第8話 猫好き剣士

びたんっ


 前触れもなく、いきなり居間に倒れこんだワーズの背に、草履の足が少女の姿を伴って現われたのだ。

 否、ワーズを蹴り倒した勇ましい顔つきの少女が、彼の背を踏みつけたまま啖呵を切る。

「おいこら、従業員! どういうつもりだ!?」

 薄暗い室内に煌く銀。

 疾風の如き速さに何かと思えば、時代劇の産物、刀だ。ただし怜悧な得物は素人目にも模擬とは思えないほど、美しい。

 なぞればすっぱりいきそうな先端を向けられ、泉の喉がビクついた。少女が立つ位置からソファまで、大股でも三歩ほどかかりそうな距離なのに、凍てつく切っ先が顎下に突きつけられている錯覚に陥る。

「あ、あなたは……?」

「悠長に自己紹介なんぞしてやるものか! 猫を従えやがって!」

 言って、どすんとワーズの背を力強く踏みつける少女。先ほどはなかった潰れた声が、「ぐえ」と鳴った。併せて腿の重みがなくなっても、目の前の少女が恐ろしく、泉は視線を逸らせない。

「吐いてもらおうか。お前、猫をそこまでどうやって手懐けた!?」

 袴姿の美人さんで猫にぞっこん――じゃあこの人が?

「シホ……さん? っきゃあ!?」

 烈風の如き速さで間合いを詰めた腕から、勢いよく刀の煌きが放たれる。猫が咄嗟に弾いてくれなければ、間違いなく首と胴が離れていただろう。

 少女の横暴に猫が「みー」と鳴いた。

「う、ううううう……ひ、卑怯だぞ! 猫に助けて貰うなんて!」

 言いつつ、少女が猫との間合いを設けて退いた先、

「史歩嬢……げぇ……」

 起き上がろうとしたところを、これまた踏みつけられたワーズが、情けない声を上げた。


 草履を脱いだ史歩が椅子に腰を下ろしたため、泉もソファに座り直した。史歩が土足で上がった床は、ワーズが手早く拭いており、彼女が来る前より少しばかり光って見えた。

「えと、綾音泉です」

神代かみしろ史歩しほだ」

 むすっとしたまま目線を合わせない横顔に、ごくっと喉を鳴らす。

 先ほど振るわれた凶器は、鞘に収められているとはいえ、素人の泉でも分かる、一触即発の空気。

 二人を隔てる食卓の上に猫がいなければ、自己紹介さえ交わせなかっただろう。

「はいはーい、お待たせ」

 そこへ現れたのは、お茶を盆に乗せたワーズ。お茶を淹れなおしたカップを泉へ、湯飲みを史歩へ渡し、自分は台所を背にカップをズズズ……と啜る。

 てっきり助け舟でも出してくれるのかと期待した泉は、傍観する姿勢に内心落胆した。

 気を取り直すつもりで、含んだ茶に、「ほぅ……」と息をつく。

 これを咎めるように、目だけで泉を射る史歩。

 それだけで、またしても泉の喉が引きつった。

 だが史歩は、続け様に怒鳴りつけるでもなく、それどころか大仰なため息をつき、

「なんでこんな弱い奴が……弱いからか?」

 打ちひしがれたように自問自答を始めた。

 考えに沈む史歩の姿からは目を離さず、なるべく静かにワーズの元へ身を寄せる。

「あの、ワーズさん。あの人、いつもあんな感じなんですか?」

「んー? 大体あんな感じだね。特に猫のことになると、聞く耳持ってくれなくなるね。ボクも前に猫を食べたいなって、ぼやいただけで斬られたし」

(…………何のお話デスカ?)

 論点がズレた話に、「酷いよね」と同意を求められても、泉は沈黙しか返せない。

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