第2話 ママンが先生と裸で組体操
「俺はサイ。サイ・トゥドゥーモと申します」
恭しく礼をした男は二メートルを超す巨漢で、盛り上がった手足の筋肉は本職が芸人などではないことを雄弁に語っていた。革のベストに膝丈の腰巻きという簡素な服装が、余計に肉体の特徴を際立たせている。覗く肌は日焼けしたように浅黒い。剃り上げられた頭には、天辺にまるで角のようなひと房だけの灰色の髪が螺旋状に捻られ、そそり立っていた。
真っ黒な色眼鏡を掛けており感情は読み取りにくいが、極めて生真面目な口調だった。
「俺は旅の商売人をしております。それというのも、実は多額の借金があるからでして」
続いて口にした金額に、家臣らがざわめく。サバラディグの国家予算にも等しい額だった。
会場となっているのは本来は闘技場である。天井はなく、青い空が覗いている。
姫は最も高い位置にある王家専用の席に座り、虚ろな目を向けている。周囲を儀礼用の武装をした兵が固め、片側の客席には文官を含む家臣たちがいる。逆側の、サイが背を向けている客席は国民に解放されており、野次馬で一杯だ。
硬い土の地面に仁王立ちしながら、サイは見上げる格好で姫に語る。
「何故そんな借金があるか。ひと言で言えば、ギャンブルが原因ということになるんでしょうな。しかし、賭けたのは俺ではありません。俺の友人です」
話の内容とは裏腹に、サイは余裕を持った、ゆったりとした喋り方だ。一体ここからどう笑いに繋げようとしているのか、引き込まれるように観客たちが身を乗り出す。
「彼女は行くあてのなかった俺を世話してくれた恩人で、当時居候させてもらってました。その彼女にとって、ギャンブルは趣味というか、もはや生活の一部だったんですな。そしてそれが成り立つくらい、強かった。カードもルーレットもサイコロも玉弾きも競馬も、彼女にとっては知っている未来を言い当てるのと同じでした。しかしそれがよくなかった。
彼女は、強過ぎたんです」
軽く息を吐き、首を小さく横に振る。
「あるとき彼女は勝利を確信した大勝負に負け、多額の借金を背負う羽目になります。賭場の胴元の前に引き立てられた彼女は『ギャンブルですぐに返す』と強がりましたが、胴元は許さず、強制労働で一生掛けて返してもらうと言いました。
その下卑た笑みを見て、彼女はようやく、自分が勝ち過ぎて胴元に目を付けられていたのだと気付きました。つまり彼女の負けは胴元が仕掛けたイカサマだったのです。
話を聞きつけた俺は胴元のところへ乗り込みました。そして言ったのです」
観客が息を呑むのを待つように一拍置いて、サイは再び口を開く。
「『借金を返したら、俺たちはこの街を出て行く』と。当然胴元は意味が解らないという顔をしましたが、俺は畳み掛けました。
『俺が身代わりになって働く。この身体だ、肉体労働なら彼女よりずっと効率よく働ける。その間に、彼女が他の街で金を稼いで、きっと借金を返す』
胴元は得心がいったという顔で『いいだろう』といやらしく笑いました。奴らにすればでっち上げた莫大な借金が返されることなど期待していなかったでしょうから、それが返される可能性を生むとともに、結果彼女が街からいなくなるのであれば言うことはありません。
それから、ごく短い時間だけ、胴元は俺と彼女をふたりにしてくれました。彼女は泣きそうな顔で『馬鹿』と俺をなじりました。『どうしてそこまでするの』と。
『こんなことは大したことじゃない。だってあんたの強さを俺は信じている。それに、一方的に助けてもらっている俺は、こんなことでもなければ伝えられなかったかもしれない』
『なにを……?』
呆然と、不思議そうに見上げてくる彼女の手を取って、俺は笑ってみせました。
『あなたを愛している、と』
そう告げた俺の手を硬く握り返し、それでも涙を堪えながら彼女は決意に満ちた目で真っ直ぐ見返してくれました。そして、ひと言だけ言ったのです。
『その返事は、次に会うときにさせてもらう』」
サイの、演じるように力の込められた声色に、一部の観客から感嘆が漏れる。感情移入を促すに十分なほどの迫真性があった。
「胴元が設定した期限は、一年でした。
俺は、過酷な環境の採掘現場で、来る日も来る日も働きました。鞭を打たれてもまともに睡眠を与えられなくても、食事を監視員に横取りされても、つらくはなかった。だって、毎日が厳しければ厳しいほど、彼女への愛を試されているような思いになれましたから」
観客の反応に呼応するように、サイの語り口には熱が宿っていく。
「そして一年後。いつもどおり働く俺のところに、胴元自らが足を運んできました。
胴元は部下に命じ、俺の足にはめられた枷を外しました。ああやっぱり、彼女はやり遂げたのだと俺は確信し、『彼女はどこに?』と尋ねました。胴元は言いました」
白熱していく口調に、観客たちの身体が前のめりになる。眉根を寄せて聞き入るところに、サイは冷や水を浴びせるように冷静な声で言った。
「『こっちが知りてえわ』」
あっけに取られた観客の感情をなぞるように、サイは当時の自分になって「『……え?』」と呟く。そしてひとりでふた役をこなす。
「『お前の借金、増えたぞ』
『は?』
『あの女、行く先々で借金こさえて、それを全部お前にツケて姿を消した。知ってるか知らんがお前、あの女と夫婦の登録をされてるぞ? 普通に逃げるだけなら想定内だが、ここまでとはな。到底お前が一生ここで働いても返せん額になった。聞けばあの女、他の国で有名な結婚詐欺師らしい』
『…………ええと』
俺は現実を認識できず、棒立ちになりました。なにか言おうとして、ようやく出たのは、
『なんで、俺の足枷を外したんです?』
でした。酷く乾いた目で、つまらなさそうに胴元は言いました。
『まともに働いてもどうせ返せねえから、お前があの女を捜して連れてこい』
というわけで、俺は強制労働からは解放され、定期的な監視を条件に旅へ出たのです」
そこで、溜息をつくように息を吐くと、観客もつられるように肩の力を抜いた。
もはや会場の空気はサイの手中にあると言っても過言ではない。決して派手ではない声と動作に、ほぼ全ての人間が注目している。それを知っているというように、サイは数秒溜め、敢えて注意を引いてからまた口を開いた。
「しかし最初に申し上げたとおり、俺は『旅の商売人』です。借金を返すためのね。
彼女を捜してはいないのか? もちろん探しています。
が、捕らえて胴元に突き出すつもりなど毛頭ありません」
そこでサイは観客をぐるりと見渡し、
「何故か? という顔をしていらっしゃいますね。その疑問への答えはひとつです」
姫の顔の上で視線を止め、おどけるように微笑んだ。
「俺が彼女を今も、信じているからです」
観客たちは、ぎょっとした。そう言い放ったサイの頬に、いつの間にか大量の涙が流れていたからである。途端に、サイの声に嗚咽が混じる。
「お、俺は……あ、あんな奴らの言うことなんてし、信じない。か、彼女はきっとお、俺が労働で死んだって伝えられて、や、自棄になったんだ。そうに違いない。だ、だから捜し出して再会したらい、言うんだ! あ、愛してるってぇ!」
先ほどまで空間を掌握していた雰囲気はあっさりぶち壊れ、まるで子どものようにしゃっくり混じりでガチ泣きするサイに、全観客が同情を向ける。
「なっ……なんだよその目は! 現実見ろって思ってんだろ! でも結婚詐欺師って言ってたけど、俺結婚は持ちかけられてないもんね! 勝手に庇って働いただけだもんね! 俺が愛してるって言ったから彼女も気を利かせて婚姻届を出してくれたんだ! きっとそうだハハ、ハハハハハチクショォオオウ!
笑いたければ笑えよ! こんな惨めな俺をよぉ! 親切にされてコロっと惚れちまって、いいように利用されてそれでもまだ信じてぇ俺を、笑えるもんなら笑ってみろよぉおおっ!」
静まり返る会場の中に、サイの自虐だけが響く。百パーセントドン引きの空気の中、家臣のひとりが「おい、つまみ出せ」と促し、武装した兵士ふたりが動く。
「な、なんだよ!」
サイが屈強な男ふたりに両脇を掴まれ、連行されていく。
「ちょ、ちょっと待てよ! 失格なら熱湯風呂だろ!? 俺が人生を暴露してまでネタにした結果をくれよ! 駄目なら駄目って言ってくれよぉおおっ!」
涙を撒き散らして絶叫しながら、サイの声が遠のいていく。
サイが話している間も今も、姫の表情は微動だにしていない。
完全に聞こえなくなってから、家臣のひとりが咳払いをして「次」と促した。
「……回を重ねると変なのが混じりますなあ」
「まったく。笑わせるのと笑われるのは根本的に違うのですが」
「趣旨を理解しておらんのではないか。確かに笑いには、苦笑や失笑、恐怖で笑う、みたいなのもあるがな」
「ふーむ。またおふれに条件を書き足さねばならんかなあ」
家臣たちが呟いていると、次の男が入ってきた。
「さて、次はちゃんとした、明るくしてくれるやつを期待しよう」
紳士然とした上品な口髭を生やした男が名乗り、「私はひとつ、小咄を」と軽く微笑んだ。
「とある王立学院小等部では、代々運動会で組体操を披露するのが伝統でした。しかし近年、そのアクロバティックな内容について保護者たちから危険だとクレームが入り、学院側も見直しを迫られていたんですな。しかしその年十一歳になるジョアン君は先輩達に憧れ、過去からずっと自分たちが組体操を披露できるときを心待ちにしていたのです。
ジョアン君は母親に言いました。
『ママン! 僕たちは組体操がやりたいんだ!』
『ジョアン。でも、危険なのよ』
『自分たちはやってるのに……ずるいよ大人ばっかり!』
『え? なにを言ってるのジョアン?』
『僕知ってるんだ。この前の深夜、学校でママンが先生と裸で組体そアウッ』」
言葉の途中で男が錐揉み状に回転しながら吹っ飛んだ。聴衆の意識がリセットされる。
どこからともなく跳んできた男が闘技場に下り立った瞬間、風もないのに小咄をしていた男が高く舞った。なにが起きたのか、その場の誰にも解らなかった。
「悪いが、邪魔するぞ」
現れた男は、年のころ十代後半か二十歳前後。細身ではあるが鍛えられた筋肉と常人より長い手足を持ち、タンクトップに七分丈のパンツにサンダルというラフな服装、しかしそこにマントを羽織り、両腕には木製の手甲を着け、腰には湾曲した刀を提げている。近所に出かける姿と旅姿がミックスされているような奇妙な格好だった。
だがそれが気にならないほど、視線を集めたのは顔の異様さだ。刺さりそうなほど逆立った長めの黒髪に、爬虫類を想起させる瞳孔が開いたような黒目、なにより裂けたように左右へ広がる口から覗く歯は、全てが鮫のように尖った牙だった。
「な、なんだお前は!?」
家臣のひとりが指を差す。男は目を細めて笑みを深めると、悠然と立った。
「俺は、アシュラド」
HWKを終わらせるのは、この男である。
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