藤の花
つきしろ
第1話 月見酒
月が綺麗な夜は酒が恋しくなる。
縁側に腰掛けて、一人空を見上げる。黒いキャンパスに丸い白色が描かれている。横から流れるように継ぎ足される灰色が引っかかれば白は消されぬよう光を広げる。朧気でありながらも確かな光が灰色を浮き立たせる。
綺麗だ。
片手で支える杯を口元で傾ければ透明の雫が喉を通り、何も入っていない腹を熱くする。何も食べていない状態で強い酒を腹に入れるのはよくなかったか。だが、これはこれで心地よい。
「あら、珍しいわね」
隣に青い髪の誰かが並んだ。風呂に入ってきたのかいつもまとめあげている髪を下ろしている。どことなく色気を感じるのは気のせいだろうか。気のせいだ。
こいつに色気を感じることがあったら俺の感性も落ちるとこまで落ちたことになる。いつものことながら自分の失礼すぎる思考に思わずクスリと笑う。
失礼なこと考えてるでしょ。
隣に座りながら酒に手を出し不満そうに眉を寄せる。寝る前なんだからあんまり飲むなよ。俺の言葉なんていっつも聞いてくれやしない。
俺が持っていた杯を奪われ、残っていた酒を飲まれる。次の瞬間には酒を足す。なみなみと注がれた強い酒を迷わず喉へ通す。酒が生み出す熱に感じているのか強く目を閉じる。
「良いお酒ね」
「昨日商人が持ってきてくれた。東の酒なんだと」
「東ね、あの面倒な国でしょ。お酒は美味しいのに」
ぺろり、と唇を舐めて神妙な顔をする。
東の国は先日国境付近で紛争を起こした国だ。大事にこそならなかったが、兵士が割かれ、苦労させられた。東の国の中でも小さな集団が起こした紛争であり、小規模だった。だが、東の国の人間一人一人がやたら強くひどく苦戦した。
「俺は好きだよ。義理堅くてさ」
自分たちにとっては『敵』でしかない人だったが最後まで『国のため』『家族のため』という意思を崩さなかった姿には好感さえ持てる。俺の部下たちがそこまでできるかと聞かれると――自信がない。
「義理堅くて利用しやすい?」
「そうそ、違うよ。変なこと言うな遥」
「あはは、龍騎はお人好しだからそんなことしないか」
嫌味のような言葉。毎回嫌味はあちらからやってくる。遥から杯を奪い、酒も取り返すと至極嫌そうな顔が返ってくる。残ったわずかな酒を一気に喉へ通す。
ああ、熱い。
不満そうな遥は嫌いじゃない。こう言うと毎回拳骨が降ってくる。だから言わないけれど、どうやら心の声が漏れていたらしい。口には出していないはずなのに拳骨が降ってきた。
わざとらしく痛いと言えば楽しそうな声が返ってくる。この酷い妻は俺が痛いと言えば喜び、楽しいといえば不機嫌な顔をする。厄介な性格をしている。空を見上げれば白の丸が灰色に消えかけている。
さあ、夜も更けた。寝ようか。
「おっとうさーん!」
寝ようかと若干浮ついた頭を持ち上げ立ち上がろうとすると背中に強い衝撃を受ける。中途半端な姿勢だったからか踏ん張ることも受身を取ることも出来ず、庭に転がった。
縁側から二人の大笑いする声が聞こえてくる。
妻の性格が遺伝した。
手についた泥を叩き落とし、服についた泥も叩き落とす。振り返れば妻と同じ髪色、目の色をした少年がさわやかに笑っている。
「琉斗、母さんの真似するなってあれだけ言っただろ。というか寝たんじゃないのか」
「あははは! お父さんがお酒隠してたから今日は起きてると思ったんだ」
「琉斗、そういうことは私にも言わないと駄目じゃない」
「あ、ごめんなさい」
「言わなくていい、むしろ言うな」
ふ、と目が合った瞬間三人で笑い合う。
楽しいのはいいけれど、もう一度風呂に入らなければいけないのは非常に面倒だ。今日は琉斗を寝かせ、遥に寝てもらおう。
叱りつけるのは明日だっていい。明日にしよう。結局毎日叱るようなことは出てくるんだ。
庭から月を見上げれば薄い雲にかかった光が淡く広がっている。
これからは酒を隠すのやめよう。遥か琉斗にバレて風呂に二回入る羽目になるのだから。
「龍騎、お風呂三人で入る?」
「馬鹿か。お前ら二人でさっさと寝ろよ」
俺の手から離れた酒はいつの間にか遥の手の中にある。
また奪い返さないと。
ため息は尽きない。
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