第18話 記念日2

 

 帰宅した龍騎と少女を待っているのは豪勢に作った料理をつまみ食いしている遥だけでは無かった。傾き始めた時間は学校の終了時間とも重なりもう一人の家族が帰宅を終えていた。


「ただいま」


「ただいまー!」


 相変わらず買い物の袋を振り回すみこは家の中へ駆けて行き、彼の姿を見付けると足を止めた。彼の向こう側には眉を寄せ、口をへの字に曲げた遥が居る。


 常に笑っている彼女がそんな顔をするのは珍しい。


 少女の後ろから龍騎が遥を見て、思わず笑った。たしかに今の状況は彼女にとって初めての物であり困惑に顔を歪ませるのは当たり前だろう。自分が立場が代われば多少良い反応ができるかもしれないが、これは彼女にとってとても良い経験となると思う。龍騎はあえて見ないふりをするとみこの買い物袋を受け取り台所へと向かった。


「あ、こら龍騎! 待ちなさい!」


 きっと後から妻には激怒されることだろう。だが良い。


 普段あまり子供たちと関わらない彼女にああも甘えられる日も早々無い。何故泣いているのかは分からないが甘えられるときに甘えれば良い。


 いつもは仕事ばかりさせている少年は学校へと向かった格好のまま遥へと腕を回して抱きつき泣きじゃくっていた。普段は文句の一つも言うことなく大人びた表情を浮かべながら家事手伝いを行っている少年が、だ。


 いつも息子に迷惑をかけている分ストレスか何かが溜まりに溜まっていたのかもしれない。遥が何かを言ったのかもしれない。


 発散できる場があって良かった。


 龍騎の後ろに少女は着いて来ていないからきっと少年に便乗して抱きついているのだろう。


 買ってきたクリームだけ作ってしまおう。銀のボウルにパック二つ分を入れてしまう。泡立てる専用の機械は何があったのか先日遥に投げられ砕けた。


 そういえばあの時は昼寝しているところを起こして不機嫌だった。


「お父さん……」


 震える声に振り向けば片手で目を擦る少年。先ほどまで遥に泣きついていた少年が立ち尽くしている。


「琉斗、もう良いのか?」


 無心で泡立てていた手を止める。ボウルに水が入らないよう注意して台所へ置く。少年琉斗は擦った目を腫らしたまま笑った。


「うん。……なんか、頭に拳骨落とされた。『いい加減に離れなさい』って。みこちゃんはそのままお母さんに飛びかかってった」


「殴られたとこ、大丈夫か?」


「うん、ビックリしただけ。お父さんケーキ作ってるんでしょ、僕も手伝う」


「あー、いや。こっちはいいから、とりあえず夕飯を机に並べてくれるか?」


 首を傾げる琉斗に視線だけで床の隠し扉を示すと彼は一度頷き、迷いもなく隠し扉の取っ手に手をかけて床を開く。


 やっぱりバレてたんだよな、龍騎は再度中途半端に泡立てられたクリームの入れられたボウルを手に心のなかでため息をこぼす。せっかく隠していたのに。


「琉斗」


 名前を呼べば皿を並べながらも返事が帰ってくる。


「さっき何泣いてたんだ。遥に何か言われた?」


 珍しく、琉斗からは歯切れの悪い言葉が帰ってくる。


「ううんと、何て言うのかな。あ、お母さんは『誕生日おめでとう』って言ってくれただけだよ」


 むしろぎりぎりまで隠すという決め事を忘れておめでとうと言ってしまったことが龍騎にとってしてみれば大きな問題だ。彼女らしいといえば彼女らしいが。


「……お父さんたち、僕の誕生日知ってたの?」


 返された質問。


 龍騎は手を止めず視線を寄越すこともせず、笑った。


「遥が調べた。それこそ職権乱用くらいにバタバタしてな。……ちょっと大変だった」


 クリームは角が立つくらいには固まってきている。これなら後は夕食の後に作れば夜のいい時間には食べることが出来るだろう。何よりこれ以上女性陣を待たせると今度は何を壊されることになるか分からない。生活必需品を壊されたらあとが怖い。


 早々にクリームを片付け女性陣を呼ぼうかと視線を上げた先で、琉斗は目を隠していた。泣いているのを隠していると言ったほうが正しいか。


「泣いてるとまた殴られるぞ。子供に泣かれるの慣れてないんだ」


「ずっと、知らないと思ってた……」


「ずっと知らなかったからなあ。だけどそれじゃ駄目だと、家族は誕生日を祝うモノなんだと騒ぐ奴が居たから調べたんだ。何年も祝ってないし盛大にしよう、って言ってな」


 ちょうど言い出した本人が少女と戯れ遊んでいる物音だけが聞こえてくる。


「泣く事ないだろ。ほら、夕飯食べるぞ。多分つまみ食いされて減ってるけど、多く作ったから足りるはずだ」


 女性陣を呼んでくる。龍騎は軽く琉斗の頭を撫でるとそのまま隣を歩いて女性陣の元へと向かった。きっと龍騎が女性陣を連れて戻ってくる頃には彼は泣き止んでいるのだろう。子どもとは思えないほどに大人しく、必要最低限のものしか強請らない彼はきっと泣き止み行儀よく椅子に座っている。


 目が赤いこと以外、泣いていると思わせないような毅然たる格好で。



「ねえねえると、るとは何で泣いてたの?」

「え? ……嬉しかったんだ」

「……あ! 分かった。ごはんいつもよりおいしいもんね!」

「うん、そう、美味しいから」

「このあとね、けーき食べるんだよ! けーきってお肉かな」

「肉であってたまるか。というか一緒に生クリーム買いに行っただろ」

「牛乳だった」

「違う!」


 いつもと同じ騒がしさ、いつもより豪勢な食事。琉斗は何よりもこの場所に居られることが嬉しかった。

 

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