第9話 秘祭

 祭の始まる前三日間だけ、社(やしろ)の外で遊んできても良いよ。ただし、村の外に出てはいけない。村の外に出てしまえば神様が怒って村を滅ぼしてしまうからね。


 いつもご飯を運んでくる男の人に言われて初めて社の外に出た。


 いつも本を読んで想像していただけの世界が広がっていた。風に、樹に、土に、石に、空に、太陽。全てが真新しい世界。


 巫女服に身を包んだ少女は両手を広げて大きく息を吸い込み、大きく吐き出した。社の中の空気とは少し違う。冷たくて、気持ちいい。


 空を見上げる。あれが青空で、白いのが雲。本当にいろいろな形をしている。あれは社の御神体に似ている。あちらは祭壇に捧げられてる蛇様に似ている。


 視点を落として社を囲む木々を見た。


 真っ直ぐに伸びた幹は太く堅く、広がる枝は渋い緑色。落ちた葉を拾い上げ、少女は口付ける。


 匂いはないけれど、口元に砂がつく。舌で舐めれば口の中にじゃりじゃりした何かが入り込んでくる。唾と一緒に吐き出して、地面に吸い込まれる唾を見詰めていた。


 ふふっ。


 少女は笑う。世界は面白い。


 社の外周を歩いていく。社は赤い。赤かったんだ。社を囲む森は深く、先は見えない。


 不意に誰かの吐息が少女の耳を震わせる。


 足を止めた。小さな吐息が聞こえる。


 少女の視線の先、社の裏に伸びる《神木》と呼ばれる大きな木の根元に座り込む誰かが居た。首に巻いた灰色のマントに身を包む男。頭には笠をかぶっていて顔は見えない。


 男の前にしゃがみ、笠に触る。初めての感触に撫でるように触り続ける。これを上へ押し上げたら男の顔が見れるのだろうか。端をつまみ、そっと力を込める。


「お嬢さん、そんなに俺の顔が気になるのかい?」


 男の声に思わず手を引き、体を引き、尻餅をついた。しゃべった。


「驚かせたかな。それはすまない。手を、土がついてしまうよ」


 立ち上がった男の差し出す手を掴むと力強く引き上げられる。唖然としながら男を見上げる。男は笠に顔を隠したまま少女の赤い巫女服に付いた砂を払っている。


 よし、と満足気な男。下から見上げるとわずかな光に男の瞳が色を返す。


 アメジスト。少女は呟く。色の付いた本に載っていた。紫色の透き通る石。男の目にはアメジストがある。


 じっと、見上げていた。


 見上げられている男としてはいたたまれない気持ちになっているのだろう。笠に隠れた後頭部を引っ掻く。


「お嬢さん。そう、人の顔を凝視しないでおくれ。ほら、お嬢さんの顔の方が綺麗だよ」


 暖かな男の手が少女の唇についた砂を拭う。綺麗な顔に砂なんて似合わない。


 どことなく妖しい雰囲気の男に、少女は笑った。


 変な人。どこから来たの?


 警戒心の存在しない笑顔に男は気圧され息を詰まらせる。少女はだいたい十歳ほどだろう。可憐な少女がこんな村はずれの社に居ること自体もおかしなものだが、多少男に不審感を抱きはしないのだろうか。まして、顔を隠している男に。


 返事がなく首をかしげる少女へ、男はわずかに見える口元で笑ってみせる。


「俺は旅をしているんだよ。旅人っていうの。お嬢さんはどうなんだい? 親御さんも見当たらないけど」


 静かなこの社には少し前に一人男が来ただけで他に訪問者もいなければ、ここ数日で少女が来るところも出て行くところも見たことがない。


「あたしは巫女なんだ。おとーさんとおかーさんは見たことないの」


 思わず間の抜けた声が出る。


 男は少女を見下ろす。白く長い髪に金色の瞳。無邪気に笑いながら少女は男の顔を覗き込むように顔を近づける。


 陽の光に輝く金色の瞳がアメジストを見上げる。


 旅人さん旅人さん。


 意味もなくただ男を呼び続けて少女が笑う。


 白と赤の着物。巫女衣装と言われれば納得できる。だが、巫女は両親と引き離されるものか。少女の様子を見るには本当に両親を知らないのだろう。知らない生活が当たり前。


 男が見ている中で少女はまるで空気を満喫するかのように両手を広げてくるくる回る。


 あくまでも無邪気に笑う少女。


 旅人は自分の頬に手を当て、しばらく少女を眺めていた。


 落ち葉を拾い集めていたかと思えば砂をかき集めて山を作る。そうして自分の足で砂山を踏み潰す。


 輝く金色の瞳。


「小さな巫女ちゃん、君は三日後のお祭りを知ってるかな」


 少女の瞳が男へ向けられる。


「知ってるよ、あたしがしゅやくだもん」


 男は口元を片手で隠す。


 賭けだった。出来ることならば否定して欲しい言葉を少女はあどけない笑みで肯定する。


 思わず口から漏れそうになるため息を喉の奥へと押し込む。


「それ、お兄さんに詳しく教えて欲しいな」


 男は少女の言葉を待った。


 少女は迷うことなくうなずき、そして語った。三日後に行われる祭について。自分の知っているすべての知識を。


 男は全てを聞き、笠を下げた。その瞳すらも少女へ見せないように。


 男の変化には気づかないまま、少女は落ちる陽を見て男へ別れを告げる。陽が落ちる前には帰らないと司祭の人たちが心配する。


 両手を振って走る少女へ片手を振り返し、やがて姿が見えなくなると男は頭の笠を取った。


 紅色の髪が夕方の風に揺られ流れる。



 潜伏一日目が、終わった。

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