第3話 知らない食材
植木鉢から生えた人間の腕は、肘を天に、指先を鉢の外に垂らしていた。作り物かと一瞬考えるが、大きさから自分とさほど変わらぬ腕の質感は、あまりに生々しい。
急に、今いる場所が恐ろしくなってきた。
多少おかしくとも話が通じていたため、まだ安全な相手だと思い込もうとしたが、作り物とも本物ともつかない腕をオブジェのように植木鉢に挿す心情が分からない。
否、分かりたいとも思わない。
逃げ出したい衝動を必死に抑え、植木鉢側へ足を踏み入れた。
居間を下り、木の感触からまた一段降りた土の感触に、慌てて下を見ると黒い革靴とサンダルが揃えてある。靴下についた土を払い、見た目にもサイズの大きい革靴の隣にあるサンダルを履いて、改めて内装を見渡した。何か一つでも見知ったモノがないか、縋る思いで探っていく。
右手にずらっと並ぶのは、果物や野菜らしきモノが陳列された台。どれも知っているようで、どこか違和感のあるモノばかり。時折新聞を騒がす形の野菜よりも、もっとおかしな形をしている。
中央には箱が設置されており、開けてみるとひんやりした空気が溢れ、魚介類と思しきモノが並んでいるのが見えた。これも野菜や果物と同じく、スーパー等で見る品とは少し違っていた。種類も大きさも、色すらも一定しない、極彩色の鱗や貝。
そして左側。植木鉢が設置された場所にも、魚介類が入っていたのと同じような箱がある。
腕は見ないように、植木鉢を視界に入れながら移動し、今度も同じように蓋を開けた。こちらはどうやら肉の類が置かれているらしい。部位の判らない色の肉に、内臓らしきグロテスクな形状をした物、巨大な霜降りの塊等々。状況が状況だけに、不気味に感じるそれらをさっと見た泉は、そそくさと蓋を閉めようとして視線を感じた。
顔だけ霜降りの塊から右に移動して、
「ひっ」
慌てて離す。
支えを失った蓋が鈍い音を立てて閉まったのを遠くに聞きながら、口に手を当てて、胃の中のモノ全てを吐き出したい衝動を堪える。その目には涙が滲んでいた。
「……泉嬢?」
名を呼ばれて目を剥き、慌ててそちらを向く。ガラス戸から覗く男の手には黒い布。
「服が汚れただろうから、着れそうな物を探したんだけど……どうかした?」
ワーズが二階に向かったのは、泉の制服の末路に思い至ったかららしい。行動だけ考えれば気が利いていると言えなくもないが、今見たものが確かならば、この男は……
警戒する泉の表情に、ワーズは”それ”の入っていた箱を一瞥して、へらり頷いた。
「ああ、食材を見たのか。芥屋は食材を専門に取り扱う店だからね」
「そうじゃなくてっ!」
「うん?」
泉が一歩後ずさる。ワーズはさして気にした様子もなく、自身も革靴を履いて一段降りた。
「その……腕は?」
言われてワーズは己の腕を見やり、「ああ」と気づいて植木鉢を見る。垂れた手を左手で口付けるように持ち上げ、軽く揺すってみせながら、
「なかなか丈夫だろう? 最初は指の一本だったんだけど、植えたらこんなに育っ」
「さっき!……さっき言いましたよね、人間は、ここでは最悪、弄ばれて食い物になるって」
あくまで軽い調子の不気味な男に、泉は遠慮などかなぐり捨てて言葉を被せた。
「食い物っていうのは、比喩なんかじゃなくて……本当に……本当は…………」
「うん。察しの通り、この街じゃ人間も食材の一つだよ」
「――――っ!」
泉の理解を褒めるように、またあの血色の口を開いて笑うワーズ。
湧き上がる嫌悪感と恐怖に、泉は混乱の只中で思考する。
奇人街では人間は食材。そしてここは食材を取り扱う店。
男の話を信じようとも、信じずとも、ぞくりと粟立つ怖気を止められない。
(それなら、私は……?)
恐ろしい考えに行き当たり、自然と視線は肉の箱へ向けられる。
箱の中、見つけた視線は濁りきり、口からはだらしなく舌を垂らした、その首。人間というには些か奇妙なその首は、冷えた箱の中でただじっとこちらを向いて……
作り物にしては、腕以上に生々しいモノだった。
「泉嬢?」
「……なら、それなら、あの首も…………食材……?」
言って吐き気がこみ上げてくる。不思議そうにこちらへふらふらと近づこうとしていた男は、泉の言葉に納得したように頷くと、足を止めて笑った。
「そうだよ。結構美味しくてね。人気あるんだ、あれは」
もう、十分だった。
一瞬にして居間の食卓に、バラバラにされた自分が皿の上に乗って出される様、それを見て喜ぶ目の前の男の姿が浮かんだ。
地を蹴る。
黄色く褪せた陽の光の向こうへ走り出す。
「泉嬢っ!?」
驚いた男の声と追いかけてくる気配を感じたが、立ち止まる気は毛頭ない。
(冗談じゃない! 殺されて……食べられるなんて!)
薄暗い店内から外に出、止まることなく通路と思しき細い道を右に曲がり、平行する下の道に飛び降りながら、泉は恐ろしい想像から逃げるように走り続ける。
* * *
逃げる背中に引っ張られるようにして店先まで追いかけ、追いつけないのを知って途方に暮れたワーズは、植木鉢の近くまで戻った。
こめかみを銃口で掻きながら、
「なんであそこで逃げるかねぇ?――ったぁ!」
本当に分からない様子に、ずっとぐったりしていた腕が勢い良くワーズの背を叩く。
「ああもう、分かってるって。ちゃんと手は打つさ」
これ以上叩かれるのは御免と腕から距離を置いたワーズはそう弁明すると、渋々といった様子で居間に上がった。
ワーズを引っ叩いた腕は、その姿を送って後、またぐったりとした形で動かなくなった。
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