第19話 パパの全力

 とりあえず、整理しよう。

 自分は今、シイを助けたいが為、幽鬼という化け物を退治できる、猫を捜している。

 場所は南西。

 大雑把だが、クイフンが好物な猫のこと、近くに行けば派手な立ち回りをしているだろう、と木の老人・ラオが指差し教えてくれた。

 ついでにシイの現在位置も聞いとけば良かった。

 今更ながら後悔が過ぎるがどうしようもない。

 あの子どもが逃げ続けてくれていることだけを信じよう。

 最悪は考えずに。

 気遣ってくれたワーズを思ったなら、後で礼と謝罪をしなければ。

 シイを助け、無事に芥屋へ辿り着くところまでを思い描く。

(…………えーと)

 色々考えてみたが、そろそろ息苦しくなってきたので、ひとまず左手で思いっきり厚い胸板を押した。思いのほか簡単に離れた胸を見て、自分が怪力になった錯覚を受ける。

 それでも背に回った腕は離れず、嵌めているであろうゴツイ指輪の撫ぜる感触が、服越しに伝わって痛い。

 奇人街の住人には、幽鬼が現れてから散々な目に合わされ続けていたので、元々底辺だった信用は地に埋まりかけている。だが、少しばかり目線を上げた先の、滂沱に咽ぶ赤いオールバックの中年を見ては、口角が引きつるのみ。

「……」

(この人、何て言ったっけ?)

 鳥人の男や目測り、記憶は鮮明であるにも関わらず、濃いキャラゆえか失せた名前。一応、顔見知りではあるものの、抱きつかれるような関係ではないため困惑が先立つ。

 一番困るのは、彼は確か、女性に興味はないと胸を張っていたはずで、それなのに髪や背を撫でる手つきが艶かしく、どう対処して良いのか分からないこと。

「ううう……お嬢さん、怖かっただろう、あーよしよし」

 不憫な子、と言ってまた抱きしめられ、頭をすりすり頬ずる中年。キツい香水の匂いを嗅ぎ、くしゃみを堪えながら、泉はもう一度その胸を押して解放を得る。

「あ、あの!」

「そうかそうか、怖かったかー」

 うんうん頷いては、背中に腕を一本残したまま、中年が前髪を撫でてくる。

 馴れ馴れしいこの様子に気持ち悪さが倍増していった。

「あの、すみませんでした、ぶつかってしまって!」

 謝罪とは裏腹に、身を捩って一刻も早く中年から逃れようとする泉。

 意識してか無意識かは分からないが、中年の動作は心音に合わせて鈍痛を返す右腕を回避している。触れようものなら痛みを理由に突っぱねられるが、労わるこの様子にいまいち強く出られない。

 セクハラだと訴えても、彼の好みは女ではないというから効果は得られない気がした。

 かといって、べたべた撫で回されるのも御免だ。

 確かに、十字路の横合いから現れた中年の腹へ、思いっきり拳を埋めてしまったのは悪かったと思う。前方不注意であったし、早く走るため振っていた左の拳が、大の男を沈める威力を発揮するとは想像だにしなかった。

 けれど、どさくさに紛れて折った身体の内へ泉を引き寄せ、呻き咳き込みながら抱き締める必要があるのか問われれば、ないだろう。

「ええと、その、そろそろ放してくれませんか!?」

「ううん、つれないねぇ。お嬢さんがお坊ちゃんじゃないのが残念だが、せめてもう少しの間だけ、おじさんに若い子のピチピチのお肌を堪能させて頂戴な」

「い、嫌です!」

「あんっ、つれないっ」

 更にすり寄せられる中年の身体。

 さすがに身の危険を感じ、今まで我慢した分を上乗せして、左でもってアッパーカットを綺麗に決めた。

「かふん」と間の抜けた音が分厚い唇から漏れ、中年が仰け反る。

 一瞬の解放を逃さず、泉は謝りながら先を目指し――左手を些か乱暴に取られては、腹に回った腕ごと中年へと押し付けられる。

(こ、殺される!? 二回も殴ってしまったし……)

 浮かぶ不穏に青褪めると中年が楽しそうな声を上げた。

 殴られたにしてはやけに明るく、

「ふっふっふ……このキフ・ナーレンを二度も屈服させるとは。やるねぇ、お嬢さん。よし、君には特別に、私のことをパパと呼ぶ権利を進呈しようじゃないか。ママはさすがにキツいからね」

「いや、いらないです」

 即座にお断りする。

 それでもめげない中年ことキフは、にかりと白い歯を薄暗い街灯で光らせた。ただし、頭上のソレは泉から一切見えなかったが。

「素敵な拒絶をありがとう、お嬢さん。ところで、どこへ行こうというのかね。君は芥屋の従業員だろう? こんな幽鬼がうじゃうじゃいる街中を歩き回るなんて、店主がよく許したね。しかもこの腕、見るからに痛そうじゃないか。この血の匂いといい……」

 矢継ぎ早に言いつつ、白い包帯の上で鼻を鳴らして匂いを嗅ぐキフ。

 変態臭い動きに喉が「ひぃ」と鳴くが、その眉が顰められたのを見ていぶかしむ。

「な、何か問題でも?」

 上擦った声音で、行動全てが問題なキフへ尋ねた。

 キフは腕から顔を離すと「ふむ」と唸った。

「変わった血の匂いだね、君。ただの人間のはずだろう?」

「ただの」という部分に引っかかりを覚えるが、自身を「一応」と前置き人間と称する店主を思い出した。ワーズの血が「ただの」人間とは何かしら違うと思えば、すんなり受け入れられる。その理解が、彼の店主を不快にさせるという想像はさておき。

 とはいえ、そんな嗅ぎ分けの出来るキフは、外見にこれといった特徴がないため、何と判別はつかないが人間ではあるまい。それこそ、ただの人間に血の嗅ぎ分けができるとは思えず、同族をわざわざ人間と区切る必要もないはずだ。

 踏まえ、けれど答えにはならない脳裏に浮かぶ、幼い顔。

「シイちゃん……いえ、死人の血でクイフンを避けていたので」

「ああなるほど……お?」

 納得しても離れない腕から、不意に緊張が伝わってきた。

 何事かと見上げれば、にやけた中年の顔がそのまま固まっている。

 青い目が一点注視したまま動かない。

 その先を辿って前方を向いたなら、剥き出しの歯が笑う。

「クイフ――」

 噂をすれば何とやら、黄色い視線は被さるキフではなく、泉へ熱心に注がれており、

「きぃやあああああああああ!! たっすけてええええええええぇぇぇぇ――……」

「へ?」

 素っ頓狂な叫びに合わせ、身体が解放された。軽くなった身の上を喜ぶよりも驚きが先立った泉。振り向いた先で、両手を挙げて走り去っていく、ふざけた後ろ姿を茫然と見送る。

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