吸血鬼はピザを置いて去る
どこもかしこも、コスプレをしている人ばかりだった。
こっちは大事な時期だというのに、学内も何やら騒がしい。
いつから日本人は、ハロウィン=コスプレなどという風習を取り入れるようになったのか。
どうせなら静かに、自分の見てないところで騒いでほしいものだ。
……と、大学院試験を控えている青年は心の中でぶつくさ文句を言うのだった。
今日はとても学内で勉強などできそうにない。
場所を変えよう。
青年は大学を出て、とある場所へと向かった。
きっとあそこなら、こんなハロウィンの喧騒とは無縁だろう。
期待した通り、行きつけのカフェは昼のピークも過ぎ、ガランとしていた。
「いらっしゃい、織笠君」
出迎えてくれたのは、カフェのイケメンと評判の店員だった。
マスターは相変わらず静かに珈琲の豆を挽いている。
「……篠崎さんはいつも通りなんですね」
水とメニューを出してくれた店員に向かって、青年は言った。
「もしかしてハロウィンのことを言ってる? さすがにうちではああいうどんちゃん騒ぎはやらないよ……。ここに来るお客さんはどちらかと言えば、そういう騒ぎを嫌ってるでしょ」
まさに自分のことである。
「織笠君はもうすぐ試験だもんね。ゆっくり勉強していきなよ」
言われなくともその気満々だったので、少しドキッとしてしまった。
それでもお言葉に甘えて……と思いながら、青年はノートを開いたのだった。
しばらくの間は静かで、珈琲の香りが漂う中集中して勉強ができたが、そうもいかないときがやってきてしまった。
他の客がやって来たこと自体は気にならなかったが、やって来た人物に問題があった。
「つっかれたぁ〜休憩休憩〜」
聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには吸血鬼……のコスプレをした男がいた。
「おわっ!? 涼太君!? どうしたの、その格好」
店員が驚きの声を上げる。
「バイト先がハロウィンだからって張り切っちゃって……エリアマネージャーに黙ってキャンペーンとかやりだしちゃったんっすよ」
「なるほどね。似合ってるじゃん。博士は? フランケンシュタイン博士のコスプレですか?」
店員は、吸血鬼の後ろにいた小柄で童顔の白衣を着た人物に尋ねた。
「いや……俺はいつも通りの格好なんだけど……」
ところどころ汚れているせいで、それっぽく見えなくもない。
「お! チーッス! 織笠君! 勉強中っすか? 相席いいっすか?」
「勉強中とわかった上で相席してくんのかよ!」
誰もいいとは言っていないのに、吸血鬼と博士はそれぞれ青年の前と横の席を占領してきた。
せっかくの集中タイムが虚しくも終わりを告げたのだった。
「わざわざここまで来たのに……」
「まぁまぁそう言うなって、和音ェ。時には息抜きも必要だぞ〜。特にお前みたいな真面目君はなぁ」
博士がニヤニヤしながら青年を肘で突いた。
「織笠君もパーッと今日一日くらいはじけちゃいましょ! 俺みたいにコスプレして!」
「死んでも嫌だ……」
目の前にいる人間は、このカフェが存在しなければ一生関わることのなかったであろう人種だ。
というかむしろ関わりたくないタイプである。
「和音〜そういうのはよくないぞ〜。教える側の人間として言わせてもらうがな。今のお前は根を詰め過ぎている。少しは息抜きも必要だぞ」
「っ……」
わかりました。と、素直に受け止めて頷いていればいいものの、それができなかった。
「焦ったら余計に手につかなくなるって。時期が近づいてる今こそ、ドーンと構えるべきっすよね」
「そーそー! わかってるじゃないか〜吸血鬼君〜そういうことだぞ〜」
呑気に笑いあう二人。
青年は唇を噛み締めた。
「そんなに心配しなくとも、織笠君なら大丈夫っすよ。超頑張ってるし」
その瞬間、青年の中で何かが切れた。
「――知ったような口を聞くなよッッ!」
机を叩いて立ち上がる。
元々も静かだった店内が、さらに静まり返る。
聞こえるのは、箱型テレビから流れる音楽だけ。
何やってんだ、俺。
すげぇかっこ悪い。
我に返り、そう思えるようになった瞬間。
青年は羞恥のあまり店を飛び出した。
「織笠君!」
「和音ぇ!」
店員と博士が呼び止めるが、無視して全力で走った。
店の入口で、見知った人とすれ違ったが、その人の呼びかけにも答えなかった。
「おい……一体何事だ」
煙草をくわえた強面の男が、青年と入れ違いでカフェにやって来た。
「俺が怒らせちゃったんすよ」
吸血鬼が困ったように笑った。
「怒らせたって……どう見てもそんなレベルじゃなかったが……つーかお前、その格好、何」
「バイト先の悪ノリっすよ。さぁて」
よっこらしょっと、吸血鬼は立ち上がり、
「荷物、届けてあげないと」
机に残ったままの勉強道具などをかき集め始めた。
「おい……大丈夫か、涼太。俺が行こうか?」
博士が心配気に彼を見上げる。
「大丈夫っすよ。ついでに謝ってくるんで」
「謝るっつったって、お前は何も悪いことなんて……」
「俺が悪いんです」
吸血鬼は博士の言葉を遮った。
「無責任なことを言った、俺が悪いから」
最悪だ。死ねるものなら今すぐ死にたい。
カフェを飛び出した青年は、自宅である学生マンションの自室でうずくまっていた。
みんながいる前で、あんな子ども染みた態度を取ってしまった。
八つ当たりだ。あれは八つ当たりだ。
どうしよう。
情けなくてもう外に出たくない。
ただひたすら自己嫌悪に陥っていた。
博士の言う通り、煮詰めすぎて過敏になりすぎていた。
それで、年下のあいつに、つい。
後悔の念が頭を過ぎったそのとき、ピンポーンとインターホンが鳴り響いた。
一体誰だろうか。
しかし、今は出る気になれない。
悪いが居留守を使おう……
「すいませーん。ご注文のピザと忘れ物を届けに来ましたー」
「!?」
聞き覚えのある声だった。
悪いとは思っていても、今は会いたくない相手だ。
「ピザでーす。……あ。鍵開いてるから入っちゃいまーす」
不法侵入だろ、それ。
そんなツッコミもできないまま、ピザ屋の侵入を許してしまった。
「受け取りのサインお願いしまーす」
「……別に頼んでねぇし……」
ピザの香りが部屋中に漂うが、青年はうずくまったまま顔をあげようとしなかった。
「今日はハロウィンキャンペーンなので、おまけでもう一枚つけちゃいまーす」
「一人でそんなに食べれるかよ……」
「コスプレ配達員には、お菓子をくれないとイタズラしちゃいまーす」
いちいち答えるのも面倒になってきた。
「あれ? 何もくれないの? イタズラしちゃうぞー」
無視する。
「じゃあ、イタズラの代わりにさ」
黙っていると、かなりの近距離で声が聞こえた。
「謝らせてください」
「……!」
一瞬、顔を上げそうになったが、やめた。
膝に顔を埋めたまま、耳元で聞こえる声を聞く。
「無責任なこと言って、ごめんなさい。俺の中では織笠君のこと、知った気でいました。織笠君を怒らせたくて言ったわけじゃないことは、わかってください」
当たり前だ。
そんなこと、わかっている。
そう言いたくても、その一言が出てこなかった。
「でも俺、本当に織笠君なら大丈夫と思っているから。だって、やりたいことを語ってくれた織笠君は……」
その先、彼が何を言いたかったのかはわからなかった。
全て言い終える前に彼は、青年から離れていった。
「ま、待って! 俺も謝りたいんだ――っ……!」
慌ててそう言い、顔を上げたが。
あの吸血鬼の姿はどこにもなく、二枚のピザがテーブルの上で良い香りを放っているだけだった。
それ以降、青年はあのカフェでも彼の姿を見かけることはなくなった。
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