第2話 使いっ走りの経営者

 ――待っててね、今、朝飯作るから。

 ぱっくり開いた赤い口が閉じる前に、冗談じゃないと叫ぶ。

「待ってください! 私が作りますから!」

 昨日の今日である。

 知らず平らげてしまったモノを思い出せば、他人の台所とはいえ、任せてなどいられない。また何を入れられ、食わされるか、分かったものではないのだ。

 そんな泉の必死の訴えは、思いのほか、すんなり受け入れられた――


 ――のだが。

 

(あれ? 私、自分の分だけ作るつもりだったんですけど……)

 食卓から空腹の熱い視線を背中に受け、首を傾げ傾げ台所に立つ泉。

 足下からも熱烈なマオの視線を感じる。

 釈然としない思いはあるが、この状況を作り出したのは間違いなく泉自身。勝ち取った権利を放棄するつもりもないのだから、ここは調理するしかないだろう。

(確かに、朝ご飯前の他人様の台所を借りた上に、食べ物まで譲って貰ったのだから、私が作るべきよね)

 ついでに自らの行動を省みた泉は、そう結論づけると、調理台に乗せた材料へと手を伸ばした。

 とはいえ、そんな材料を揃えたのは、当然ながらワーズである。

 もちろん、調理するに当たって泉が一つ一つ確認したため、人の腕の形をした食材などは含まれていない。

 だが、出所が全て店から持ってきた物となれば、売り物なのに、と心配が先立つ。

 そんな泉に対し、ワーズは店主を名乗った割に、他人事のように「構わない」と言った。

 ワーズによると芥屋シファンクは食材含め、調味料・調理器具、その他料理に関係する物に困らないように出来ているらしい。

 昨日は見過ごしていたが、店内には野菜や魚、肉の他にも、数多くの調味料が青果台側の壁に並んでおり、反対の壁に設置された吊り戸棚の中には、見知ったモノから、使途不明のモノまで、多種多様な調理器具が入っていた。尤も、普段使いの調味料や調理器具は、店からわざわざ持ち出さずとも、台所の収納棚に仕舞われていたが。

 さておき、調理環境に不自由しないと分かったところで、泉の料理の腕前はと言えば、一通り作れるものの、得意と胸を張れる程ではない。

 だというのに、昨日知り合ったばかりの男に加えて、飼育経験のない獣にまで手料理を振る舞わねばならない抵抗や緊張は、遅ればせながら泉の手に強張りをもたらした。

 けれどもそれも、最初の内だけ。

 料理という慣れ親しんだ日常の行動は、昨日から続く非日常を束の間忘れさせてくれたらしく、次第に泉の身体から余計な力が抜けていった。

 そのまま慣れた手つきで調理を進めていけば、自然にリズムが生まれてくる。

 知らず、鼻唄が零れる。


ドサッ


 そんな音が聞こえて来たのは、味噌汁の鍋蓋を開けようとして、取っ手の熱さに素早く指を引っ込めた時。

 コンロの火を消して振り返れば、開け放たれた曇りガラスの向こうで、足元まで真っ直ぐ伸びた白髪の女が、空色の瞳を見開いて突っ立っていた。女の両手の真下に大きな袋が一ずつあることから、先程の音はこれらを彼女が落としたせいなのだろう。

 つり目がちの、美女と評して間違いない女の装いは、魅惑的な身体の線を惜しげもなく晒す、下着に似た白のドレスに、デニム生地のジャケットのみ。それは色香の中にも勝気さが垣間見える女によく似合っていたが、格好が格好だけに、同性ながら目のやり場に困ってしまう。

 だが、女の額に小さな角が生えていることに気づいたなら、泉は彼女が人間ではないと察して身を硬くした。

「クァン。荷物」

 泉の様子に気づいてではないだろうが、ワーズが面倒臭そうに女へ指摘を入れる。

「え、あ、ああ……。ほれ、頼まれてたブツだよ」

 クァンと呼ばれた女は、その声に我に返った様子で、気だるげに髪を掻きあげてから、拾った荷物をワーズへ投げ渡した。

「……ワーズ・メイク・ワーズが頼んだ覚えはないけどね」

「へーへー、そーでした。コレを買って来い、さもなくばお前ンとこの客を一匹残らず猫に喰わせるって脅されたんでした。しかもご丁寧に、芥屋の金を置いていきやがって、このクソガキが」

 鼻白むワーズを睨みつけたクァンは、一転、柔らかい視線を泉へ投げてきた。

「で……アンタが新しい従業員かい?」

「へ? 従業員……?」

「そだよ。綾音あやおといずみ嬢だ」

 クァンの不躾な目よりも内容に惚ければ、先程の剣呑なやり取りとは打って変わって、肯定するワーズ。

 しばらく思考を止めた泉は、頭の悪い質問とは思いつつもワーズへ問う。

「あの、従業員、ってどういう意味ですか?」

「んー? そのままの意味だよ。芥屋の従業員は主に食材調達とか店番……とか?」

 要領の得ない呑気な応えに、泉は眉間に皺を寄せた。これを見てクァンが「ふふ」と艶っぽく笑う。

「従業員は、イヤ?」

「嫌っていうか……」

 一体いつ、自分はそんな得体の知れない職に就いたのだろう。

 居心地の悪い沈黙をどう受け取ったのか、クァンの笑みが深まった。

「ねえ、ウチで働いてみない? アンタの唄、とっても綺麗よ。久々にゾクゾクしちゃった」

 唄? と首を傾げ、鼻唄のことだと理解して恥ずかしさに赤くなる。口をついて漏れただけの曲を聴かれていたとは。評価が良かろうとかなり気まずい。

 そんな泉を他所に、ワーズがクァンをせせら笑った。

「ダメだね。泉嬢はボクのモノだから」

「! ぼ、ぼくの……?」

 衝撃的な言葉に固まり、クァンを馬鹿にした目で見るワーズを凝視する。

「あら、本人は従業員がイヤって言ってるじゃない? 第一、可愛い顔であんなに綺麗な唄を持ってるんだもの。適材適所って言葉、ご存知?」

「冗談。いたいけな人間の娘を、いかがわしい住人相手のパブなんかで働かせてたまるか」

 一瞬聞き間違いかと思った言葉に、遅れて青褪めた顔をクァンに向ける。

 浮かんだのは、不気味な住人相手に引きつった笑顔で媚を売る自分の姿。

「ぱ、パブって!? 冗談じゃありません! ここの従業員の方がまだマシです!!」


*  *  *


 ワーズを睨みはしたものの、泉に対しては残念そうに苦笑を浮かべ、クァンは思いのほかあっさり引き下がった。「気が向いたらいらっしゃい」、とクァン・シウという名と共に告げられた場所は、実質奇人街の二階部分に当たる芥屋の、斜め下の位置。

「あの人、何だったんですか?」

 妙な会話内容から、味気ないものとなってしまった食事を終え、台所に立つワーズの背に尋ねた。共に食事を摂っていた猫は、泉の足元で毛繕いをして後、用は終わったとばかりに外へ出て行ってしまった。

 洗った食器を拭きながら振り返ったワーズは、少し考える素振りで言う。

「んー、今回は使いっ走り、かな?」

 そうして水気の切れた食器を棚に戻しても、未だ首を傾げる泉を認めたなら、彼は「ああ」と手を打った。そうして「はい」とクァンが持ってきた荷物をこちらへ渡してくる。

 明確な答えを与えられなかった非難代わりに、眉根を更に寄せた泉は、それでも渡された袋の中身を確かめ、認めた瞬間に目を大きく見開いた。

「わ、わわわわわわわわわワーズさんっ!? なんですか、これ!?」

「何って、下――」

「そうじゃなくて!!」

 しれっと答えようとするのを、顔を真っ赤にして騒いで遮る。

「そ、そうじゃなくて、どうしてあの……クァンさんが? なんで私に? ワーズさんのじゃ……」

 昨日は失礼だからと言わないでおいた台詞が勝手に出てきた。それほどまでに袋の中身――色とりどりの下着の数々は、泉にとって衝撃的だったのだ。

 これに対し、ワーズは困った顔をして、銃口でこめかみを掻く。

「ボクの……? 泉嬢、ボク、女に見えるかい?」

「でも! じゃあこの水着は……」

 羞恥もなく自分の胸に手を当てれば、ワーズが苦い物を口に入れた顔つきになる。

「それは、だいぶ前に福引の抽選で貰ったんだよ。いらないって返しても、持ってけ押しつけられてさ。こっちは冷やかしだったってのに」

「そう、なん、ですか……」

 納得するしかなかった。他に言葉など浮かばない。

 疑惑が解消されても浮かばない顔の泉へ、ワーズはへらりと笑いかける。

「肌着だから洗って使ってね。なんならあの制服も洗うといいよ。あれくらいならすぐ落ちるから。それと」

 はい、と手渡されたのは、薄桃の上着と同色の簡素なズボン。

 一体どこから出したのか検討も付かないが、昨日のタオルの件もある。ワーズにとっては、何もないところから物を出すのが常識なのだろうと、未だ混乱する頭で無理矢理納得しておく。

「いつまでも男物って訳にはいかないからね」

「!」

 付け加えられたワーズの言葉に、泉は今更ながら自分の格好に思い至った。

 男物の黒い寝巻きに包まった少女の身体は、これまでよく失念していられた、それ以前に、よくこの格好でワーズや、来客であるクァンの前に出られたというくらい、酷い出来である。

 気づいた途端に恥ずかしさを覚えた泉は、身を隠すように袋と服を抱きしめると、二階へ向かって駆け出していく。

「ああ泉嬢、知っているかもしれないけど、洗濯機はバスルームと同じところだからね」

「どうもですっ」

 階段を上がる最中、のほほんとかけられた声へ、泉は叩きつけるように礼を述べた。

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