第10話 私は絶対に臭くない。絶対に。絶対とは、絶対なのだ。

 王子様が白馬にも乗らずに来たのは、まるで財布を忘れた主婦かの様な間抜けさがあるが、その間抜けさが無いのはヒーローと言われるゆえんなのかも知れない。


 豪快で、鏡に反射された太陽の光が眩しく、そして鬱陶しい。


「誰だと言ったんだ! そんな事は聞いていない! ガラスを割っての迷惑行為を弁償しろ!」


「そうでゲス! 迷惑料と慰謝料を含めた金額を言い値で払うでゲス!」


 それはどっちも同じ意味ではないでしょうか。


「クルエル……、どうして私がここにいるとわかったの?」


「ここが臭いと思ったからだ、カムルの匂いがした」


「え!? 私が!? 嘘でしょ!?」


「カムルを解放してもらおうか、さもなくばどうなるかわからんぞ」


「はっはっは! やってみればいい、……二対一で勝てるのならな」


「ねぇ!? 私そんなに臭い!? ねぇゲスオ! 私って臭かったの!?」


「触るな、臭いでゲス」


「えぇ!? うぅ……、そんな酷い……」


「密本はこの俺が許さない! 何故ならそれは、俺がヒーローとなる男だからだ! 行くぞ、密本集団ラバデー!」


 そこから怒涛の原因追求が始まった。私は毎日お風呂には入っているし、シャンプーも良い香りの物を選んで使用している。歯磨きだって勿論毎日しているし、洗顔や爪切りだって欠かさない。顔にニキビが出来ようものなら徹底的に治療に取り掛かるし、毎朝出す物は出している、衣類だって穴が開いているのなら縫って塞ぐし、洗濯も洗剤から柔軟剤にまで拘り古着にさせない様にどれも大切に着ている。そんな私のどこに臭い要素があるでしょうか、そんな私がどうして臭いと言えるのでしょうか。人の道を歩んで来て十六年の周期を迎えた今の今まで臭い言われたためしが無いし、小学生の頃通りすがりのおじさんに良い匂いだねと言われたのだからそれこそが臭くないと言える証拠なのだ。


 この事から私が定説とするのは、私は断じて良い匂いのする無垢な女の子だと言う事なのです。この説に反論があるのなら挙手をお願いしたい。ただちにお願いしたい。無いと言う事は同意と取ってもよろしいでしょうか、よろしいですね、それではこれにて法廷を締め括りたいと思います。二度とこの話はしません。今すぐ退去。即刻退去。


 原因の追究に一分を要していた間、クルエルはどうなったかと言うと。


「くそ……っ! 二対一とは卑怯な……っ!」


 私と同じ被害者が増えていた。


「クルエル……、あなたどうしたの……」


「剣さえあれば……! くそ! 剣が無いと俺はヒーローになれないのか……っ!」


「なれないのかって、わかっていてどうして持って来なかったのよ! ……あっ、そうか……」


 その剣は私が折ったのだと直ぐに思い出した。故意では無いにしろ、秘めたる力が暴走してしまい剣を乾麺みたいな強度にしてしまった。その結果、剣が衝撃に耐え切れず折れた。私の肌が固いのではない、剣が脆くなったのだ。間違い無い。


「この男、どうやってガラスを割ったのか疑問になるくらい弱かったな……」


「こいつも一緒に拷問の錆にしてくれるでゲス」


 クルエルが思った以上の上を行く弱さだった。かかり行く火の粉は振り払わんとでもしようかと言う服装をしていながら、その実見掛け倒しも良いところだった。その身に付けた髑髏の装飾の様に中身がからっぽな男らしい、助けに来てくれた時は「あらあらまぁまぁ」と関心もした物だが、あらあらまぁまぁ損。返して頂きたい。


 結果更に状況を悪くしただけで何もしていないクルエルに、私は何と言葉を掛けるべきだろうか。

「カムル、こいつらを燃やしてくれ。ほら、本を燃やしたあれで」


「本当に何しに来たのよあなたは……」


 挙句他人便りと来た。初めて絶望とは何なのかを知った。


「いけると思ったんだけどな、さすがに二人は無理だった。……卑怯な奴らだぜ!」


「ゲスオ一人に完封負けしていた様だけど、……うん、見なかった事にしてあげる」


 これからどうしようかと思考を巡らせていた。とは言っても私達は、腕を縛られた状態で椅子に座らされているこの状況を打開出来る方法なんてあるのだろうか。足が縛られていないのは助かっている点だけれど、このまま走って逃げた所で連れ戻されるのが関の山。最悪逆撫でして暴力に出る可能性もある、痛いのは嫌だ。台所に運良くナイフでもあれば脅しに使えるかもしれないが、……いやそれならそれをクルエルに持たせればワンチャンスあるのでは。刃渡りは短いけれど剣と言い張れなくも無い。こうなったら頭突きでどうにかするしか……。


 ヂリリリリーン。ヂリリリリーン。


「……何この音」


「アニキ、電話でゲス」


「ちっ、新聞は取らないって言ってんだろうが……。ゲスオ、ここは任せたぞ」


「了解でゲス。ガツンと言ってやってくだせぇ」


 電話があるなんてこの世界も結構発達しているのね。何て思っている場合では無い、謎の奥に消えて行き、残ったのはこの下っ端だけ。正に好機。千載一遇のこの機会逃がしてなるものですか。


「クルエル、走ってあいつに体当たりをかまして」


「ヒーローは体当たりなんかしない、無理だ。それに服が汚れる」


「私の知っているヒーローは勇敢に敵に立ち向かう格好良い男の事を言うのだけれど、クルエルはどうなのかしらね。なりたいものに目を背けて横ばかり見て、それではいずれ足を踏み外して川に落ちるだけよ」


「勇敢に立ち向かう格好良い男がヒーロー……」


「時には身を粉にする事を恐れない、それは素晴らしい事だと思わない?」


「……なるほど、一理ある」


「私、ギャンブルって強いのよ。……さぁその身を粉にして行きなさい!」


「うぉおおおおおおおお!!!」


 私の合図と同時にクルエルが走って行った。そのままゲスオにぶつかり、かなり良い体当たりをかましていた。意表を突かれたのか衝撃でクルエルと一緒に床に倒れこみ、隙を作る事に成功した。これで私は一瞬だけ自由の身になれる、向かう先は台所、ではなく――、外。


「クルエル! 私が助けを呼んで来るからもう少し粘ってて!」


「何!? 俺を置いて行く気か!」


「助けると言ったのよ! 今、凄い格好良いよ!」


「あ、そう?」


 チンパンジーと足し算対決をして勝つ方が簡単な思考を持っている所は若干心配になるけれど、そのお蔭でこうして逃げれる事は感謝しなければならない。私を庇って自分を犠牲にする男の事を、私は一生忘れはしない。花は手向けて上げるからね。


 さぁ、この扉をくぐれば私の勝利なのだから、悠然と、気高く気を持って行きましょう。ドアノブに腕で押し開ければユートピアが私をま……。


 それを見た時、血の気がさぁっと引いていくのを感じた。


「に、握るタイプの、ドアノブだって言うの……?」


 掴んで下に倒すタイプではなく、丸い握るタイプのノブがドアに付いていた。いつもならこんなもの二秒後には忘れて気にも留めない存在の筈なのに、今はどうしてかこんなに動揺してしまっている。この酸っぱい気持ちは恋かしら。違いますね、これは焦りですね。


 だって腕を後ろで縛られていて、握る事が出来ないのですからこれは参りましたね。いやぁどうしたものか、タックルでこのドア壊れたりしないかしら。それは駄目、か弱い私がそんな事するなんて、女としての弱さを捨てればその先はプロレスラーになる道しか残っていないのよ。心を強く持って私。


「何を、しているかなぁお嬢さん?」


 リングネームを考えている最中に、肩をつかまれた。それは電話を終えて戻って来た一人の訪問者。


「あ……、こんにちはアニキさん……、お電話はもうよろしいのです……?」


「よろしいね、間違い電話だったから」


「それははた迷惑な話ですね。は、は、は」


「その椅子に戻れ」


「……スケベ本を集める変態め」


「それが男だ」


「くぅ……っ! けだものよ、男なんてけだものなのよ……っ!」


 敗因、ドアノブが丸かったから。


 こんな情けない理由で一大チャンスを見逃すお馬鹿さんは誰かと問われれば、答えることは出来ない。

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