第20話 餞別
(……ぱ、パパって言ったのに、逃げるんだ、先に)
”パパ”へ何かを期待した憶えはないが、予測不能の行動に、幽鬼がそこにいるにも関わらず脱力してしまった。
それでも、望まずとも失った温もりに、袖のない右腕が寒さを訴えたのを受け、我を取り戻して幽鬼へ向き直った――矢先。
至近の幽鬼が閃光に包まれた。
「熱っ!?」
眩さに目を細め、襲う熱風に数歩下がる。
ひんやりとした夜気を背に受け、もう一度幽鬼を見れば、炎に巻かれてもがいていた。手当たりしだいに腕を振るため、近くの外壁が半壊。そこから悲鳴が上がった気もするが、まるで意思を持つように執拗に幽鬼へ絡みつく炎と、花と血の腐臭が焼ける臭いから意識を逸らせない。
と、暴れまわる幽鬼が突如、こちらへ突進したのを見て取り、慌てて避ければ白い手と豊満な胸に背後を取られた。判別しようとする合間で、幽鬼が丁度キフが逃げた方向へ、炎を纏わせたまま走り去っていく。
「あらあら、奴さん、どこへ行く気かねぇ?」
「く、クァンさん?」
肩に置かれた手から逃れて向き合えば、小さな角を額に携えた、長い白髪の鬼火。
気だるげに髪を掻きあげては艶やかに微笑む、魅惑的な肢体の女。
鬼火で、女。
一夜の内で出会った、よろしくない住人の特徴を取り入れたクァン。
彼女は害を及ぼさない、違うんだ、そう思おうとしても、奇人街の住人には何かしら思惑が含まれているはずと心の内が囁く。
――あのワーズでさえ、人間であるという理由で泉を助けてくれたに過ぎないのだから。
そんな風に思ってしまうのは心苦しいが、シイへの態度は忘れられるものではない。
踏まえ、泉が警戒心剥きだしで対峙したなら、クァンは面白そうな顔で目を細めた。
その仕草すら裂かれた鳥人の女を髣髴とさせ、
「ひっ」
情けない声に合わせてクァンの身が炎に巻かれた。
一歩後ずさったのと同時に、炎が彼女の右手に収束し、鞭状となって泉へ襲い掛かる。
かと思いきや、脇をすり抜け、後ろから上がる閃光。
恐る恐るそちらを見たなら、一軒ほど先で幽鬼が炎に巻かれていた。
「いーずーみー?」
名を呼ばれ、もう一度クァンへ視線を移せば、額に軽くチョップされた。
痛くはないが、ムッとする。
「何するんですか、クァンさん」
額を擦り擦り口を尖らせると、クァンの細い眉が上がった。
「なーにが、何するんですかぁ、よ。人を散々パシらせといて、今になって変な警戒してんじゃない」
言われてみればその通り。知り合ってからの数日間、性別ゆえにワーズには頼めない物を用立ててくれたのは、クァンだった。抗議の余地があるとするなら、クァンを利用したのはワーズという点のみ。滅多に入らない食材を格安で売るという条件で、泉――に限らず、人間の女が使いそうな物、好みそうな物、不要になりそうなモノまで、多種多様に細々と買い集めさせたワーズ。あそこまでさせておいてタダにしない辺り、住人をどこまでも嫌う姿勢がヒシヒシ伝わってきたものだ。
「あ……と、すみまへふ」
少しは警戒を残しつつも素直に謝ったなら、今度は両頬をひっぱられ、ぐにぐに回される。やはり痛くはないが、されるがまま呻いた泉は、放されて後、左手で代わる代わる擦った。
「ヒドイでふ。謝ったのに」
「あらん? これは親愛の証明よ。ありがたく受け取っておきなさいな。……って、ちょっとアンタ、怪我してんじゃないの。これで幽鬼だらけの場所歩くって、無謀過ぎるよ」
「うう……大丈夫です! クァンさんこそ、こんなところで何やってるんですか? もしかして、クイフン狩り?」
尋ねたならクァンは一瞬きょとんとし、苦い顔をしては頭をがりがり掻く。
「幽鬼ねぇ……アレは鬼火じゃ狩れないんだよ。ぱっと見、柔らかそうな皮膚だが、最大火力を巻き付けても火傷一つ負わせられない。だってのに、馴染みの客が風邪引いたってんで、見舞いに来たらコレだもの。ヤになるよ、全く」
「風邪……引くんだ、奇人街の人でも」
ぼそりと呟くとまたクァンの腕から炎が伸びる。追う先には幽鬼がおり、しなやかな鞭状の火に巻かれてはもがき、通路先の下へ転落していった。
幽鬼は狩れずとも退ける術は心得ているらしい。
手馴れた様子をしばらく見つめる泉だったが、はっとして辺りを見渡しつつ問う。
「あ、そうだ。クァンさん。この辺で猫見ませんでした? 近くにいるって話だったんですけど。あと……シイちゃん、とか」
奇人街でも一目置かれるパブ経営者のクァンは、住人をよく把握しているという。
史歩やクァン自身から得た情報は正しく、名前を言っただけで猫とシイの情報が得られた。
「猫と、シイってあの死人かい? あいつらなら近くで見た気がしたけど、アタシも逃げるので精一杯だったから……そうさね、記憶違いでなけりゃ、そこの通路を右に折れて真っ直ぐ行った先だ」
「ありがとうございます!」
「お待ちよ。何だったら手伝ってやろうか?」
狩れずとも回避できるクァンに提案され、けれど泉は迷うことなく首を振ってみせた。
住人だからという理由ではなく、幽鬼に襲われる可能性の高い自分のせいで、クァンが殺される可能性を恐れて。彼女のためではなく、自分のために。
ダメ元で訊いた、シイの所在まで分かった。
今はただ、すぐにでも駆け出したい。
するとクァンはそんな泉の心情を図ったように、あっさり頷いた。
「そう? ま、何事も強制じゃいけないもんねぇ。死んだらそれまでってのは口惜しいけど。っと、そだ!」
「はい?」
走り掛けた身体を止めて振り向けば、意味深な微笑みを浮べるクァン。
「ねえ、アンタ。これ終わったらウチに来なさいな。サービスするわよぉ?」
「ど、どうも……」
そう返すしかない。
あの鬼火の男や鳥人の女と違い、クァンが泉へ害を与える存在でないのは確かだろう。
しかし、彼女の店には客もいるのだ。
奇人街の住人が。
そしてそれはきっと、友好的とは程遠い連中だ。
中にはクァンやシイのような心根の者がいるのかもしれないけれど。
(……助けて貰ったのだし、一度は行った方が良いのかしら?)
妥協点を見出しては、そんな考えが浮かんでしまう。
再度、クァンへ軽く頭を下げて礼をすれば声が飛んできた。
「あんまり無理しないでよぉ? アンタ一人の身体じゃないんだから」
「……はあ」
妙な言い草。
そういやこの人、経営する店へ自分を引き抜こうと躍起になっていたっけ。
しかも、唄が気に入った、とかいう理由にならないような理由で。
ウインクまで貰ってしまい、泉は愛想笑いだけを返して走り出した。
とにかく、今は猫、そしてシイを見つけるのが先だ。
問題は後回しにして、クァンの示した路を進む。
一本路であっても曲がり角が多く、狭い路を走っていけば、前方に広い通りが見えた。
通りを挟んだ向かい側に続く路も、共に。
広い通りには幽鬼がつきものだが怯む足はなかった。
幸いにもこちらと向かい側の間に生白い姿はない。
今なら一気に通り抜けられる、そう考えて足に力を込めた――直後。
ぬっと顔を出す生白い肌。
「ク――――ぐっ!」
幽鬼を認めたのと同時に、泉は口を塞がれてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます