第16話 花火

  

 花火大会に行きたい。唐突な言葉はひと月前に龍騎がとある場所から拐ってきた少女から発せられた。


 ソファーで寝転がる龍騎の腹の上に座っていた少女、みこは龍騎の腹の上に座ったまま水を飲みに来た龍騎の妻遥を見上げる。この家で権力が一番大きいのが誰かは本能的に分かっているのだろう。普段の勉強は苦手なのだが本当に動物的な勘だけはよく働く。


 みこの下から力任せに上体を起こせば彼女の身体は背中側から龍騎の足の上で転がる。けらけらと笑う彼女を支えてソファーから落ちないように気を付けてやりながら龍騎も遥を見上げる。彼女は不満そうに眉を寄せた後に視線をそらす。遥は人混みが苦手だった。花火大会のみならず人が集まるイベント事はことごとく避けてきた。だからこそみこは興味が出てきたのだろう。


 みこはまだ十歳の女の子だ。祭りに行きたいと言っても不思議ではない。むしろ自然なことだろう。龍騎は自分の妻の顔に思わず苦笑する。


「午後少し早く帰してくれれば俺が連れてくよ。琉斗も行きたいんだろ」


 話を振ったのは台所で皿を片付けている息子。妻と同じ青い髪を持つ息子は驚いたように振り向いて龍騎を見ていたが間を開けて小さく首を縦に振った。彼にも家の仕事を任せきりで祭りとは縁を持たせようともしていなかった。


 いい気晴らしになるだろ。サボった仕事は後日に回してもいい。龍騎の言葉に遥はため息を吐きながら許可を出す。行ってもいいよ、明日は一日休みにしていいから。


 やったあ。みこは思いのままに目の前の龍騎の首に抱きつく。勢いに負けて龍騎の体はまたしてもソファーに沈む。


 息子の琉斗は既に皿の片付けに戻っているが表情に笑みを隠せない。



 花火大会はみこの花火大会に行きたいという発言から二日後。縁日を含めるこの花火大会には数多くの人が訪れる。紺色の甚平を着た龍騎は片手でみこの手を引く。目の前に並ぶのは人の波。手を離せばこの好奇心の塊はどこに行くかわかったものではない。今でさえ龍騎の手を強く引いているのだから。白地に金魚の泳ぐ浴衣はとても綺麗だが髪色も白いせいか、若干みこ自身が負けているように見える。次は淡い色か濃い色の浴衣を買ってみるか。


 前方からたこ焼きを持って歩いてくるのは自分と同じような色の浴衣を着せた琉斗だ。コチラはよく似合っている。


 龍騎は買いに行かせたたこ焼きを受け取る。それはなにか、食べ物か。祭りどころかこれまで娯楽もほとんど体験していなかったみこは楽しげに声を張り上げる。


 花火を見る川べりで食べるか。そう提案するとみこは更に目を輝かせる。琉斗は荷物を持ってる、と言ってたこ焼きをまた龍騎から奪う。琉斗に気を取られていると不意に右腕にあった暖かさが消える。


 先に行ってるね、なんて場所を知らないくせに明るく言い放った白い浴衣が人混みに消えた。思わず何も言わずに見送ってしまった。


 その姿が完全に視界から消えてから琉斗が先に我に返り父親の袖を引っ張る。


「お父さん! みこちゃん行っちゃったよ!」


「……行っちゃったなぁ。さすが好奇心の塊。琉斗は先に花火見るとこに行ってな。いつものおっちゃんに場所取りさせてるから。行けるな?」


「うん、みこちゃん連れてきてね」


「花火が始まるまでには連れて、行けると思う」


 不安そうな言葉に琉斗は笑みを返す。お父さんなら大丈夫。


 たこ焼きを片手に抱えて琉斗はゆっくりと歩き出す。その背中を人混みの中に消えるまで見送っていた龍騎は深くため息を吐いて片手で髪の毛を引っ掻いた。腕を上げたことによりほんの少しだけ乱れた衣類を直し、みこが走り逃げた方向へと向かう。


 花火が終わるまでにあの好奇心の塊を見つけられると良いのだが。



 空に打ち上がる色とりどりの華。胸を打ち震わすような轟音。花火大会の屋台から少し離れた場所で花火を眺めていた。みこはまだ見つかっていない。花火を見ようと人だかりが動いて行ったため屋台の周りに人は少なくなったがそれでも見つからなかった。川べりで琉斗たちと合流しているなら良いが、みこが走り去った方向は見事に川べりと反対方向だった。余程のことが無ければ辿りつけない。


 どこまで走っていったのか。元気だけが取り柄のような子だ。こうなったら手当たり次第人に聞いていこう。


「りゅうき! こっちだよ!」


 不意に自分を呼ぶ大きな声が「上」から落ちてきて、まさかとは思いつつ上を見上げた。白い水面に金魚を泳がせる少女がとても楽しげに樹の上から自分を見下ろしている。


 龍騎二人が縦に並んでちょうど手が届くような高さにある太い枝の上。高さはあれど樹自体は幹にいくつも凹凸があるため登るのは難しくない。だが、まさか樹の上にいるとは。それもこんな高さのある場所に。


 傾いた幹に手をついて凹凸に足をかける。そうして力をかけてみこの座る枝に手をかけて何とか重い体を持ち上げる。枝は太く強く、龍騎が乗ってもびくともしない。みこの隣に座る。みこは目を輝かせて空に打ち上がる赤い花を見ている。その白い頭にチョップを落とした。


「いたっ、なにー?」


「一人で勝手に走って行くな。最初に手を離さないように言っただろ」


 頬をふくらませて反撃しようとしているのか、両手を上げようとするみこの手を慌てて押さえる。浴衣が乱れると言っても彼女にはまだわからない。不思議そうに首をかしげる彼女に向かってため息を吐くと空に青い花が咲く。


 青の光に照らされる少女の顔は心なしか嘆くような表情に見える。


「言い付け守らなくてごめんなさい、もう二度としません」


 幼気な口調から一変。流れるように出てきた言葉に龍騎はまたため息を吐いた。再度みこの頭に手を落とすと彼女は強く目を閉じた。


 みこの頭に優しく下ろされた手は髪を撫でる。


「琉斗がみこと一緒に見たいって言ってたからな、あとでちゃんと琉斗に謝れよ?」


「……りゅうきは怒ってるんじゃないの?」


「子供が間違うのは別に怒るようなことじゃないだろ。叱るけどな、そんな気にするほど小さい男じゃないつもりだぞ」


「りゅうきは大きいよ?」


 空に打ち上がった幾つもの蝶のような光を見ながら龍騎は声に出して大きく笑った。


「あーりーがーと。さて、この特等席も良いけどそろそろ琉斗に合流するか」


 横一列に並ぶ光の大輪に照らされたみこは隣から差し出された大きな手を握った。


「しかし、よくこの特等席見つけたな。来年はここで見てもいいな」


「でしょ! あ、りゅうき。たこ焼きは?」


「勝手に走って行ったから無し」


「えー! けちーけちー!」


「龍騎のけちー」


 その場に無いはずの声を聞き、慌てて振り返ると居ないはずの青い髪の女性が片手を腰に当てて満足気に立っている。


「……おい遥。仕事は」


「花火大会会場警備。さっき琉斗にも会った。おー綺麗ねー」


 まるで屋台から伸びるように色鮮やかな光が射線状に舞い上がる。舞い上がった先で帯を作るように幾つもの大輪の光の花が咲く。紅に、青に、金色に。


 帯が消え、今までよりも二回りほど大きな花が咲く。


 今までの光が創りだした白い煙でさえも自らの演出として紅く染め上げる大輪。首元すら覆う黒の制服に少しだけ赤色が迷う。浴衣ではないがよく似合っていると思うのは、夫である自分の贔屓目だろうか。


 自分の隣から離れて遥の隣に並び、自然に手をつないだみこが笑顔で花火を見上げる。


 同じ顔をして花火を見上げる二人を微笑ましく思い、花火よりも二人を見ていた龍騎が暑くなってきた、と急に機嫌を悪くした遥に背後から蹴り飛ばされ花火の終わった川べりで合流した琉斗と部下の前で川の中に落とされたのはまた家族の良い思い出となった。

 

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