第7話 ささやかな抵抗
破損したブラインドから、夕陽で和らぐ光と共に、一つの影が降り立つ。
息を呑む泉の前に現れたその影――小さな闖入者は、勢いを殺さず泉に近い幽鬼の胸半分を腕ごとえぐり断った。
その素早さに対応できず、呆気なく崩れ落ちた幽鬼の頭を掴んだのは、
「ま……シイ……ちゃん?」
てっきり猫だと勘違いした泉は、夕陽に照らされたその正体に目を丸くした。
床を貫こうとも傷一つつかなかった幽鬼の皮膚。これを裂いたばかりか、断ち切った力は猫に近いものだが、姿形はどう見てもここ最近泉が気にしていた子どものソレ。
そんな彼女を背に、残る二体と対峙するシイは、手にした幽鬼の頭をその身体ごと投げ捨てる。
無造作に投げられた幽鬼の生死は不明だが、気にする暇もなく、同胞を前にした二体はこれを邪魔だとばかりに手で払った。まるでハエを追い払うような手つきで、別々の方向に払われた幽鬼は、嫌な音を立てて左右に分かれた。内臓の類が周囲に散らばり、一層濃厚な、不快な臭いが漂う。
更に悪くなる気分に怯みながらも、泉は肩を大きく上下させるシイを見た。
(何だろう、何か……変だ)
充血した瞳に、剥き出しの犬歯。スエの血を求める時に見たのと同じ形相ではあるが、横顔には動揺が見てとれた。
そうして思い至るのは今の状況だ。
壁を破らねば閉ざされているスエの住処では、泉の危機に飛び込んできたわけでもあるまい。第一、すでに一度、吸血を断った相手をわざわざ助ける義理もないはずだ。
そうして達する結論は、シイがスエの血を再度求めたが故に助かった、偶然。
史歩は他でも良いと言っていたが、こうして訪れる辺り、スエの血はシイにとっては格別なのだろう。
人間、外見じゃないんだな、とこんな場面で変に感心する。
ともかく、だというのに泉を助ける形となったシイは、目当ての血の持ち主も見えない場面で、幽鬼と対峙しているのだ。目の前で泉にはない力を見せつけられたとはいえ、シイはまだ子どもであり、倒した一体はどう見ても不意打ち。まともに、それも二体同時に相手をするのは分が悪いだろう。
だからこその動揺。
辿り着いた結論。これを踏まえて、痛みに引きつる喉から言葉を搾り出す。
「シイちゃん…………逃げて」
本当は、「助けて」と続けたかった。
泉より幼いシイに言うべき言葉ではないが、泉とて死を覚悟できるほど生きてはいない。
それでも助けを請うことができなかったのは、年上のつまらない意地と、悔恨から。初めて出会ったあの時、逃げずに血をあげていたのなら、こんなに苦しませることはなかっただろう、と。
泉のそんな思いを知ってか知らずか、シイの肩がビクッと揺れた。
もう一押しで願い通り逃げてくれそうな反応に、泉はもう一度、その名を呼ぶ。
「シイ――」
だが、言い切る手前でシイに迫る幽鬼に目が奪われた。
手に、何かを持っている。
ソレを判別する前に、シイが振り向き様、泉に向かって駆けてきた。
抱きつかれ、混乱する内に沈む感覚、後。
また、凄まじい音と共に破片が舞う。
勢いに開いたこげ茶の瞳が、横たわる鈍い黄色の夕陽にあぶられる。
暗がりからいきなりの明るさを受け、涙を滲ませた目を細める、その中で察した。
シイに抱えられて、己が宙にいることを。
頬を弄る風は少しばかり喉へ違和感をもたらすが、一瞬のこと。そこにいつかの澄んだ夜の空気が混じれば、間髪入れずにまとわりつく夕闇の気配が不快を拭い去る。
それに驚きと、呼び起こされた嫌悪を抱く間もなく、揺れる視界。
「くぁっ!」
「シイちゃん!?」
小さな身体が仰け反り、バランスを崩した。
何事かと探す間もなく見つけたのは、宙を過ぎる引き千切られた幽鬼の手。
瞬間的に思い出される、シイに抱えられる直前に見た、何かを手に持つ幽鬼の姿。
(仲間の、手を?)
無慈悲且つ正確な投擲に戦く――間もなく、
「ぐっ!?」
高所から投げ出された衝撃が身体全体に掛かった。
ぐんっと引っ張られる勢いに、裂かれた右腕が更なる傷の深まりと増した痛みを訴えた。
ともすれば気を失いかねない激痛に、泉は歯を食いしばって耐える。
最中、柔らかな感触に下を見た。
そこには、追撃を受けながらも庇ってくれたのだろう、下敷きになった小柄な姿。
「シイちゃん!?――くっ」
急いで退ければ傷が響いたが、構っていられず、牙を剥いたままのシイの名を呼ぶ。
「シイちゃん、シイちゃん、シイちゃんっ!」
数回繰り返せば、うっすら夜色の目が開いた。
「良か――」
ごぎゅるぎゅるぐるるるるるるるるる……
安心したのも束の間、もの凄い腹の音に、泉はどうしたものかと頭を抱えた。
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