第38話 幽霊が怖い

 

「幽霊が怖いのか?」


 隣を歩く龍騎にそう言われて思わずそんなわけないでしょ、と大きな声を上げてしまう。


「夜中なんだから町中では静かにな」


 静かにたしなめられ、龍騎の隣の女性は暗がりの中で顔を赤くして俯いた。


 今日は住民たちから数多く寄せられている悩みの一つ。夜中に空き家から物音がする。という不気味極まりない話の理由を確かめに来ている。こういった国内、町内の調査は基本警兵たちの仕事であり、龍騎たち騎士は関与しない。今回のように警兵から要請があった場合は例外である。


 騎士を連れ立つ理由は多いが、多くは武力を必要とする場合だ。


 騎士は帯刀を許され、警兵は許されない。


「しかし幽霊相手にこれが効くかな」


 コンコンと腰元の刀を叩き、龍騎は小さく笑う。声を小さくしているのは町への配慮なのか、隣の女性への嘲笑なのか。


 隣を歩く警兵、すみれは自分の持てる武器である警棒を鞘ごと握った。もともと騎士は気に食わない。父親が騎士を憎んでいることも理由にあるが、騎士の上にある人間が嫌いすぎるということも大きい。


 騎士の二番目の立ち位置にあるのが隣に居る龍騎という男。飄々とした態度で笑っていることが多く、仕事中であってもその態度には変わりない。


 そして騎士のトップに立つ女性。


 あれは真面目に仕事をしているのかすらわからない。外部の人間が確認できるのは仕事をサボって町の外に居る彼女の姿と、仕事に文句を言っている彼女の姿だ。


「着いた。ここが物音のする空き家?」


 龍騎が片手を刀に置きながら見上げたのは窓も扉も締め切られた二階建ての一軒家。窓の向こうは暗く、何かがいたとしても確認はできない。なるほど。たしかにここから物音がしたら不気味だね。行こうか。


 一歩前から差し出された手を、すみれは中々握れないでいた。


 真っ暗闇。もし何かがいたら?


 ただの一般人なら負ける気がしない。負けないよう鍛えている。だが、他のなにかであれば? 龍騎の言うように物理ではどうにもならないものがいたら?


「……明かりが要るかな」


 用意されていた鍵で扉を開けた龍騎は腰から下げていた手のひら大の筒を取り出して闇に向けた。柔らかな光が家の中を照らす。ほこりまみれの玄関。その先には古びた木製の家具。


「夜にしか物音がしないっていうのも不便。昼ならこんなに怖くないのにな?」


 手を差し出しはしないが、暗い建物の中に背を向けて龍騎はすみれへ笑いかけた。大丈夫だと、直接告げると彼女の自尊心に傷がつくことに気づいているのだろう。だが、彼のそういった態度の方が、彼女の心に突き刺さる。


 すみれは歯を食いしばり、大股で家の敷居をまたいだ。


 何がいても平気だから。自分にそう言い聞かせて。


 暗いことを除けば、ただ人のいない空き家だった。


 

 歩けばホコリが舞い上がり、明かりが届かない範囲は真っ暗だ。


 正直、とてつもなく恐ろしい。


 龍騎は腰から手を離せないでいた。明かりを片手に持っているから不測の事態が起きた時に万全の状態で立ち向かうことは出来ない。だからこそ彼女には傍に居てほしいのだが彼女も幽霊が怖いのか近くに寄って来ようとしない。


 こういう、曖昧な敵が居るからと騎士を呼ぶのは止めてほしい。幽霊だとか、ちょっとでも面白そうな事件は自分に回されるのだから。


「見たところ、人がいたような痕跡はありません」


 すみれの言葉に幽霊だったら人じゃないか。と、冗談交じりに返した。


 恐怖をごまかすために言ったのだがとてつもなく恐ろしい目で睨まれた。


 龍騎は前を歩くすみれの足下を照らせる程度に離れすぎない位置を歩き、さっさと解決させようと周りに目を凝らす。


 ごとん、バキッ。


 何かが物に当たり、落ちた。


 きゃあ、なんて可愛らしい悲鳴を聴きながら龍騎は音のした方向へ灯りを向ける。幽霊じゃありませんように、幽霊じゃありませんように!手汗で灯りが落ちそうである。


 落ちたのは木製の小箱のようだった。本棚の上にあったのが落ちたのか。


 今にも弾けて消えそうな心臓に気をやらないよう気をつけながら、灯りを棚の上へ向ける。


 にゃあ。


 もはやすみれは埃の中にしりもちをついている。


 にゃあー。


 埃の中に浮かぶ『真っ白』な毛。光を返す金色の瞳。


 それは埃を舞い上げながらすみれの目の前に落ちた。


 

 猫? すみれは暗闇であってよかったと思う。今の自分の顔は信じられないくらい真っ赤だろうから。


 慌てて立ち上がると埃が舞って、白猫は慌てて何処かへと走り去っていった。走り去った先でまたことん、と音がする。


 なんだ、猫だったんですね。


 いまだ落ち着かない心は押し殺し、龍騎に向かって話しかける。彼は消えた白猫を目で追いかけ続けている。


 猫が好きだったのか。意外。


 小さく笑うと龍騎は視線をすみれに戻した。


「猫だったな。『綺麗』な白猫」


 そうですね。


 じゃあ、夜も遅いし帰りますよ。


 すみれが言うと龍騎は白猫を追いかけたいと言う。そんな子供みたいな。すみれが笑うのも構わず、彼は変わらず視線を白猫の消えた方向へ向ける。


 では、お先に。


 安心して気が抜けたのか眠気も襲ってきていたすみれは早々に、空き家を後にした。


 

 物音がする噂が出たのは数日前だ。原因が猫であるならば、『綺麗』であるはずがない。


 埃で逃げたのもおかしい。数日前から居るのに?


 灯りは腰に結び、龍騎は腰元に手をやった。


 

 この日以降空き家から物音が聞こえることは無くなり、騎士団総長は数日酷く機嫌を損ねていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る