第17話 記念日

 

 いってらっしゃい、と小さな背中を見送った直後。龍騎の背後に隠れていた少女が龍騎へと抱きつく。離れろと言ったところでいうことを聞くはずがないと分かっている龍騎はそのまま少女を引きずり自分の部屋へ向かう。階段だから、と声をかければ少女は自分の隣を駆け抜けて階段を登り部屋の扉をノックすることなく開ける。


 自分があんなことをしたならば中にいる妻に殴られるか蹴られるか。


 ため息をつきながら彼は目の前で閉められた扉を叩いた。中からの許可が返って来て扉を開けると、先ほど入っていった少女はベッドでうつ伏せに倒れ彼の妻は清々しさを感じるほどの笑みを浮かべている。


「何してんの」


 彼の言葉に妻の遥は投げた、と一言答えると着ていた黒のジャケットを脱ぐとベッドの上へと放った。


 しわになるからちゃんとかけてくれ、そんな文句をのどの奥に飲み込んで龍騎はジャケットを拾い上げて所定の場所へと引っ掛ける。


 薄着となった遥はグッと天井に向けて手を伸ばすと大きく息を吐き出して龍騎へ目を向ける。


「じゃ、私たちは買い物行くから。みこ、寝てるなら置いてくわよー」


 名を呼ばれた少女は弾かれたようにベッドから起き上がり、遥へ抱きつく。難なく少女を抱き上げた遥は髪を整えるのもそこそこに買い出しへと向かう。


 一人、家に残った龍騎は台所へと向かう。


 台所の冷蔵庫にはしまえないから、と遥と相談して床に作った隠し扉を引いて開ける。地下室など大層なものは作れないが一日分の食事を冷やしながら保管する空間の確保はできる。


 普段からすると贅沢過ぎるであろう栄養バランスすら考えられていない肉や果物。野菜等を並べながら夕食の献立を作っていく。


 あらかた作り終え、日が傾き始めた時。騒がしく二人の女性が帰宅する。刃物など危険な調理道具のみ片付けて振り向いた先に居るのは大切な買い物袋を振り回す少女。


「おかえり、材料くれるか」


「うん!ただいま! はいこれ! 牛乳と柔らかいやつ!」


「……牛乳?」


「うん、白いの。朝に飲むやつ」


「生クリームにならんぞ」


「なまくりーむってなに?」


「白くて甘いの。ケーキ食べたことなかったか?」


「ない!」


 期待に目を輝かせる少女だが、龍騎は対となるように眉を寄せた。


 少女から受け取った袋から食材を取り出す。ケーキをつくる際に必要となるスボンジ、砂糖、ろうそく、飾り用のアラザンなど。そして、最後にスポンジの周りを彩りメインの味になるはずのホイップクリーム。のはずだったのだが。


 少女の言うとおり、袋に入っていたのは小さなパックに入っている牛乳。どれだけ泡立てようと泡にしかならない。


 ため息をつきそうになって慌てて口を閉じる。


「何か、間違えた?」


 泣きそうな顔で眉を寄せる少女の頭に手を乗せる。


「今度は俺と買い物に行こう、みこ。間違えたら次に同じことをしなければいいだけだからな。遥に買い物に行くって伝えておいで」


 すぐに笑顔を浮かべた少女が白い髪を揺らして駆ける。時計へと目を向けると短い針はすでに右斜下へと向かい始めている。手っ取り早く済ませなければ琉斗が帰ってきてしまうだろう。


 みこの小さな手に必要な道具を入れた小さな鞄を持たせ、空いた片手を握る。今度は離さない。また川に落ちるのはゴメンだ。


 龍騎の考えなどもちろん少女には伝わらず彼女はどこか苦しげに眉を寄せたまま龍騎の一歩後ろを歩く。目的のものが売っている場所に着いても彼女はコレまでにないほど大人しく、逆に気味が悪いほどだ。


「みこ、こういうのには種類があってさ。俺達が朝に飲んでるのが牛乳。俺が買ってきて欲しくて遥に頼んだはずなのがこれ」


 少女の手の上に小さな牛乳パックによく似た物を二つ乗せる。


「これは泡立ててると甘くて白い柔らかいものになるんだ。それはあとで見せる。覚えたか? ケーキつくるときはコレ」


 少女が頷き、不安げに龍騎を見上げる。


 よくやった、と頭を撫でてやれば満面の笑みを浮かべる。単純明快な彼女を少しでもあの子が見習えば。そう思ってしまうのは全ての原因が自分にあると思っているからだろうか。


 お金を払う少女を見ているとまたため息が出そうになる。


 再度持たせた買い物袋を楽しげに振り回す少女は今日が何の日かちゃんと理解をしているのか。もしも知らなければまた教えてやらなくてはいけない。


 今日は誕生日。生まれてきてくれてありがとうと本人に感謝し、盛大に祝う日。


 琉斗、生まれてきてくれてありがとう、と。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る