第二節 芥屋のご近所さん

第1話 新しい一日

 目覚めた先には、年季の入った木造の天井。

 自室の白い天井とは似ても似つかない木目と、しばらく見つめ合う。

 寝ぼけに訝る頭が、徐々に記憶を鮮明にしていけば、「ああ……」と声が漏れた。

 どうやら昨日の出来事は、夢で終わってはくれなかったらしい。

 逃走の末、変に開き直ってしまったせいか、突きつけられた現実を嘆息だけで確認した泉は、ゆっくり身を起こし――固まった。

 背後のカーテンで閉ざされた部屋は、陽を遮る薄闇の中で見知らぬ顔をしていた。

 てっきりソファの上だと思っていたのだが、今現在、泉を包むのは床に敷かれた布団。悔しいかな、自室のモノより手触りが良く、適温を保つ割に軽い。ここが元いた場所なら、二度寝に耽りたいところだ。

 とりあえず、状況を整理する。

 植木鉢の行方をワーズが語ったところまでは覚えている。茹で蛸の頭に直撃した事実は凄まじく、きっと自分は気絶してしまったのだろう。

 ここまでは、分かる。

 誰が運んだか、についても見当はつく。かなり恥ずかしいが、ワーズだ、きっと。長身の体格の割に性別が希薄なためか、意識がないのを狙って何かされたとは、不思議と想像できなかった。第一、黒い着衣には乱れもなく、身体にも不快はない――とまで確認し、昨日の疑惑が頭を掠める。

 実はワーズは女……。

 一瞬、あの体格、白い肌に、女性用の水着が着用された映像が浮かんだ。

 それもショッキングピンク。おまけにシルクハット、鈍い銀の銃付き。

 不審者極まりない水着姿が失礼ながらおぞましく、払うつもりで急いで首を振る。

 それより先に考えるべきことがあるはずだ。

 泉は無意識に布団から伸ばした手で、畳の感触を撫でた。

(ええと、この部屋……?)

 見渡せば、衣装箪笥と扉、窓しかない簡素な造り。狭くはないが、かといって広いわけでもない。

 判断のつかないままにカーテンを開けてみると、鈍い朝の光に照らされた瓦屋根が現われ、右には三角屋根と思しき出っ張りがある。下を見れば、向かいのみちの落下防止の柵が、瓦と平行して横に伸びていた。。

(シファンクの二階……なのかしら?)

 だとするなら、三角屋根は長さからして店部分だろうか。

 困惑する泉の前に、窓の外からひょっこり影が現われた。

 驚きに息を丸呑みすれば、影はべしべしっと窓を叩く。

「え……ま、まお?」

 止まない催促に慌てた泉は、急いで窓へ手を伸ばした。が、やけに立て付けの悪い窓はすんなりと開かず、マオも心得ているのだろう、頭一つ分隙間ができたところで、するりと部屋に入ってきた。

 こちらの労苦を気にも止めない素早さ。

「あ――げほっ」

 思わず何かしらの声を上げかける泉だが、猫と共に入ってきた空気をまともに吸ったなら、すぐさま咳き込んでしまう。土埃に排気ガスが混じったような不快さ。すっかり忘れていた外気の悪さにむせつつ、開けたとき以上に急いで閉めると、猫が泉の肩にへばりついてきた。

「なー」

「お、おはよう」

 虎サイズになれるとは思えないほど、それどころか泉の知るネコより軽い、肩にふわりと羽根が乗った程度の重み。加え、助けられたとはいえ、昨日の惨劇をもたらした猛獣と、似ても似つかない親しみに満ちた様子に、戸惑うばかりの泉。

 当の猫は、そんな泉をよそに床へ降りると、丁度布団の対角線上にある扉へ進む。

 泉はその姿をぽかんとした表情で見送っていたが、振り返った猫が着いて来いと言うように鳴いたのを受け、釈然としないままに後を追う。最中、広がる褐色の髪が視界の端にまで入ってきたなら、昨日の風呂上がり、手首に巻き付けていたゴム紐で縛り、終えたところで辿り着いた扉を開けた。

 恐る恐る先を伺えば、校舎並みに長い廊下に出た。

(やっぱり、二階だわ)

 昨日バスルームを借りた時に見た光景を目にし、やはり芥屋の二階で間違いないと確認できた泉。

 だが、疲労が軽減された今、改めて目にする廊下には違和感しかない。

 店も含めた一階の長さを縦とするなら、何故か横に長い二階。こんなスペースがあっただろうかと外観を思い浮かべれば、昨日走り回った街中の、重なり合う家の造りが蘇った。あの複雑怪奇な造りなら、これくらいは普通なのかもしれない。

 長い廊下に配置された部屋の扉は、階段を挟んで左右二つずつ。どれも扉は階段側で、反対には窓のない壁が続くのみ。泉が眠っていたのは、階段上って右手奥の部屋だ。

「なー?」

 呼び声に目線を下げると、中央の階段の前に猫がいた。

 泉を待つ姿に、そろそろと近づく。

 窓がないためか、廊下の天井には白い灯りが等間隔で点いている。それが余計に校舎の廊下を思わせて、裸足で歩くことに少しだけ抵抗を抱く。

 と、階段を通り過ぎた先の行き止まりの壁に、この距離からでも分かる雑な補強跡を見つけた。進行方向であるため、いやでも視界に入ってしまうそこには、何かが出てきそうな気配が感じられ、知らず知らず身構えてしまう。

 ――そのタイミングで、

「おや泉嬢。おはよう」

「っ!」

 突然開いた隣の扉から、黒一色の男が現れた。

 驚きから壁への警戒心が一気に消し飛んだ泉とは違い、鉢合わせに何の反応も示さなかったワーズは、後ろ手で開けた扉を閉めつつ、へらりと笑って問う。

「大丈夫かい? 昨日はいきなり倒れちゃうから」

 表情とは裏腹の心配する声音だが、昨日泉が倒れた原因の大本はワーズにある。

「だ、大丈夫です!」

 誰のせいで!、と叫びたい気持ちを堪えた泉は、代わりとばかりに元気良く頷いた。

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