ただしい過去のつかいかた

ヴァゴー

第1章 笑わない姫

第1話 笑わない姫と熱湯風呂

 とある国に、笑わない姫がいた。

 国の名はサバラディグ。各国の大都市を繋ぐ交通の要所から外れ、これと言った特産品も資源もない。だがそれだけに隣国の戦に巻き込まれることもなく、長く平和な時代が続いていた。

 台風などの自然災害に見舞われることも少なく、気候は温暖、小国ながら食糧自給率はほぼ百パーセントで、他国からは皮肉と憧憬を半分ずつ込められ『孤立した理想郷』と呼ばれることもあった。

 国民の多くはたまに訪れる旅人にも親切で、定住する者も少なくない。そういった元余所者に対しても、寛容な国民性があった。

 姫もまた、そういった者のひとりと言えるかもしれない。つい最近、わけあって他国からサバラディグの王家に受け入れられた。

「見たか、あの姫を」

「ああ見たとも。美姫というのはああいうのを言うんだな」

「いやいやそんなありきたりな表現では足りん。顔かたちが整っているだけじゃない」

「解っているさ。あの夕焼けに燃える鱗雲のように紅い瞳」

「髪もまた、旬を迎えた桃の実のように鮮やかだ」

「なにより幼く肉付きの薄い身体つきが、たまらん」

「お前、それは……」

 国民は世にも珍しい瞳と髪を持つ姫を、まるで人形のような美しさだと噂した。

 しかしその姫をつくりもののように見せている一番の要因は、表情と仕草である。

 姫は一切笑うことがなかった。それどころかいかなるときも上の空で、表情を動かすための筋肉が存在しないのではと疑われるほど、顔が動かない。たまにするまばたきがなければ、本当に人形と変わらないほどだ。

 おもてなしの精神を持つ王家は、姫をなんとか笑わせようとした。連日宴を開き、旅芸人を呼び寄せた。それでも姫は全く心を動かす様子はなかった。

「ここで諦めては、サバラディグ王家の名折れ」

 と王が言ったかどうかは解らないが、昔話に似たような物語があることを思い出し、国におふれを出した。

『姫を笑わせた者には、望むだけの褒美を与える』

 いかに小国であろうと、国家としての情報配信力はそれなりである。たちどころに噂は遠方まで届き、物見遊山の者や駄目元の無職など、会場の前には行列ができた。

 そして三日目で九割が冷やかしだと気付いた家臣団は、『姫を笑わせる会』通称HWK緊急対策会議を開いた。

「なにかペナルティを設けるべきでしょう」

「そういえば昔話でもそうだったはず。どんなのでしたっけ?」

「『首を刎ねる』となっていますね」

「だが、芸が受けなければ死ぬ、というのはやり過ぎではないか?」

「見ようによっては、姫のせいでひとが死ぬことになるので、気を病まれるやも」

「というか、王家とてこれで殺したらさすがに人権侵害で他国から非難されるでしょう」

「では……『生爪を剥がす』というのはいかがかな?」

「なるほど妙案。安易な挑戦者を弾けるし、ひとり二十回までという回数制限も作れますな」

「いや普通に拷問だからそれ。見てて笑えん。『本人は悲惨だが周りは笑える』というものがいいのではないか?」

「……ふうむ、言われてみれば。だがなにをすれば」

「それなら私に、いい案があるぞ」

 というわけで翌日から、

『姫が笑わなかった場合、熱湯風呂の刑に処す』

 という一文がおふれに追加された。これによって挑戦者は減り、中には熱湯風呂のリアクション芸で実質二度目の挑戦を行う真の芸人も現れた。家来たちは彼らの芸を見て大いに笑うようになったが、相変わらず死んだ魚以上に光の差さない姫の目に、変化はなかった。

 そしてそれは、十日経っても二十日経っても……家来達が熱湯風呂に飽きて、ペナルティに『灼熱汁一気飲み』『五個のうちひとつだけ激辛饅頭』などのバリエーションが加わっても変わらなかった。

 だがひとりの男が現れたある日、HWKは、突如終止符を打たれることになる。

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