7月8日(月) 朝補習
生と死は繰り返し、星は廻り、世界は流転する。
そうして時は巡り、一週間という節目が再び訪れた今日。月曜日。
登校時間の関係上、今にも死にそうな顔で席に座る出勤途中のサラリーマンの姿を眺めることもなく学校へとやって来た俺たちは、教室に着くなりすでに登校していた友達を相手に愚痴をこぼす。
「はぁー、朝補習だるい……」
「…………眠い」
とはいえ、こんなものは日常茶飯事。
すっかり慣れた様子の翔真と菊池さんは、机に鞄を置くなりグッタリと伏せる俺たちを生暖かい目で見守るだけであった。
また、俺たちも俺たちでまともな返答を望んでいるわけでもなく、ただ聞いてくれるだけでスッキリするため勝手に話を続ける。
「大体さ、朝補習って何だよ。……知ってたか? これ、九州――主に福岡以外では実施されてないらしいぞ」
「…………ふざけている」
そんな風に怒りをあらわにしていれば、二人はこの事実を初めて知ったようで素直に驚いてくれた。
「へぇー……全国区だと思ってた」
「わ、私も……」
「だよな。俺も全国区だったら我慢したよ。皆も頑張ってるんだし、俺だけ文句言うのも違うな……ってさ」
だけど、違った。
九州以外の三十九都道府県は勉強している我らを差し置いて、ぬくぬくと気持ちのいい朝を迎えているのだ。
ふざけるな。毎朝五時半に起きる辛さが貴様らに分かるか?
基本カリキュラムが七時限授業といいながら毎日八時限だぞ! 何ならウチの学科は放課後に強制自習を一時間しないといけないから実質九時限授業だ、コノヤロー!
……まぁ、部活組は特に関係ないんだけどな。
いわば、その自習時間は帰宅部の部活動みたいなやつで、部活のある奴らは抜け出せるし。
「でも、じゃあ何でわざわざ朝補習なんて取り入れたんだろうな」
――と、そう心の中で荒ぶっていれば、翔真が最もな疑問を口に出した。
しかし、その答えは考えるまでもなく思い付く、単純な理由である。
「そんなもの、学力向上のために決まってるだろ。……ま、それでも福岡の学力は低いままだけどな」
「…………時間の無駄」
「そ、それは……確かに意味がない、かも……」
実態を知れば、誰もが呆れるシステム。
それでいて、この朝補習の参加は強制であり、欠席しようものなら完全登校より前に来ても遅刻扱いになるのだから、もはや舐めているとしか言い様がなかった。
「先生たちも無駄に早く来なきゃいけないだけだし、害悪だよなぁ」
ただでさえ、学校の先生は大変だと聞く。
そうでありながら朝まで駆り出されるなんて、ブラックという次元ではもはや語れないのではないだろうか。
そう心配していれば、そっと肩に何かが触れる感覚を覚える。
「そうなんです……。すごく大変なんですよ、そらくん」
見上げれば、いつの間にか先生が背後に立っていた。
一体いつから聞いていたのか、その表情には負の感情しか見て取れない。普段のにこやかな先生からは考えられない様相である。
「英語なんて毎週三限もあるから授業の準備だけで忙しいですし、その上テストなどを作って、クラスの事務もして、かといっても安月給ですし、朝は早くて、なのに時間外手当は付かなくて、部活も出張手当も安くて…………」
そして、それを聞いた一同はドン引きである。
その衝撃的な内容もそうなのだけど、それ以上に赤裸々に裏事情を暴露する大人の姿に冷や汗が止まらない。
「いや……あの、先生……?」
「す、少し落ち着きませんか?」
翔真と菊池さんも心配げ……というか、ハラハラとした様子で宥めているけど、全く効果はないようで――。
「もう疲れました……。癒しが欲しいです」
ニギニギと俺の肩を揉みつつ、不貞腐れる先生。
そして、一連の流れを見聞きしていたクラスメイトらは「何とかしろ」と俺に視線で訴えてきた。
「…………無茶言うなよ」
そう思うが、どうにも俺は『先生のお気に入り』というポジションで他生徒から認知されているようで、皆はそっぽを向いたまま丸投げである。
……まぁ、確かに三枝先生のことは人一倍知っている俺であるけど、だからこそ二葉先生という存在を理解してる分、過度に接さないよう気を使わなければいけないというか…………。
その証拠に、同じく事情を知っているかなたは別の意味でこっちを睨んでくるし……。
いや、でも、しかし――やるしかないのか……。
「そ、そうですよね。いくら先生で大人だといっても、俺たちと何も変わらない人間なんですから、愚痴くらい言いたくなりますよね」
「えぇ……全くもってそらくんの言う通りです」
未だに肩をニギニギ。
そろそろやめて欲しいのだけど……。
「で、でも何かやりがいがあるから教師という職につき、今こうして続けているわけですから頑張ってみませんか? 俺たちも可能な限り力になりますし……」
「……な?」と皆に目配せすれば、一同は空気を読んで頷いてくれる。
初めてこのクラスで一体感というものを感じた。
「……そうですか?」
『はい』
小学校の卒業式並に揃えた声で返事をすれば、先生はポツポツと語り出す。
「先生はですね……皆が笑顔で卒業してくれる――それをやりがいに教師をしています。三年間を共に過ごし、このような辛い日々も一緒に乗り越えて、良い形で皆を見送ることが何よりの生き甲斐なのです」
『せ、先生……!』
そうして紡がれる感動的な背景に、心を打たれない者はいない。
恥ずかしながら、俺も少し意外に思い……そして感心してしまった。
「皆が笑顔に、良い形で――それはやはり、全員が第一志望に進むということ」
『……………………ん?』
しかし一転、妙な空気の変化を感じる。
しみじみと語っていた先生の表情はいつの間にかいつもの笑みに戻り、ほんわかと手を一回叩いた。
「ですので、そのために、今からもこれからも朝補習から放課後の自習まで頑張って勉強しましょうね♪」
――や、やられた……!
またしても心の声がクラス全体で揃う一方で、先生だけはウキウキとした様子で教壇へとつく。
「…………こんなことだろうと思った」
そんな中、一人グダーっとした態度で呟く幼馴染の言葉を、俺は確かに捉えるのであった。
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