディアの外見的な特徴が、その鮮やかな色彩の瞳や髪だというのは言うまでもない。もちろんそれらは彼ら自身にとっても大事なアイデンティティだ。
ただし彼らの能力的な最大の特徴は、肉体の強靱さにある。筋繊維の密度が『人間』とは桁違いで、一見細く見える者でも素手で岩を砕くことなど造作もない。跳躍すれば、誰でも自分の身長の一.五倍は跳べる。
だがその肉体を維持するためには大量のエネルギーがいる。つまり、日々の食事の量が膨大になるのであまり人口を増やせないという事情があった。繁殖力も『人間』に比べれば弱く、そういった背景から、ヴィヴィディアの国セルクリコは古くから他種族の移民を受け入れることで国の体裁を保ってきた。
結果だけ見れば、そのことが、ヴィヴィディアを滅ぼす原因になった、とも言える。
長い年月によって繁殖力の強い『人間』はセルクリコ内で人口の九割を占めるようになり、少数派となった純血のヴィヴィディアは貴族が中心ということもあって民衆との対立構造ができていった。王家がその顕在化に気付いたときにはもう遅く、『人間』はヴィヴィディアが不当に特権を独占していると主張し、排斥運動に乗り出していた。
『色鬼狩り』
と呼ばれたそれは国の各地で活発化し、いわれのない差別による断罪が執行された。当然ヴィヴィディアが黙っているはずもなく、国を取り戻そうと、王家を含む純血のヴィヴィディアが武装蜂起した。
もはや内乱へと発展したそれは、数で勝る『人間』と、個々の武力で勝るヴィヴィディアで拮抗し、結果、相打ちに近い形となった。戦が終わったとき、もはやそこに国はなかった。
セルクリコの第七王女であったパナラーニは、内乱が始まる少し前にサバラディグに友好の証、つまり人質として実質疎開させられていた。同じように国外へ退避した王族は他にもいたが、いずれも関わりを恐れた行き先の国によって強制送還後、没したとされている。
サバラディグに於いては、元々小さいころから交流のあった王子が、周囲の反対を押し切り、パナラーニの帰国を許さなかった。結果、パナラーニは唯一生存が確認できるヴィヴィディアとなり、引き替えに笑わない姫となった。それが一般には知られていない境遇である。
「さて姫よ。それを踏まえた上で俺の話を聞け」
「……え?」
「まさか同じ、一族最後の生き残りとして傷を舐め合いに来たとでも思ったか?」
パナラーニは無言で首を横に振る。
「俺はお前が何故笑わないのかを知りたかった。もし心が死んでいるなら、そっとしておくしかないと思っていた。だが、違った」
アシュラドは目線をパナラーニの高さに合わせ、息が触れそうなほど近付く。
「お前は、途方に暮れていたんだ」
パナラーニが短く息を呑む。アシュラドの顔が怖いから、というわけではない。
「戦から遠ざけられ、この国に守られ……その間に家族も仲間も、全て死んだ」
目を見開くパナラーニは、否定しない。目も逸らさず、噛み締めるように唇を引き結んでいる。アシュラドは背を向け、演説をするような仕草で、闘技場に響き渡る声を張った。
「共に戦う機会も与えられず、滅びてしまった事実を変えることもできん!
……そんな自分が、何事もなかったかのように安穏と生きる。
ましてや、笑う?
そんなことが許されるはずがねえ!」
アシュラドはそこで再度パナラーニの視線を捉える。
「……だろ?」
「う……」
呻き声が漏れる。パナラーニの紅い瞳が形を失いそうになるが、それを自らに許さない、というように歯を食いしばっている。
「ああ、そうだ。
笑わない姫は、笑えないんじゃない。笑いたくねえんだ。
この国の王家はその気持ちを汲まず、よかれと思ってこんな風に大仰にした。
お前はお前で、気遣われれば気遣われるほど申し訳なさと罪悪感でやめろとも言えねえ!
なんとも、滑稽じゃねえか?」
「ひ、姫様……わ、我々は……」
否定することもできず、ただ涙を堪え続けるパナラーニを見て、家臣たちは絶句する。
睨み合うように視線を交わすアシュラドとパナラーニを、家臣も、兵も、野次馬に過ぎなかったはずの民も、固唾を呑んで見守っていた。
先に変化したのは、紅い瞳だ。
堪え続けた涙が、コップから水が溢れるように流れ出した。それでもなお、ヴィヴィディアの姫は声を上げない。サイに両脇を抱えられているため頬を拭うこともできず、両目を見開き、唇を真一文字に閉ざし続ける。
わたしは泣いてなんていない、と示すように。
アシュラドがこれまでで一番の、含みのない笑顔を見せる。頬をくしゃりと歪ませ、目をほとんど閉じて……牙は剥き出しなのに、何故かあどけない少年のような印象を抱かせた。
「全てを取り戻せる可能性がある、と言ったらどうする?」
続いた言葉はするりと、まるで手品師のカードさばきのような滑らかさで放たれた。侵入されて初めて隙に気付いた警備兵のように、パナラーニの口がひとりでに開く。
「……なに?」
聞こえなかったのではない。聞こえたからこそ、訊き返さざるを得なかった。
アシュラドはひと差し指を立て、淡々と言葉を重ねる。
「『時をかける岩塩』という物語を知っているか?」
「……TKG」
「そう。若く失敗を繰り返す家政婦の主人公が、ある重要なゲストの来訪時、岩塩と間違えて毒性のある鉱物を料理に使い、ドジ殺してしまうブラックコメディだ。
職を失うという意味だけでなく、物理的にも首になりそうな窮地の中、彼女の前に『時の賢者』が現れる。彼女は時を遡る力を手に入れて過去をやり直すものの、ひとつ問題を解決するごとにまた違う問題が起き、結果、ゲストにどうしても岩塩料理を出すことができない。
それでもなお、何十回、何百回と過去に戻って問題を潰し、とうとう岩塩を……まあ、ネタバレはこのくらいにしておこう」
突然の話題転換にパナラーニは泣くのも忘れ、「それがなに?」という目になっている。
察しの悪い奴め、という感じでアシュラドが口の端を上げた。
「『時の賢者』は実在する」
そのひと言に、パナラーニが息を呑む。アシュラドは睨むような目で続けた。
「俺たちはそいつを見つけ出し、そして、過去をやり直す」
「……ぁ」
過去をやり直す。
そのひと言は乾いた砂に染み込む水のように、パナラーニの身体に染みてゆく。
「どうだ? 時を遡り、やり直すことができるなら……お前は、どうしたい?」
そう問われ、涙を呑み込むパナラーニの目が、丸くなる。
次に、ゆっくりと細められた。
今度は遠くを見るように焦点がずれる。
じわり、とまたそこから新しい涙が押し出された。
「…………たい」
漏れた言葉は、意図して出したものではない。
しかしだからこそ、自身の耳に届いて、他の誰のどんな言葉より、響いた。
「たすけ、たい」
嗚咽と共に絞り出した瞬間、パナラーニの顔は全力で歪む。
言ってはならないことを口走ったように、唇を固く閉じる。しかしもう、その程度では一度開いてしまった感情の蓋は閉じられない。
「ぁああっ……!」
見た目相応の幼さで、次々に漏れてくる思いは泣き声に変わる。
「おどう、ざん……っ、おが、ざん……にぃ! っねぇ……っ!」
なりふり構わず叫ぶ声が、空に響く。
パナラーニの口からは聞き取れない名前が幾つも飛び出し、途切れることがなかった。
サイがそっとパナラーニを地面に下ろし、アシュラドは『操作』を解いた。幼い姫が地面に座りながら顔も覆わず号泣する様を、家臣らは声も出せずに見ていた。
どのくらい時間が経ったのかを忘れるくらい泣いて……声がようやく落ち着いたころ、ただパナラーニの前に胡座を掻いて待っていたアシュラドが、その眼前に右手を差し出す。
まだ少ししゃくり上げるパナラーニが気付いて顔を上げると、見計らったように言った。
「俺たちと来るか? パナラーニ」
ふたりの目が合う。
潤む紅い瞳は、爬虫類のような感情の読み取りにくい眼球を、奥底まで覗き込む。
鼻をすすり、腕で目元をこすりつけ、細い深呼吸をして……それからもう一度アシュラドを真っ直ぐ見て、しゃっくり混じりにパナラーニは答えた。
「いかない」
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