第2話 仕事風景

 机に顔を押し付けて彼女は唸っていた。


 今日は青色の頭は机より上に上がらない時間が長い。獣のような唸り声が二人しかいない作業用の部屋に反響する。


 うるさいと声をかけても彼女は反応を返すどころか顔を上げることさえしない。


 始業してから何時間も経っているというのに彼女の机に山と積まれた書類は二、三枚ほどしか減っていない。このままでは明日の業務が二倍となることが容易に想像できる。


「いい加減にしろ、遥。切り替えて仕事しろ!」


 机を叩いて脅すように声を張り上げても彼女は意に介さない。龍騎はため息をつくと煙草の箱を雑に引っ掴んで服の中へと入れた。立ち上がると青色の頭は持ち上がり、龍騎を見やる。


「どっか行くの?」


 怒鳴られても気にしないのだが、こういう時ばかりは気にする。彼はため息を押し殺した。


「一服だよ。お前のせいで仕事が進まねえ」


「帰ってこなくていいわよー、ってらーしゃーい」


 相変わらずの軽口。そんな元気があるなら手を動かせ。


 今は真面目な諫言すら聞いてもらえないだろう。諫言を飲み込み、煙草を持った片手をゆっくりと振って彼は仕事をする部屋を出て行った。


 遥の視線が背中に注がれていることをなんとなく感じながら。



 龍騎の居なくなった広い仕事部屋。


 遥はのそのそと体を起こす。億劫に思いながらも山を作る書類の一枚を自分の前へと引きずり下ろす。腹部に角ばった石を入れられているようだ。男にはわからない苦痛だが、だからこそもっと優しい扱いを期待していた。


「もうちょっと手伝ってくれても良いのに」


 ぶつぶつ。文句を言いながらも手は動く。先程までの作業スピードからは考えられない早さで進む書類処理。少しだけでも構ってくれれば、このスピードで仕事をするのに。


 

 龍騎が一時間という長い一服から帰って来た時には仕事部屋には書類一枚も残されていなかった。買い物袋を片手に、彼は唖然とした。


「あ、おかえりなさい隊長」


 部下のひとりが部屋の前を通りかかり、扉を開けたまま唖然とする龍騎へ声をかけた。


「遥……、いや、総長はどこいった?」


「仕事が終わったから遊んでくる、と叫びながら外に走って行きましたよ。すぐに戻ってくるとは思いますが」


「すぐ戻ってくるだろうな。ありがとう」


 総長の机に買い物袋を置く。がさり、中の品物が揺れる。体調が良くない彼女はすぐに遊ぶのを諦めて帰ってくるだろう。


 そう、今すぐにでも。


「ただいまー。あ、龍騎帰ってきてたの」


「ああ、悪いけど外仕事の時間だから外に行ってくる」


「いいなー羨まし」


「やる気になりゃ出来るんだ、さっさと書類終わらせろ。外仕事が早く終わったら夕飯ぐらい作ってやるから」


「お肉ね」


 すれ違いざまに楽しみにしてる、といった彼女は机の上の買い物袋に気付き袋の口を広げた。


「あ。……龍騎!」


 名を呼ばれ振り返った先には満面の笑みを浮かべた自分の妻が居た。


「ありがと! 夕飯楽しみにしてる」


「……外仕事が早く終わったらな。行ってくる」


 彼はすぐに目を反らすと外仕事へと向かって歩み始めた。


 その後ろ姿を見送る彼女はやはり気付いていた。


 彼の耳までもが赤くなっていること。彼が誰よりも自分に優しいこと。


 

 彼が持ってきた買い物袋の中には体を温めるための道具と、そして女性だけが必要とするような薬がいくつか乱雑に放り込まれていた。


 

 そしてその日の夜。


 やはり龍騎はいつもより早く帰宅するといつもより食べやすく調理された、体に良い夕食を彼女の前に並べた。

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