12月27日(金) それぞれの年末・菊池詩音編

 補習も終わって、部活も休みになって、平日にもかかわらず外に出る必要がないことを自覚した私は、いよいよ年の瀬が近づいているのを感じました。


 開けられた窓からは湿り気のある凍えた風が吹きさらし、しかし、漂う空気はとても乾いたもので、触れた肌や唇をカサつかせます。


 保湿クリームも、リップクリームも使っているのに……。

 そんな愚痴とも言えない呟きを音に発することなく心の中で吐露し、パンパンに膨れ上がったゴミ袋の口を閉じれば、一息ついたとばかりにパンパンと手を叩きました。


 もういくつ寝れば、いよいよお正月。

 その準備としてどこの家庭でも行われるのであろう大掃除は、もちろん私の家でも当たり前のように敢行されており、その手始めにと今日は自室の片付けに勤しんでいます。


 けれど、それも半ば終わり。

 自己評価ではありますが元々そんなに散らかしていなかったということもあり、細々とした物の場所を整えたり、この一年の間で増えた物のうち不必要だと感じた諸々をゴミ袋に詰めていれば、あっという間に完了です。


 とはいえ、時間は意外と進んでいるもの。

 壁に掛けてある時計をチラと覗き見てみれば、すでに正午を過ぎていました。


 換気のためにと家全体の窓が開けられているため、吹き抜けのように流れ通る風は私の火照った体を冷やし、今後の予定を冷静に思案させてくれます。


 取り敢えずはお昼を食べて、それからお母さんに残りの掃除箇所を聞いて……などと考えを巡らせていると、テーブルに置かれていたスマホが自らを震わせて連絡の到来を告げました。


「誰だろ…………――って、えっ!?」


 開いてビックリ。

 差出人も、その内容も、全く予想だにしていなかったもので危うくスマホを落とすところでした。


「詩音ー。お昼、どうす――」


「――お母さん、ごめん! ちょっと出かける用事ができちゃった」


 昼食の意見を聞きに来たのであろうお母さんの言葉を遮って、私は口早にそう答えます。

 だって、急がなきゃ。ただ着替えるだけが女の子の準備ではないですから、彼を待たせるわけにはいきません。


「そう……それなら、いってらっしゃい」


 背後から届く声。

 その声に追いつかれないように、私は綺麗に様変わりしている家の中を駆け回りました。



 ♦ ♦ ♦



「急に呼んでごめんね。もしかして、忙しかった?」


 彼から指定された場所は、自宅近くの小さなカフェ。

 個人経営らしく、とても落ち着いた雰囲気を漂わせており、時期のせいも相まってか人も少なく、穏やかで静かな空気が流れていました。


 そんな中で、早速とばかりに紡がれる謝罪を前に、私は首を横に振ります。


「うぅん……そんなことないから気にしないで。でも……いきなりどうしたの?」


 けれど、意外だったことには変わりありません。

 故に、何か大変で急な用事なのか――と尋ねてみれば、目の前に座る畔上翔真くんは注文したコーヒーで口を濡らしていました。


「いや、そんなに大したことではないんだけどね……」


 普段通りの屹然とした立ち居振る舞い。

 しかし、発せられる言葉はそうでもないようで、珍しくも釈然としない様子を見せます。


「年が明けてすぐ――夜中なんだけど、もし良かったら一緒に初詣に行かないかな?」


「えっ…………?」


 今、何て……?


 そんな態度から紡がれる発言内容は思ってもみないもので、つい無意味な音が口から漏れました。

 ちゃんと聞こえていて、しっかりと届いているのに受け止めきれず、心の中のみではありますが思わず聞き返してしまいます。


「だ、大丈夫!」


 ですが、それも束の間、我に返った私はすぐに返事をしました。


「……だから、その……よろしくお願いします」


 逸る気持ちを抑えきれず、勢いづいた言葉を恥じるように段々と尻すぼみになりながらも、それでも確かに頷きました。


「うん。こちらこそ、よろしくね」


 一方で、返す答酬と笑みは世界を照らす太陽のよう。

 眩しすぎて直視できず、私は話題と視線を同時にそらします。


「そ、それで……どこの神社に行くつもりなの? 初詣をしに行くような大きな神社は、この辺にはなかったと思うけど……」


 発言の通り、近くには数畳分ほどの敷地面積しかない――いわゆる地元の小さな神社があるくらいです。

 そこで初詣……というのは少し想像がつかないのですが、少し遠出をして香椎の方まで行くつもりなのでしょうか?


「一応、筥崎宮はこざきぐうに行こうと思ってる。……ただ、終電の関係でお参りした後は始発までどこかでやり過ごさないといけないんだけど……それも含めて詩音さんは大丈夫?」


「えっ…………?」


 そ、それはつまり、巷によく聞く『朝帰り』というものでは……!?


 平静を取り戻すために振った話題から思いもよらぬ発言が飛び出し、まさに本末転倒。

 一瞬で思考回路はショートし、発生した熱は行き場を失って顔にまで広がります。…………熱い。


「あー……やっぱり厳しいよね?」


「そ、そんなことない……と思う! だ、大丈夫……うん。わたし、いく」


 しかし、これはまたとないチャンスでもあります。

 年始から、それも夜中から朝までの長時間を一緒に出歩こう、とそう誘ってくれているのですから。


 普段から人を誘うどころか、人からの誘いにも乗らない翔真くんがこんなことをするなんて……。

 考えられる理由は一つしかありません。


 単純で明快。当たり前で朝飯前。

 女子なら誰もが華麗に解いてみせる得意問題。


 今や、据え膳食わぬは人の恥なのです……!


 そう、なぜなら――。


「それなら、良かった。じゃあ、そらにも連絡しておくね」


 ――なぜなら、二人きりじゃないから。


 ですよねー……。

 知ってました……知ってましたとも。


 人から好意を持たれやすい翔真くんが、これまでに交友関係に対する問題を抱えてこなかったのは偏に、異性との距離感をちゃんと測っていたからに他なりません。

 そのため、今回のような行動に出るときは必ずどこかに予防線を引いているはずなのです。


 でも……それでも、そうだと良いなと願っていた私がいました。

 何か特別に思ってくれて、だから誰にも内緒でこっそりと約束をしに来てくれて、少し離れた場所で朝まで――なんて、そんな風に考えてしまうのは私がまだ女の子だからでしょうか。


 小休憩にと引き寄せたカップはすでに冷たくなっています。

 ティースプーンで中の液体をひと混ぜし、口に付けてみても期待した温もりはありません。


「……よし、と」


 そんな折、スマホに触れていた翔真くんの口から言葉が漏れました。蔵敷くん達への連絡が済んだのでしょう。


「それにしても、ごめんね詩音さん。わざわざ呼び出して。今更だけど、忙しくなかった?」


 私と同様に頼んでいたコーヒーを喉に通すと、翔真くんはそう語りかけてくれます。


 用が済んだあとに繰り広げられる世間話。

 または謝辞であり、礼儀を弁えた社交辞令。


「うぅん。そんなことはなかった、けど……」


「けど…………?」


 要するに、なんてこともなければ取り留めもない単なる雑談なのですが、それ故に私の頭にも他愛のない疑問がひとつ浮かんでしまいました。


「けど……それなら、メッセージで聞けば良かったんじゃ……?」


 もちろん、私としては待ち合わせをして、出会って、顔を合わせて話をした方が嬉しいですし役得です。


 ただ、皆で出掛ける予定を立てる際は、その大体を学校内で済ませますし、そうでなくてもメッセージアプリのグループ機能を使うことが多いはず。

 そうでないのは何か重大な相談があったからでは……と思っていたのですが違ったようですし、わざわざ会いに来てくれた理由は何なのでしょうか。


「えっと……たまたまコッチの方に用事があったから、どうせならって連絡したんだ」


 ――などというニュアンスを込めて呟いてみれば、対する翔真くんは困ったような焦ったような、そんな苦笑を浮かべました。


「……けど、言われてみればそうだね。すっかり失念してた。わざわざごめん」


「う、うぅん……そんな、全っ然大丈夫だよ!」


 その反応が、とてもズルい。

 もしかしたら――なんて、そんな淡い願いがまた生まれてしまいそうで。


 ……やっぱり、訂正します。

 どうやら、私はまだ女の子なようです。

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彼と彼女の365日 如月ゆう @srance1024

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