アナログ放送 -バレンタイン-
ここは、カフェ
様々な職種の人々が一息つきに来る場所。
そんなカフェの看板店員である篠崎信乃は、カウンターに頬杖をついて大きなため息をついていた。
客入れ時である昼のピークを前に、店内は嵐の前の静けさで誰もいない。
箱型のテレビだけがうるさく、一人で騒いでいる。
そんなテレビから「バレンタイン特集~!」などという声が聞こえてきた。
篠崎はまたため息をつく。
見かねたマスターが声をかけようとしたが、店の扉が開いて見慣れた顔が入ってきたのでやめた。
「篠崎君……ホラ、お客様だよ」
「いらっしゃいまーせー……」
完全に気の抜けた声で出迎える。
「おいおい何だよ、そのやる気のなさは」
白衣を着た高校生のような風貌な男に、呆れた目を向けられる。
「あー……どーも……。今日も博士は小さいですねー……」
「てめぇ……次の実験のモルモットにしてやろうか……」
身長のことを言われて、彼は篠崎をにらんだ。
「それで? 何をそんなに暗い顔をしているんだ?」
「聞いてくれます? ──マスター。珈琲をお願いします」
「いや……仕事しろよ……」
店員のくせにカウンター席に座る篠崎。
仕方がないので博士は隣に座った。
「もうすぐバレンタインですよね」
「バレンタイン? あぁ……今週だな。お前なら望まなくとも大量に貰えるだろうに。――ま! 俺には敵わないだろうけどな!」
最後の一言だけは無視される。
「どれだけ沢山チョコを貰えても、本当に好きな人から貰えなきゃ意味がない……」
そんな篠崎のつぶやきを聞いて、瞬時に何のことか悟る。
しかし、あえて相手は誰だとか野暮なことは聞かなかった。
博士は篠崎のこの手の話は散々耳にしたり目にしたりしていたので、本人の口から聞くのが嫌だった。
けれども、もう後には引けない。
「どうしたら本命の人に愛の告白付きでチョコが貰えるんですかね?」
「お前が本当に欲しいのは愛の告白なのか、チョコなのかどっちなんだ」
「そりゃあどっちもですよ」
男相手にそんなもん求めんじゃねーよ!
という言葉を博士は呑み込んだ。
「……その本命の相手とやらは脈アリなのか?」
相手は誰だかわかっていたが、何も知らないふりをして尋ねた。
「……バレンタインにチョコ下さいって言ったら『死ね』って言われて殴られました……」
「……そうか……」
それしか言うことができなかった。
これ以上どうしたらいいものかと困り果てているところへ、別の客がやってきた。
その顔を見て、助かった!と、博士は安心する。
が、入ってきたその中年の男の表情は暗く、定位置となっているテーブル席に座るなり大きなため息をついて、煙草を咥えた。
「――おいおいおい! おっさんまでそんな暗い顔しちゃって! 一体どうなってるんだよ! 今日は!」
博士は即座にそちらに飛びついた。
「あぁ……博士……いたんだ……」
「いたよ!! それよりもさ! あいつを何とかしてくれよ! 俺じゃあ手に負えねぇよ!」
カウンター席で哀愁を漂わせている店員を指さし、必死に訴えかける。
「……しのちゃんがどうしたの?」
「バレンタインがどうのこうのって……」
「……バレンタイン?」
中年男はなぜかその言葉に反応し、そして大きく煙を吐いた。
「バレンタイン……本当……煩わしい行事だよね……はぁ……」
「!? おっさん!? しっかりしろ! どうしてそんなに落ち込むんだ!!?」
気のせいか、店の空気がどんどん悪くなっていく。
マスターが窓を開けた。
「こんにちはぁ~……」
さらに扉が開いて、金髪の若者が入ってくる。
「おぉ! ちょうどいい所へ! 助けてくれよ。俺じゃあもうどうすることも……って。何でお前まで暗いの?」
浮かない顔の金髪を見て、嫌な予感がした。
「博士さん……バレンタインって……何なんですかね……?」
「え……バレンタイン……」
予感は的中した。
「バ……バレンタインが……どうした……?」
「織笠君に冗談で……チョコ下さいって言ったら、死ねって言われたんです……冗談なのに……ひどい……」
両手で顔を覆う金髪。
「そりゃお前……今のあいつにそんな浮かれた行事のことを話題にしたらダメだろ……ピリピリしてるってぇのに……」
その時の彼の顔が目に浮かんできそうだった。
「それでもひどくないっすかぁ!!」
「知らねぇよ……」
一番どうでもよかった。
「涼太君……わかるよ、その気持ち……」
無視しようと思ったのに、そんな金髪に賛同する者がいた。
篠崎だった。
「わかってくれますか……! 篠崎さん……!」
「あぁ……痛いほどわかるよ……! 涼太君……!」
手を取り合い、二人は頷き合っている。
バカは放っておこう……と、博士は今度こそ二人を無視してマスターに昼食をオーダーした。
そして虚ろな目で燃え尽きかかっている煙草を咥えた中年男の前に座った。
「……で。おっさんもバレンタインで悩まされているのか」
「……まーね……。すごく憂欝だ……」
この年の男がバレンタインごときに何をそんな気分になるのかが、全くわからなかった。
「……そんなに欲しいのか……」
「……ちょっと。やめてよ。そんなんじゃないから」
離婚したばかりの男を哀れみをこめた目で見ると、にらまれてしまった。
「どうせ博士にはおじさんの苦労なんてわからないさ……」
ため息混じりのその言葉にカチンとくる。
「ですよね……。博士さんに俺たちの気持ちなんてわからないですよね……」
「すみません……話聞けとか言っちゃって……」
どいつもこいつも、いちいち癪に障る言い方である。
「ケッ! 勝手に言ってろ!」
博士は自分だけ仲間外れにされているような気分になり、拗ねた。
そして問題のバレンタイン当日。
Trioleには篠崎のファンが殺到。
仕事どころではなくなった。
毎年のことなので、常連客達はあえてこの日は店にやって来ない。
店を閉める頃には、篠崎は色んな意味で疲れ果てていた。
勤務が終わり帰ろうと店を出ると、出待ちしていた女性たちに捕まった。
そんな彼女たちを上手く言いくるめ、一人帰路に着く……が、彼の足は自宅とは反対の方向へと向いていた。
閑静な住宅街を進んで行き、表れたのは一軒の洋菓子店。
店内の電気はとっくに消えているのに、それでも近づいていってしまう。
「さすがにもう帰ってるよな……」
大人しく諦めて帰ろうと、元来た道の方へ体を向ける。
すると、何やら人の声がしたような気がした。
真っ先に目に付いたのは、店の横の薄暗い路地。
一応従業員出入り口となっている所だ。
篠崎はこっそり物陰に身を隠しながら顔をのぞかせる。
「――!」
目に映った光景に、声を上げそうになる。
慌てて自分の口をふさぎ、ゆっくりと元の位置に戻った。
「……私、神宮寺さんのことが好きです」
そんな声が聞こえてきた。
声の主である女の方は後ろ姿しか見えなかったが、おそらく洋菓子店の従業員の一人だろう。
心臓が……バクバク言っている。
どうして……こういう可能性もあるということを、全く考えていなかったのだろうか。
もし……あの人が彼女の告白にOKしてしまったら。
そう思うと、この場に立っていることができなくて、篠崎は走り出した。
逃げ込んだのは近くの公園。近頃は遊具がどんどん撤去されて、さみしさが増していっていた。
「……風邪ひくぞ」
ベンチでうなだれていると、聞き覚えのある声がして、顔をあげた。
マフラーを口元までぐるぐる巻きにした、博士に負けず劣らずの童顔な男がそこにいた。
「あれ……何で……」
思わずそんな言葉がこぼれる。
言ってから、しまったと気が付く。
しかし、相手の方は気にしていないようだった。
「今年もお疲れ様。去年より貰ってる量多いんじゃないのか?」
篠崎の荷物を見て、彼は言う。
色々聞きたいことがあるのに、その質問への回答すらできない。
「……さっきのは断ったから」
「……え……?」
あまりにも小さすぎて、聞き逃してしまいそうだったが篠崎はしっかりと聞きとっていた。
「見てたんだろ。バレてないとでも思ったか」
幽霊でも見るかのような目で見たら、彼は顔をしかめた。
「まったく……。笑わせるよな。仕事に支障が出るといけないからという名目で、職場恋愛禁止にしたのに……肝心の俺がまさか告られるとはな」
場を和ませるために言ったのかもしれなかったが、篠崎の表情は変わらないままだった。
「……とにかく。そういうことだから」
思っていたリアクションをしてもらえず、居心地が悪くなったのか、彼は篠崎に背を向けた。
悪いことをしてしまったな……と、気が付いたのはその数秒たってからだった。
「……あの人、結構な古株ですよね……」
後ろ姿だけだったが、誰だかは何となくわかっていた。
「あぁ……。だから少しだけショックだった。……信用してたのに……」
彼が何を言いたいのかはわかった。
彼ほど真剣に仕事に打ち込む人なら……尚更そのショックは大きいだろう。
わかってはいるが……篠崎に気のきいた励ましの言葉など思いつくはずもなかった。
「でもいいんだ。彼女も真面目にいつも通り働くって言ってたから。彼女ならきっと大丈夫だろう」
篠崎はそれを聞いて喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
今しがた彼がそう言ったのに、また自分が繰り返してどうするんだ。
けれども、自分と彼にはない強い繋がりが彼らにはあるような気がして、いてもたってもいられない衝動に襲われる。
醜い嫉妬だと、我ながら思う。
どうしようか。
せっかく会えたけれど、このまま挨拶をして帰ってしまおうか……。
一人で悶々とそんなことを考えていると、膝の上に何かが落ちてきた。
シンプルな、小さな箱。
手に取ると、僅かな重みが感じられた。
まさか、これって。
「やめろ。そんな目で見るな」
顔をあげると、すぐに目をそらされた。
「こ、これ……どうしたんですか……?」
「作ったんだよ! 自分で! 悪いかよ!」
自分で作れるのにわざわざ買うとかありえねー! と言っているが、篠崎の耳には届いていなかった。
じわじわと緩んでくる頬。
ほんの数秒前まではあんなに落ち込んでいたのに……単純である。
「さ……さぁ……俺は帰ろうかな……寒いし……」
この場からすぐさま立ち去りたいと言わんばかりの様子で、彼は歩きだす。
「葉月さん!!」
篠崎は立ち上がって叫ぶように彼の名を呼んだ。
「俺、葉月さんのことが好きです!」
「……それはもう聞き飽きた」
「本当は葉月さんだって俺のこと、好きなんじゃないですか!?」
「はぁ!?」
さすがに振り向いた。
「ふざけんな! 誰がいつそんなことを言った!?」
「だって! あれだけ嫌がっていたのに、それでも俺の為にチョコを……! しかも手作り……!」
篠崎がそう言った途端、彼の目が白けたものになった。
「言っておくけど……それ、お前だけの為に作ったわけではないからな……」
「え? ツンデレ発言ですか?」
「死ね」
一秒の間もなかった。
「俺、毎年バレンタインの日には色んな人にチョコを作ってあげてるんだよ。店の人たちにはもちろん、お世話になった人とか……。まぁお歳暮的な。」
せっかくの浮かれた気分が、一気に落下した。
「うぅ……いいんだ……。葉月さんが俺に何かをくれたという事実さえあれば……それがお歳暮でもあろうと……」
再びベンチに座ってうなだれる。
「お前、甘いのは嫌いだろ。だから、うんと甘くしてやったぞ。味わって食べろよ」
「わぁ……なんて素敵な嫌がらせ……それでも食べますけどね……」
魂が抜けたようになっている篠崎を見て、満足気なご様子で今度こそ帰ろうとまた彼は前に進み始めた。
ひどいなぁ……本当……
そんなところも好きだけど……
と、篠崎はその後ろ姿を見ながら思う。
俺が苦手だってわかってて、わざわざ甘くするなんて……
……ん?
篠崎はもう一度手元の箱を見た。
他の人にも作ったとはいえ、これだけはさらに甘くするために俺専用に作ったってこと?
ただの妄想にしかすぎないかもしれないが……もしそうだとしたら……
顔が熱くなるのを感じた。
「は……葉月さん!!」
呼びとめると、不機嫌そうないつもの顔でこちらを見た。
「一緒に帰りましょう!」
「……だから。お前と俺の家は真反対の所にあるって言ってるだろーが」
「じゃあ家まで送ります!」
「いらん!」
拒否されるが、無理やり隣に並んで歩く。
その足取りは、とても軽やかだった。
このチョコは、俺のことだけを考えて作られた物だと思っていてもいいですよね?
アナログ放送 ホタテ @souji_2012
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