第9話 お隣さん

 下心は別として、泣いている赤の他人を進んで慰める者など、そうはいない。

 見知らぬ者の前で泣けるのは、保護の温もりを知る子どもか、自らを嘆くのに夢中で周りを顧みない者だけ。前者はさておくとしても、後者へ掛けられる言葉は、誰もが持てるモノではないだろう。何を嘆いているのか分からない以上、何を言っても無駄かもしれず、場合によっては、その一言でこちらに危害が及ぶこともある。

 けれど、その子どもは気遣い問うたのだ。

 「お姉ちゃん、大丈夫?」と。



 最悪な目覚めだった。

「うー……」

 むくりと起き上がった泉は、しばらくの間、片手で顔を覆って呻いた。それだけでは飽き足らず、上半身を布団の上へ押しつける。

 街のネオンを受けても暗さを保っていた部屋は、遮光カーテンから漏れる陽により薄闇と化しており、窓の外では小鳥がさえずっている。

 否、あれには小鳥と呼べるような可愛げはない。

 鳴き声に反した正体は、面妖な鳥の化け物だ。長い首を寸断されたような身体、その切り口には猿に似通った顔。大きさはカラス大で、羽根は濡れ羽色だが足は鶏の黄色。

 元居た場所で見たなら、裸足で逃げ出したくなる奇怪な生物は、奇人街では一般的な食材だという。

 それが鳴くのは決まって早朝。

 鳥の面妖さ以上に面妖な店主の料理を思えば、とっとと起きて、さっさと飯の支度でもしたいが、罪悪感に苛まれて動けない。

 それでもべしんっと窓を叩く猫の訪問に、泉はのろのろと寝具の中から這い出た。 


*  *  *


「おはようございます」

「あ、おはよう、泉嬢」

「おはようございます……スエ、さん?」

「はようネ、娘御。名の後に博士ハクシを付ければなおよろし」

「はあ。それで……一体なにを?」

 一階に辿り着く間際、階段から見るともなしに見た居間では、三白眼の下にしっかり隈をこさえた男が、椅子に座るワーズの腕へ妙な管を取り付けているところだった。泉の挨拶に応えたのは気まぐれだったのか、続く質問を無視した男は、あーでもないこーでもないと、ワーズの周りをウロウロしている。

 これを横目に、あと一段降りれば一階というところで、泉は床をうねる配線に気づいた。

 跨ぐか踏むか。

 悩んだ泉はとりあえず足を上げ、これを見たワーズが慌てて言う。

「泉嬢、危ないよ? 実験の最中だから、触れたら感電して死んじゃう」

「かっ!? じ、じっけんって……なんの、ですか?」

 泉は危うく触れそうだった足を慌てて戻すと、改めてワーズの側にいる男を凝視した。

 風呂に入ろうが、金と思しき髪やヒゲは伸びるに任せてぼさぼさ。三白眼の黒い目も不健康を示すように落ちくぼんでおり、白い肌の状態もすこぶる悪く見える。反して、着込んだ白衣だけは、ぱりっと驚きの白さ。

 自らを博士と称するこの男、名をスエ・カンゲという。

 昨日の夜、凄まじい音を立て、二階の補強跡をぶち抜いて芥屋に現われた彼は、その向こうに居を構える、いわゆるお隣さんだった。不気味な容姿や挙動から、史歩以上に奇人街の住人を連想させるスエだが、好き勝手を許しているワーズを見るに、人間であることは間違いない。

 間違いはないが、同類扱いはご遠慮申し上げたい手合いである。

 そんな若干引き気味の泉に対し、スエは神経質な三白眼をギラリと輝かせた。

「ほうほう、娘御も興味ありかネ? 良い良い。若人は熱心であればあるほど良い! そこでちらりと実験体になってくれれば、なおよしヨ!」

「それは無理です」

 即答すれば、つまらなさそうに鼻を鳴らすスエ。

 けれど、気づいた事実に泉は顔を青褪めさせた。

「じゃあ、ワーズさん、もしかして実験って……」

「うん。ボクの耐電性を調べるんだってさ」

「なっ! そんなことして何になるっていうんですか!?」

 のほほんと言う話ではない。

 今まさに、目の前で行われようとしている人体実験を止めるべく、泉の足が配線の上を過ぎれば、虎サイズの猫に首根っこを引っ張られてしまう。

「ぐげ」

 おおよそ年頃の娘が発して良いものではない音が出た。

「んじゃま、ぽちっと」

 その間にも、抗議の一切を無視してスエが食卓上の、複雑怪奇な装置のボタンを押す。

「や、やめ――!!」

 猫から解放を得たところで叫んでも、時すでに遅く、止められなかった泉は茫然としてしまう。

 しかし、ふと気づいた視線を階上の廊下へ移せば、常時明るいはずのそこが闇に染まっていた。窓一つない廊下が、光源を電力に頼っているということを踏まえれば、つまるところ――

「……あれ、失敗ネ。ブレーカーが落ちたみたいヨ」

「残念だね、スエ博士。今度は成功すると良いねえ」

「良くありません!」

 ぶちぶち文句を言いながら機材の回収を進めるスエを横に、泉は配線に構わず下りていく。猫の制止もないことから危険はないと分かるが、どうでも良かった。

「し、死んじゃうところだったんですよ!?」

 泉にはそう言って足を退かせたくせに、目の前まで来た少女を見上げた男は、赤い口で笑って言った。

「平気平気。それより泉嬢、ご飯頼めるかな? お腹空いちゃってさ」

「ご飯……って、それより!?」

「うん、それより。だってね、やっぱり朝はちゃんと食べなくちゃ。それとも泉嬢、朝飯抜くタイプだっけ? ダメだよ、ちゃんと食べないと」

「…………あーもう! はい、分かりました!」

 何を言っても無駄と知り、のほほんとした顔から目を逸らす。

(真面目に心配したこっちが馬鹿みたい)

 口には出さず、ワーズ手製・白いフリルのエプロンを身に付ける。

 これは泉に丁度良いサイズだが、並んでもう一枚、エプロンが壁に掛けられていた。そちらは大きいのでワーズ用とも取れるが、デザインが泉より増してゴテゴテ可愛らしいのが引っかかる。現在、泉が上に着ているは鮮やかな蝶が刺繍された空色の服で、ワーズといえば、黒一色の変わらない姿。人には多様な服を提供する割に、自分の格好はシンプルを貫き通す彼が、わざわざ自分用に凝り過ぎて、ドレスにすら見えるエプロンを作るとは到底思えない。聞いてみたい反面、言ったら最後、興味があるならと、嬉々として同じデザインで泉用のものを拵えそうだ。

 実用性のないエプロンなど、貰ったところで困るだけ。

 泉は首を振ることでいらぬ考えを払うと、台所へ向かう。

 その際、スエの発明とやらを遠慮なく踏んだり蹴り飛ばしていくのは、諸々の腹いせももちろん含まれていた。

 キィキィうるさいスエの声は聞かず、変わりに届いた声は、自分のペースを崩さず。

「朝は基本だからね。泉嬢が食べてくれるって言ってくれて、とても嬉しいよ、ボク」

「……はあ」

 一ヶ月後には去る身とはいえ、難解な店主の呑気さに呆れる泉。

 順応はしたくないが妥協は必要だと、朝食の支度に取りかかりながら、今一度思う。


*  *  *


 "実験器具"を片付けては、当然のように食卓へ腰掛けるスエ。

 彼の名を知ったのは昨日のことだ。

 そして、あの子どもと再会したのも――。


 どたばた慌ただしく降りて来た男は、ぎょろりとした目をワーズへ向けるなり、こちらへ駆け寄ってきた。突然の物音に怯え、ワーズの影へ隠れていた泉は、風呂上りの自分を思いやって男へ場所を譲る。

 それほどまでに男の姿は汚れていた。唯一、白衣だけがまばゆいばかりの白を保っていたが、それが余計に男の汚れ具合を際立たせている。

「おや、スエ博士。お久しぶり」

 そんな小汚い身なりの男に縋られて、ワーズが楽しそうに笑った。

 対する男は、ワーズを盾にする格好で身をかがめながら、目をつり上げて叫ぶ。

「なにを呑気な! お前、アレをなんとかシロ!」

 自身の姿を顧みない横暴な指が階段を示せば、甲高い子どもの声が二階から駆け降りてきた。

「待ってください、スエのおいちゃん! シイは、シイはもう!」

 現れた姿に泉は目を剥いて息を呑む。

 この子どもを泉は知っていた。

 芥屋で目覚め、彷徨い歩いた最初の日。

 疲れと空腹で涙を目に溜めた泉へ、優しく声をかけては――血を要求した、子ども。

 しかし、目の前にいる姿は泉の知る子どもとは少々違って見えた。光を帯びた柔らかな髪は警戒するネコに似て逆立ち、人懐っこそうな夜色の瞳を際立たせる白目は赤く充血している。尖った耳は鋭さを増して見せ、剥いた牙はちらりと覗いた時の比ではないほど、鋭く大きく変容を遂げていた。

 飢えて溢れる涎。

 留まることを知らないそれは、スエと呼んだ男を捉えて喉を鳴らした。

 ビクッと生命力が乏しく見える男が震えれば、これを合図に子どもが彼へ飛びかかろうとする。

 しかし、突然の凶行は、ひらりと間に舞った猫の出現で止められた。

「ナウ」

「っ!!?」

 ただの一鳴き。

 威嚇でも警戒でもない、それだけのことで子どもは動揺し、逃げ道を得るべく店側へと跳躍する。

 これを見送る面々。ワーズは嘲笑混じりに嗤い顔を続け、原因であるスエは子どもの逃走にほっと息をつく。

 その中で、泉だけが複雑な思いを抱える。

 一瞬でも見出した、小さな救いの主。

 捕食者の面を持とうと、泉を勇気づけた人懐っこい笑顔。

 それが猫を前にして見せた、傷ついた、悲しそうな姿。

 胸を衝く子どもの悲痛な表情に、何故か泉の胸に罪悪感が生まれた。無意識に一歩踏み出しかけたものの、途端に倒れる小汚い白衣から、検討のつかない粉が舞い跳んでは、生理的な嫌悪感が先立ってしまった。

 かくして泉は夢に見るまでの間、印象深かったはずの子どものことを失念し――


 そして考え及ぶのは、目を背けておきたかった事実。

 あの時、泉を元気付けるような真似などしない方が、子どもにとって血を得るのに好都合だったはずだ。半ば自暴自棄に陥った泉へ、わざわざ声掛けしてから血を要求するなど、手間以外の何ものでもない。

 では、それをしなかったのは何故か?

 手間を掛けた理由は?

 応えは思いの外あっさり出で、すんなり納得させるもの。


 ただの親切、それだけ。


 ゆえに、考えたくなかった。

 だからこそ手は朝食を作りつつ、気持ちは落ち込む一方。

「……はあ」

 溜息ついたら幸せは逃げる、というが、溜息自体は深呼吸と大差ない。それ以前に、幸せじゃないから溜息をつくのだろうに、本末転倒だ。

 落ち込む時は、落ち込みたいだけ落ち込むに限る。あとは這い上がるだけだと、前を見据えられるまで。底につくまでは、鬱陶しいことこの上ないと自覚している。それでも、他の手が見つからないのだから仕方あるまい。

 あの子どもを追いかけても居場所は知らないし、奇人街の在り方は今もって恐ろしい。

 何より、見つけたところで昨日の様子である。根こそぎ血を啜られて終わり、などという結末は嫌だった。

 煩雑に沈みつつ、焼いた魚をおぼんへ乗せる。

 そうして振り返れば、暗鬱とした気分が一気に吹き飛んだ。

「え……と……なにを、してるんですか」

(――あんたら)

 粗雑な言い草をぐっと呑み込めば、来訪に気づかなかった袴姿の美人さんが、不敵な笑みを浮かべていた。

「よお、綾音。朝飯を頂きに来たんだが……久しい顔がいたもんでな。つい」

「……つ、つい?」

 昨日同様、またも土足で居間へ上がっていた史歩は、あらかた片付け席について食事を催促するスエの脳天へ、鞘を叩きつけていた。呻き声もなく食卓に突っ伏すスエからは、得体の知れない粉は出ない。

 あの後、強制的にバスルームへ連行され、奇声を発しながら綺麗な身となったためだ。

 昨夜一階で掃除をしていた泉の耳には、ワーズへの悪口とへらへら宥める声が届いていたが。

(まさか一緒に入ってる? いや、まさかまさか……洗って?)

 濃い野郎二人の入浴シーンを想像しかけた自分の頭を呪い、今に至っては思い出となったそれをかき消すように首を振る。

 ついで眼で捉えた史歩の暴力に対し、困ったような顔をして笑うワーズ。そんな泉に気づいた彼は、苦笑のていで自分のこめかみに銃口を突きつけた。

「史歩嬢はスエ博士と仲良いからねぇ」

 ……どうしてこの状況で言うのか。

 艶やかな微笑を浮かべ、額には青筋を携えて。スエへ打ち付けた鞘を返す勢いのまま、気合の声もなく、ワーズの顔面へ放たれる史歩の鋭い一撃。

 いっそ小気味良いくらい勢いよく、ガラス戸へ背中から倒れこんだワーズだが、盛大な音を立てた割に曇りガラスにはヒビ一つ入らない。

「あたたたた……」

 丈夫なガラス同様、あるいはそれ以上に頑丈なのか。あの一撃を食らって顔面に赤い線をつけただけのワーズは、緩慢な動きで起き上がるとコートを払い、「酷いなあ」とへらへらするのみ。

 一連の展開についていけない泉は、ただただ唖然とするしかない。

 それでも、史歩がなにも言わず席についたのを見て取り、食事の用意をそそくさと再開していく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます