第17話 手当

 ――自分よりあの子を助けて。

 訴える泉だったが、ワーズが聞き入れることはなかった。

 労わるようにラオ近くの切り株に座らされ、腕の治療を優先するワーズに対し、泉は「大丈夫です!」と突っぱねる。

 怖い思いは散々したが、今となっては全て過去。

 助けが必要なのは、こうして泣いていられる自分ではないのだ。

「わ、私よりもシイちゃんの方が危険なんです! あの子、自分より私を優先させて。だから、私なんかよりも先に――――痛っ!?」

 涙ながらに訴えるのを拒むように、多少乱暴に右腕の布を取っ払うワーズ。

「酷い傷だ。一度芥屋に帰らないと。我慢してね、泉嬢」

「ワーズさん!?」

 あからさまな無視に泉は非難の声を上げた。

 剥き出しの傷口も放ってワーズの手を払い、右手で邪魔な涙を拭い取る。

 ワーズは泉の怪我を最優先にして頼みを聞き届けてはくれない。

 ならば、幽鬼が大好物だというあの二人はどうだろう?

 あの鳥人の女は言った。幽鬼を狩るヤツがいると。

 猫と史歩は確実に、狩るだけの強さを持ち合わせているはずだ。

 困惑した顔にも怯まず、泉は問いかける。

「猫……猫はどこにいるんですか?……史歩さんは?」

 容易く暴漢を手玉にとった猫。

 地を穿とうと傷一つつかない腕を切り飛ばした史歩。

 最後に見た彼らは、ワーズと共にいた。それゆえ、共に行動していると思い込んだ目が、せわしなく周囲を見渡す。

「……泉嬢。彼らはここにはいないよ。それに押しつけは良くない」

「っ! お、押しつけって、私は…………」

 癇癪を起こした子どもへ言い聞かせるような、穏やかな声音。

 責めるでもないワーズの言葉だが、紛れもない事実を突きつけられ、泉は狼狽えた。

 しかしそれは、指摘そのもののせいではない。

 それよりももっと、根本的な気づき。

 力をなくした頭が項垂れる。

 早々に右腕の手当てを再開したワーズは、柔らかく告げた。

「さ、帰ろう? 君は無力で、シイは見越して逃がしたんだから。なにより――」

 強い憤りを溜息に込める。

「なんでこんな怪我してまで君が、あれを助けなきゃいけないんだい? 足だってこんなに傷つけて」

「っ!」

 新しい布で傷口が覆われ、ボロボロの靴下が剥ぎ取られた。

 現われた素足には擦り傷の赤みが数箇所に及ぶ。

 けれどそんな外傷より、ワーズの言葉が突き刺さった。

「なんで」と問われ、「何故」と己に問う。

 まともに会話をしたのは、今日が始めてだ。

 出会いはこの男に負けず劣らず最悪。

 助けられたといっても、見返りのように血を――少量でも――与えたではないか。

 助けるのに理由はいらない、とは泉には言えない。

 ――でも。

 名を呼んで、応えた。

 泉も呼ばれ、応えた。

 知覚し、無ではなくなった関係。

 それだけで充分、助けたいと願う理由にはならない?

 我が儘という自覚はある。自分の無力を理由に力ある猫たちへ、願望を押しつける狡い考えが、全くないといえば嘘になる。

 確かに、ワーズの言い分は正しいのだろう。

 それでも、助けたいのだ。

 答えは明白に返る。


 しかし、拒まれるどころか術自体、ここにはいない。


 絶望感に苛まれ顔を覆う。

 閉ざした視界の向こうでワーズが息をつき、前髪が揺れる。

 次いで包帯を巻かれた足が包まれ、何事かと手を外せば白い靴が履かされていた。どこから出したのか分からぬ靴は、外を恐れ、店番すら拒み続けていた泉に用意された品。だというのに、初めて履いて目指す先が芥屋というのは滑稽だった。

 自嘲に顔を歪める泉を知らず、諦めてくれて良かったと言外に伝わる吐息。

 髪を滑るように伸びた手は、引っつめていた紐を解く。泉自身の緊張を消し去ろうと、血や泥に汚れたクセ毛がパラパラそれらを剥がし、柔らかく広がった。

 それでも貼りつく乾いた血は、ワーズの手によってほぐされ、慣らされていく。

 無言の動作は優しく、どこまでも温かい。

 薄情な人だと責める反面、己の考えの甘さに吐き気がする。

 結局彼は、人間だから泉を助け、人間ではないからシイを放っておくのだ。

 人間とそれ以外に対する感情は理解しているつもりだったのに、彼に会えれば万事解決すると勝手に期待してしまった。

 最初から、完全に間違った方向へ進んでいたのだ。

 軽い音が闇に舞う。

 黒いコートが泉を包んだ。

 顔を上げれば、なおも黒一色の男。

「少し熱っぽいからね。早く温かいところで治療しなくちゃ」

 こんな時でさえ、のんびり笑う。

 せめてもの抵抗に払えば良いものを、夜気を嫌った手はこれ幸いとコートを引き寄せ、泉を失望させた。

 と。

「史歩の嬢ちゃんは分からんが、猫のいる辺りなら分かるぞ」

 それまで黙っていたラオが口を聞いた。

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