第11話 秘祭3

 祭の前日。


 男は少女を待つように神木に背を預けて立っていた。


 陽は既に沈み、辺りは黒に包まれている。空を見上げればほんのわずかに欠けた月が貼り付けられている。明日、あれは円となる。


 満月の日、月の弱々しい光と強すぎる松明の光に照らされた祭が始まる。


 十年ほど前から、ずっと。


 白髪に金の目を持つ少女が十歳になる誕生の日に行われてきた祭。男は白い息を吐き出す。少女は来ない。これは吉兆であり、凶兆だ。


 社の裏に広がる森へ足を踏み出そうと神木から体を離すと社から砂利を踏みつける音が冷えた空気の中に響く。


 目を向けると闇の中を誰かが男へ駆け寄ってくる姿が見える。白の服に身を包む姿は小さい。


「は、まさか。お嬢さん?」


 嘲笑うかのように息を吹き出し駆けてくる少女を見やる。息を切らせ、喉を押さえながら少女は男を見上げて笑う。


「こんばんは、旅人さん」


 いつもと変わらない言葉、熱のこもる苦しげな声。苦しいのだろう。しゃがんで顔を近づけると汗をかいていることがよく分かる。


 少女の汗を手持ちの手ぬぐいで拭き取り、額に触れる。


 異常な熱が男の手のひらに移る。


「……お嬢さん、こんな状態でも明日祭に出るのかい?」

「うん! そうしないと村がこわれちゃうから」

「でも、君はここから出てない。村のことなんて知らないだろう?」

「うん。でも人の命を守れるあたしはすごいって、だいじだって。しさいさまが言ってた」


 司祭の言うことなんか、と言いかけて男は口を閉じる。


 少女は無邪気だと考え利用しようとしているのは何も男だけではない。生まれた時から無邪気に育て上げた元凶が居る。


 男は自分のうなじに手をやるとペンダントの留め金を外す。細いシルバーのチェーン。先に繋がるのは細い円柱。少女の親指ほどの長さしかない飾りには不規則に穴があいている。


 少女へペンダントを渡し、男は少女の白い髪を撫でる。


 少女はシルバーのチェーンを手でなぞり、先の飾りをつまむ。円柱の先端と底部分に貫通する穴が空いている。


「俺の大事な笛だよ。君にしばらく預けよう。もしも君が本当にどうしようもなくて、誰かに助けて欲しくなったら吹くといい」


 笛を触り続ける少女の手からペンダントを取り上げ、少女のうなじで留め具をはめる。少女の首に下がるシルバーの小さな笛。


「さあ、戻って寝てなさい。ちゃんと体を休めないと。ああ、そのペンダントについては誰にも言っちゃダメだよ。明日も、ちゃんと持ってること」


 少女が頷き、男も頷き返す。


「旅人さん、お祭が終わったら、またね!」


 何も知らない少女は未来を思って笑顔を見せる。


 大きく手を振る少女を見送り、男はため息をつく。少女の着ていた白い服、あれは療養している人間が着る軽い着物。少女の熱は下がっていない。歩けるだけ治っていると思うのならば確かに快方に向かっているだろう。だが、動けるような熱ではない。


 少女の額に触れた手を自分の額に当てる。残る熱が額を温める。


 祭が終わったら、また。


 少女があまりに無邪気で、哀れに見えたのか。自分の笛を与えてしまった。


「怒られるよなーこれ」


 笛の合図がなければ計画は成り立たない。もしも少女が何の苦痛もなく祭をやり遂げてしまえばこれまでひと月を準備に費やしたことすらも無駄になる。


 計画が失敗すれば被害は一人にとどまらない。これまで築き上げた自分の信用も消える。


 これは謝ったところで許されるだろうか。いや、許されない。


 大変なことをしてしまった。


 少女が笛を吹くことを祈るしかない。


 潜入三日目は、失敗に失敗を重ねて終わる。

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