第14話 ホットミルクにひとさじの……

 夕食も入浴も終え、寝る前にホットミルクを飲めないか尋ねると、ワーズがへらり笑う。

「ボクが用意するから座ってて」

 自分で用意すると言っても、頑として譲らないワーズに、泉はありがたく、半ば仕方なくソファへ腰を下ろした。

 奇人街には、あらゆる場所の食文化が揃っているようで、小鍋に注がれる紙パックの白い液体を何ともなしに見つめる。

(ホットミルクだし、変なモノが入るわけないよね。……たぶん)

 一瞬だけ、(でも、何のミルクなんだろう……)という考えに及ぶが、それは危険だとすぐに取り消す。そんなことを気にし出したら最後、奇人街では何も口に出来なくなってしまう。一ヶ月は生活を余儀なくされている場所なのだから、どこかで妥協するのも大事だ。

 ――住人が食材になりそうなモノ以外は。

 泉がうっかり浮かんだスプラッタな光景を、頭を振って払っていれば、背もたれから影が頬をすり寄せてきた。

 大して驚かず、視線を横へずらしたなら、しっとりとした褐色のクセ毛に埋もれる、猫の姿がある。こげ茶の瞳と交わされる金色は、一度影の中に紛れ、「にー」と短く鳴いては座面に下りてきた。そのまま頭をぐりぐり左手に押し付けるので、撫でてやる。嬉しそうに目を細める猫に、こちらも頬が緩みかけ、瞬間、怒髪天を衝く史歩の顔が浮かんで硬直してしまった。

 昼間、そんな彼女への恐れから、なるべく猫に関わらない方が良いかもしれない、と考えていたことが思い出される。

 すると、動かなくなった手をいぶかしむ様子の猫が、頭を何度も手の平へ押し付けてきた。その度に影の靄がふわふわ舞う。

 同じ箇所をすり寄せて、減ったりしないのだろうか?

 いやそれよりも、段々と猫を叩いているような錯覚に陥った泉は、少しの逡巡の後、ぎこちない動きではあるが、撫でを再開した。猫は聞き入れられた願いに大人しくなると、小さな身体を泉へ寄せて寝転がる。

 関わらないと決心したところで、懐かれてはどうしようもない。

 無邪気な猫の様子に途方に暮れる泉。その耳に、くつくつ笑う声が届く。撫でる手は止めずに怪訝な顔を向ければ、差し出される白いカップ。礼を言いつつ受け取った泉だが、低い笑いが止まないのが癪に障り、じろりと睨みつけた。

 とはいえ、泉が睨んだところで怯む様子もないワーズは、椅子に座ると声を引っ込めて黒いカップの中身をズズズ、と啜る。彼が何を飲んでいるのかは判別できないが、漂う香りはお茶だろうか。

 気の抜ける音に、自分一人、睨み続けているのも馬鹿らしくなってきた。

 しかも、泉が手にしているのは、甘い香りが漂う、ほかほかのホットミルクである。

 せっかくの温かさ、冷めない内に飲まなければもったいない。

 気を取り直すように一口含めば、奇人街のモノであるためか、やはり、泉が居た場所よりも上質な舌触りと味が広がった。じんわり染み渡る乳白色の温かさに加わる、とろりとした口当たりの良い甘味。ミルクだけとは思えない、鼻孔をくすぐる香り。

「蜂蜜……?」

 思い当たった品名を出せば、ワーズがへらりと笑って言う。

「いや。幽鬼クイフンの蜜だよ」

「クイフン? へぇー……美味しいです」

 クイフンとは場所名、あるいは植物名なのだろうか。

 そんなことを考えつつ、しみじみ味わう。

 程なく飲み終えたなら、肘掛けにカップを置き、お茶とは違う心地良さの余韻に浸る。

 その唇を、ぺろりと舐められた。

 ぎょっとして目を開けば、金の細まる瞳。

「ま、マオ?」

「ああ、幽鬼は猫の大好物だからねぇ。味見したかったんだね、たぶん」

「味見って……猫の分はないんですか?」

 獣である猫の、悪戯とも甘えの延長とも取れる行為に困惑すると、ワーズがこめかみを銃で掻きながら言う。

「泉嬢の分だけしか作ってなかったからねぇ。蜜は貴重だし……そうだな」

 考える素振りでコツコツ頭を突くワーズ。

 拍子で撃ち抜かないかとハラハラする泉を他所に、その顔がぱっと輝いた。もっとも、闇と白と混沌と血という不気味な色彩が輝いたところで、不安を掻き立てる材料にしかならないのだが。

「どうしても、っていうなら、ボクに猫をご馳走してよ、泉嬢」

「と、唐突過ぎて話が見えないんですけど……?」

「いやぁ、恥ずかしながらワーズ・メイク・ワーズは猫が好きでねぇ。とっても愛してるんだ。愛して愛して愛し過ぎちゃって、ものすごぉく、食べたい」

「はぁ……いえ、そういう嗜好のお話じゃなくて、どうして私が猫を調理する話になるんですか?」

 ワーズの好みなど、どうせ泉の想像の外を行くのだ。そういうモノだと無理矢理にでも納得しなければ後が持たない。

 だが、そんな外側にあるものに、何故泉が関わらなければならないのか。仮に、店主命令だ!、と強要されたところで、やる気は更々なかった。

 いくら世話になっているとはいえ、それとこれとは別の話だ。

 なにせ猫は命の恩人であり、怒気を孕む史歩の太刀を弾くほどの力の持ち主。

 調理の対象になどなり得ない。

 第一、猫の分を求めて猫自身が食べられるなど、本末転倒も良いところ。

 これをそのままワーズに伝えると、本気の落胆を示した。あまりの落ち込みっぷりに、声を掛けたものか迷う。併せて傍観を決め込んでた猫が、また左手の下に潜って撫でるのを催促してくる。

 戸惑いつつ撫でてやれば、ごろりと無防備に腹を向けて寝転がった。

「泉嬢にそれだけ懐いているなら、捌くのも簡単だと思ったのに」

「……………………………………………………」

 反応しては駄目だと知っていてもなお、襲う脱力感に溜息が出かけた――矢先。 


 凄まじい爆発音と共に、部屋が揺れた。


「な、何っ!?」

 尋常ならざる音と振動に飛び上がった泉は、ワーズの下へ駆け寄ると、ソファに向かい合い、板張りの階段を凝視する。

 芥屋を揺らした音は、間違いなく、誰もいないはずの二階から轟いていた。

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