ありがとうの魔法

七荻マコト

ありがとうの魔法

 世の中、碌なことが無い。

 一歩外に出ればどいつもこいつも癪に障る。

 苛立ちでいつも眉間に皺が寄ってばかりだ。


 今、コンビニのレジに行列が出来て混んでるのも苛つく。

「おい、早くしろよ!」

 堪らず怒鳴り声を上げる。

「も、申し訳ありません」

 新人らしきコンビニ店員はあたふたとレジを打つ。あんな使えないやつを一人にするなよな。どういう神経してるんだこのコンビニはよ!

 あ~、ったくよ、他の店員は何してんだ。つうか混んでるの見たらわかんだろうが、早く応援に来いよ。

 ようやく自分の番が来たので缶珈琲と雑誌を叩きつける。

 それにしても、もっとテキパキ出来ねぇのかよ、糞!

 金もレジに叩きつけ、怯える店員を睨め付けながらコンビニを後にした。

 仕事もまともに出来ねぇならコンビニで働くんじゃねぇよ、糞が!


 あーイライラする。

 コンビニを出て駅へ向かう道中の信号が、悉く赤なのも苛つく。

 ふと信号待ちの目の前で、年寄りが荷物をぶちまけていた。

 スーパーの袋が破けたのか、ミカンやリンゴが散らばっている。

「ああ…、ごめんなさいぃ。ごめんなさい」

 謝りながら必死に荷物を拾う老婆。

 おいおい、誰か拾ってやれよ。邪魔で仕方ないじゃねぇか。

 信号が青になり歩き出した。

 みかんが足に当たって遠くに転がっていったが、知るかよ。早く拾わねぇババアが悪いんだよ。

「お爺さん…、お爺さん」

 爺がいるなら早く来てやれよ、うぜーんだよこのババアが、ったく。

 泣きそうな声で唸りながら果物を拾うババアを後に駅へと向かった。


 混んだ電車の中で、一つ席が空いてたから慌てて座る。これで人心地つける。

 優先席だったが、何時もの寝た振りでやり過ごしてやろう。

 座ってしまえはこっちのもんだ。

 次の駅で乗り込んできて目の前に立っている女を薄めで見ると、子供を抱えた妊婦だった。

 悪いな早い者勝ちだぜ、こっちだって疲れてるんだ。

 席に座る権利は誰にでも平等にあるはずだろ。

 寝た振りでやり過ごそうとしたら、妊婦の抱えているガキが泣き出した。

 わんわん、ぎゃぎゃ泣き喚く。

 あー、うるせぇ。鬱陶しいったらないぜ。

 妊婦が必死であやして、静かにさせようと奮闘するがガキは一向に泣き止まない。

「ったく、うるせぇな。迷惑なんだよ」

 独り言を聞こえるように吐き捨ててたやった。

 俺だけじゃなく、多分ここに乗ってる全員同じ気持ちだぞ。

 みんなを代弁して言ったに過ぎねぇんだ。

「申し訳…ありません」

 居たたまれなくなったのか、小さく謝罪の言葉を置いて、別車両に移動する妊婦を薄めで睨みつける。

 最初っからそっちに移動しとけっつうの!

 フン!と鼻を鳴らして目を閉じた。





 そうして到着した公園に会う約束の人がいた。

「よ、よう久しぶりだな」

 妙齢の女性とその手を握る少女は、こちらを見つけると近寄ってくる。

「30分遅刻…もう帰ろうかと思ったわ」

 離婚した元妻は、嫌そうな顔で出迎える。

「わりぃ、なんだか苛つくことで足止め食っちまったから、俺のせいじゃないし、仕方ねぇだろ」

「また人の所為にして、ちっとも変ってないのね…」

 何を言ってるんだこいつは、知らないからそんなことがいえるんだよ、いい気なもんだぜ。

「もう30分経ったから、今日は30分だけね」

「ちっ、まぁ、いいよ」

 元妻の手を握る少女が近づいてくる。

「パパ!元気にしてた?」

 娘は可愛い。癒しだよ本当。

 元妻は少し離れたベンチで座ってこっちを見ている。

「お前も元気にしてたか?」

「うん、私もママも元気だよ。ママのばぁばがとっても優しいの」

 ああ、あの何だか得体のしれない元妻の母親か。

 白髪で柔らかな見た目は優しそうだったが、いつもニコニコしてるとこしか見せず、それが逆に気味悪かったな。

「前のおうちより田舎だけど、沢山遊ぶ場所があって、ばぁばが色んな事教えてくれるんだ!」

 そういえば娘とは気が合うのか、会いに行くといつもべったりだったな。

「ばぁばに教わってね、私魔法が使えるようになったんだよ」

 何かのアニメの影響なのだろうか。

「ほう、それは凄いな。見せてくれよ」

「ん~、いいけど。私の魔法は歴史を改竄してしまうほどの凄い力を秘めてるんだ。ばぁばも簡単に使うなって…、でもパパの為にとっておきの魔法を見せてあげる!」

 大げさだな、まぁ乗ってやるか。

「そいつは、楽しみだな」

 ドヤ顔の娘が可愛すぎる。

「じゃ、いくよ~」

 俺に手をかざして何やらブツブツと唱え始めた。ほう…サマになってるな。

 俺の周りに魔法陣のようなものが浮かびあがり、光がどんどん増していく。

 なんだぁ?最近のおもちゃは凄いな、どういう仕掛けだこりゃ。

「パパ、戻った世界で相手の心が見えたら、パパがしてあげたいと思ったことを素直にしてあげるんだよ」

「ど、どういう事だ?」

「いいから、返事して!愛する娘のお願いだよ。私は知ってるの、本当は誰よりもパパは優しくて格好いいんだってこと」

 そんなこと言われたら断りづらい。

「わ~ったよ」

「ふふっ、それでこそ私の大好きな、パパ」

 光が二人を包んで何も見えなくなってきた。

「合言葉は、『ありがとう』だよっ、頑張ってきてねパパ!」

 その言葉を最後に視界も声も何も聞こえない。白一色の光に飲み込まれていた。



  ◇    ◇    ◇

 


 目を開けると何故かコンビニに居た。

 レジの前で行列が出来ている。

 ま、マジかよ。過去に戻された?!

 魔法の影響だろうか、過去であることはすんなり理解してしまっている。

 歴史の改竄…。

 そう、これも魔法の影響なのか、ここで俺がなにかしたらそっくりそのまま歴史も変わってしまうということも否応なしに理解していた。

 過去で俺が罵倒した店員は同じように、あたふたレジで奮闘していた。

 苛立ってまた文句を言おうとしたその時、フラッシュバックの如く映像が視界を覆う。


    ◆◆◆

 コンビニ店内、叔父である店長が突然の脳梗塞で倒れ、奥さんは付き添いで一緒に行ってしまい、補勤で入れるバイトも連絡がつかず、親戚として採用されバイトを始めて1週間の女学生は、それでも必死で頑張って今を乗り越えようとしている映像だった。

    ◆◆◆


 そんな彼女の心が流れてくる。

 俺なら恨み辛みの悪態しか出ないというのに、この子の心は店長の無事を祈り、コンビニを無事勤めあげるというやる気に満ちていた。

 負けて堪るか、どんなに怒鳴られても、凄まれても、叔父さんが無事に戻ってくると信じて頑張るんだ。

 叔母さん、どうか叔父さんを支えてあげて下さい。

 こっちは私が何とかしてみせます!


 そんな理由があったなんて、知らなかった。

 自分勝手な都合で罵倒していた自分がなんて矮小で恥ずかしいのかと思い知らされて心が痛んだ。

 いつの間にか会計は俺の番。

 新人店員の慣れない手つきで会計も終わり、袋を受け取った。


『パパがしてあげたいと思ったことを素直にしてあげるんだよ』

 

 娘の声が脳裏をよぎる。


 俺は袋の中から缶珈琲を取り出すと、

「あ~、なんだ…。君も一人で大変だな、これでも飲んで頑張ってくれ」

 コトリとカウンターに置いた。


 こんなことしか出来ないが、応援してあげたいと素直に思った。

 目を丸くした後、店員は目端を濡らして、

「あ、ありがとうございます」

 可愛らしい笑顔をサービスしてくれた。

 何故か自分の心が軽くなった気がした。



 その後、駅に向かっていると、信号待ちの交差点で、年寄りが荷物をぶちまけていた。


 転がってきたミカンが靴にコツンっと当たった瞬間にまたフラッシュバックが起こり、視界に映像が映し出される。。


    ◆◆◆

 病院の一室。体中チューブに繋がれた爺さん。余命幾許もない爺さんの最後の頼み。好きだった婆さんお手製フルーツジュースがもう一度飲みたかったとの言葉。いつ爺さんが逝ってしまうかも分からない状況。それでも爺さんの為に婆さんは飛び出した。

    ◆◆◆


 そんな婆さんの心が流れてくる。


 それは長年連れ添った爺さんへの感謝で溢れていた。

 お爺さん、今まで一緒に居てくれてありがとう。

 お爺さん、私が事故で子供が産めない体になっても愛してくれてありがとう。

 お爺さん、貴方がくれた時間、私はずっと幸せでした。

 貴方と結婚出来て幸せでした、生まれ変わっても、また貴方と出会いたい。

 これからもずっと愛しています。


 俺の頬に雫が流れ落ちた。


「お爺さん、お爺さん…」


 誰も拾うのを手伝わない、そんな状況にあって、呪いの言葉どころか、爺さんへの思いで一杯に満ちていた婆さんの思い。


 意識せずとも体が動く、リンゴ、ミカン、キウイ、転がってる果物を這い蹲ってかき集める。


「誰か、手を貸してくれ!」


 いつの間にか叫んでいた。


 恥も外聞も体裁も関係ない!

 これが俺が今、素直にやりたいと思ったことなんだ!


 一人拾いだすと、切っ掛けを待っていたかの如く、一人、また一人と次々に拾い出す。あっという間に散らばっていた果物たちが婆さんの元へ帰ってきた。


「皆さん、ありがとう、ありがとう」


 婆さんは皺くちゃな顔に一層皺を寄せて、一人一人に握手していった。


 婆さんの人柄だろう、けど礼なんていいから、とっとと爺さんのとこに行ってやりな。


 何故だろうか、娘との面会に遅れているというのに、気分はすこぶる良かった。




 電車で空いていた席に座り、人心地ついたら目の前に子供を抱いた妊婦が立っていた。

 そう言えば、昔は俺も娘をあやすのに必死だったなぁ。


 よく見ると、腕に吊るされた鞄はパンパンに詰まっており、立っているのもやっとの状態だった。


 周りをちゃんと見ていなかった過去の俺を恥じた。


 妊婦に話しかける。

「あんた、そうあんただよ。こっちに座りな」

「す、すみません、ありがとう」

 半ば強引に席を譲る。

 妊婦が察してくれて良かった。

 入れ替わると同時に、またフラッシュバックが起こり、映像が映し出される。


    ◆◆◆

 親の反対を押し切って結婚した彼女。質素でも温かく幸せな家庭を築いていた。ひと月前、突然夫が交通事故で亡くなり、途方に暮れながらも独りで、子供を育てるために頑張ろうと決意をした。

    ◆◆◆


 そんな妊婦の心が流れてくる。


 夫を失った悲しみと絶望。

 産まれてくる子供のためにも自分が頑張らないとという気負い。

 けれどそんな決意もお構いなしに頻繁にぐずって母親を寝かせない腕の中の子供。

 金銭も心も余裕のない生活。

 削り取られる精神。

 生きていくのが嫌になりかける。

 お腹は重くて気分も怠い。

 それでも検診で病院に行かなくてはならないし、夫の生命保険の手続き、相手との裁判など息つく暇もなく、もはや今自分が何をしているのかすらあやふやな毎日。


 いっそこのまま夫の元へ、この子たちと一緒に…。

 


 知らなかった…。

 なんてこった。

 これ程切羽詰まっていたとは…。

 いや、知らなかったですまされない。


 俺は知ろうとしなかったのだ。


 コンビニの店員も、信号での婆さんも、知ろうとしなかった。


 人の立場で想像することを、自分が言ったことをもし言われる側だったら…と考えることを、自分を放棄して相手の立場になってみることを。


 俺は、自分だけが不幸で他人は皆、自分より幸せだなんて勝手に思い込んでいた。


 この世の中は、不幸で溢れていて、誰も彼も幸せではないのだ。


 ただ、誰か一人でもそのことに気付き、手を差し伸べることが出来れば、その不幸の芽はいとも容易く摘み取ることが出来るということを知った今の俺なら!


 そこで、過去をなぞるように子供が泣き出す。


 必死であやす妊婦の頬が痩けて、心なしか子供を見る目が虚ろに見えた。


 電車内にギャーギャーと鳴り響く子供の声。

「うるせぇな、黙らせろ!」

 人混みのどこかから発せられる声。


「うるさくて当たり前だろ、子供は泣くのが仕事なんだよ!」

 堪らず怒鳴り返していた。


 粛然とする電車内、それでも泣き止まない子供に、


「ベロベロ、ばぁ!ばぁ!」


 得意の変顔を披露した。


 子供が笑って、妊婦も、その隣にいる人も、俺の顔を見た人全員が笑った。


 娘よ、これが今の俺が素直にしたいことだ。

 お前も良く笑ってくれたよな。


「俺の娘も必ず笑う鉄板ネタなんだ、へへっ」

「す、すみません」

 力なく微笑を浮かべる妊婦。


「子供は親に頼るもんだ、子供に頼られて嬉しくない親は居ねぇよ」

「そ、そうですよね。私が頑張らなくちゃ」

「違うよ」

「え?」

「あんたのことだよ。そんな疲れ切った顔して…子育てが大変なんじゃねぇか?お節介かもしれないが、親に助けを求めて見ろ。絶対力になってくれるから」


 フラシュバックで見た両親は引っ込みがつかなかっただけに見えた。

 だから絶対力になってくれると思う。

 なんだかそんな気がした。

 それでも駄目ならと一応俺の連絡先を渡したが、不要になるだろう。


「あああうう、ありがとうございます」

 嗚咽交じりに泣き崩れる妊婦。

 近くの女性が背中を擦りながら寄り添う。


 そう、この電車内にも手を差し伸べることが出来る人はいるんだ。


 この3人が命を落とすことだけは回避できたと信じている。


 多分に疲れたが、悪い気分じゃなかった。


 俺のイライラなんてもうどこにも存在しなかった。





 そうして到着した公園に会う約束の人がいた。

 時間は1時間以上の大遅刻。

 カンカンの元妻を宥めて、娘との時間を10分貰えた。


「パパ、過去はどうだった?」

 したり顔の娘。

「お前は…、全部分かってたのか?」

「結果までは分からないけど、パパが生まれ変わるってばぁばが言ってた」

 何者なんだよあのばぁばは!

「それで、今どんな気分?」

「ん、悪くは無いかな、なんかお母さんとよりを戻したい気分だ」


 今、娘だけじゃなく、元妻がとても愛おしく思えてならなかった。


「やったぁ!大成功!実はあの魔法は一生に一度しか使えないの」


さらりと問題発言だぞ、我が娘よ。


「な…、お前そんな貴重な魔法を、なんで」

「それだけ私にはパパとママが大事ってことだよ」

 ウインクする娘は世界一可愛い。


「まったく、ありがとな。こんな親父の為に」

「やっと言ったね」

「ん?」

「『ありがとう』はね、言う方も言われる方も幸せになれる魔法の言葉なんだよ。パパは言われたけど、誰にも言ってなかったもんね」


 おいおい、結果は分からないとか言いながら、ずっと見ていたみたいな言い草だな。


 はは、まぁ、いいよ。

「へっ、そうだな。言うのも悪くない」

「でしょ」

「じゃ、ママのとこに行ってくる。健闘を祈っててくれ」



 あなたは人生で何回『ありがとう』を言いましたか?または言われましたか?

 1日1回、誰かに言うだけで、もしくは言われることをしただけで、あなたの人生は幸せに満ち溢れ、世界は華やぐやも知れません。

 そう、案外幸せは直ぐに手に入るものかも知れませんよ。

 

 これを読んでくださったあなたに…、ありがとう。

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