第9話 空腹の時間

 白い上着と濃紺の袴を身につけた史歩は、なるほどワーズの言う通り美人であった。

 ただし、全体的に荒くれ者の空気がついて回る。

 艶のある黒髪は襟足から切られており、しかも乱切り状態とでも言うべきか、切り口が一定していない。まるで、邪魔になったところを刃物でただ削いだような髪型だ。目元は単体であればたおやかな黒い瞳なのだろうが、終始釣り上がった眉と刃と評して余りある眼光の鋭さが、近寄りがたい雰囲気を作り上げている。

 加えて、姿勢の正しさに反し、横にした片足を椅子に乗せ、左手は常に刀を掴んだまま、据わった眼で湯呑みを口にする様は、時代劇の狼藉者を彷彿とさせた。

 湯呑みの中身がお茶と知っていても、気安く声を掛けられる人種ではない。

 そんな風に泉が思っていれば、飲み終わったと思しき湯呑みを食卓へ乱暴に打ちつけた史歩が、考えに耽っていた顔をソファに向けては目を剥いた。心底驚いた面持ちで固まった姿は、すぐさま動きを取り戻すなり、台所に身を寄せる泉を凝視する。ついついワーズを盾にした泉は、軽く唸る声が「いつの間に……」と呟いたのを聞いた。

 どうやら考えに没頭するあまり、周りが見えていなかったらしい。

 バツの悪そうな顔をした史歩は、これを払拭するようにぶっきらぼうに言った。

「飯」

「へ?」

「飯だ飯、昼飯! 食べないのか?」

「え、でも、さっき朝ご飯食べたばかり――」

「ん? そういえば、もうそんな時間だねぇ」

 自分より多く食したワーズの、呑気な言に主張を掻き消され、泉はおもむろに腹へ手を当てた。ソファに腰を下ろした時とは違い、食後の感覚が綺麗さっぱり消えている。

(さっき食べたばっかりなのに)

 そんなに食い意地が張っていたかと半ば呆然としてしまう泉。

 すると史歩が、黒髪をがしがし掻いて言う。

「お前……まだ感覚が慣れてないんだな」

「感覚?」

「そうだ。奇人街の陽は光の変化に乏しいからな。慣れない内はヘタに没頭すると時間の感覚を失う。だから来た当初や、繊細過ぎる奴だと、身体は空腹を訴えても心がついてこない」


ぐぅ……


 肯定するように腹の音が鳴り、泉は恥ずかしさから顔を赤らめた。

 分かったか、と言わんばかりに鼻を鳴らした史歩は、ワーズへ目を向けた。

「で、飯は?」

「作るよ。……泉嬢が」

「うん? 珍しいな、店主。世話好きのお前が人間に調理させるなんて」

「んー、ボクの選ぶ食材が気に入らないんだって。心配しなくても、美味しいのに」

 ねぇ、と同意を求められた史歩は、どう答えたものか迷ったように頬を掻く。気兼ねなしにワーズへ飯と言うからには、彼の作る物に抵抗はないのだろうが、食材に関しては彼女も思うところがあるらしい。

 とにもかくにも、まずは昼飯と動きかけた泉だが、はたと気付いてはワーズを見やった。

「ええと、神代さんの分も、ですか?」

 目の前でする話ではないと思いつつ、流れで作っても良いのか尋ねると、返事は史歩の方から返ってきた。

「ああ、私の分も頼む。元々そのつもりだったしな。猫があんまりにも懐いてたから、ちょっと我を失ってしまったが」

 たかりに来るのが目的というのも何だが、危うく首を刎ねられそうになったのを“ちょっと”で済ますのも何だ。あれで“ちょっと”なら、本気だとどのくらい凶暴なんだろうか、この少女は。

「それと、私のことは史歩で良いぞ、綾音。苗字で呼ばれるのは慣れてないからな」

「はあ。それなら、私も名前で――」

「いや、いい。私にとってお前は敵だ。馴れ合うつもりなぞない」

 座ったまま、鞘越しに刀の先端を突きつけてくる。敵とはどういう意味か察せずにいると、食卓の上で猫が伸びと欠伸をし、これを横目で捉えた史歩が、泉の存在を忘れて恍惚の表情を浮かべながら、そちらへ熱い視線を注ぎ出す。動物が好きというより、恋い慕うに似た風体に引きつつ、奇人街ではこれも普通なのかもしれないと思い直した。

 それでも、ふと疑問を口にする。

「ワーズさん、猫って雄、ですか?」

「んー……無性だよ。正確には違うけど。まあ、無性だから、史歩嬢の想いも届かない」

「どっちかって言えば、なんだか面倒臭そうですけど」

「だろうね。猫は束縛嫌うから。だから史歩嬢、余計に君が妬ましいんだ。猫が君を気に入ってるからさ」

「はあ……」

 どう考えても恋愛対象になり得ない猫を巡って、恋敵と宣言されても、曖昧な返事しか出てこない。

 カップを回収する黒い背と前足で耳を掻く猫、それをうっとりと見やる袴姿へ溜息をついた泉は、昼飯の用意に取りかかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る