第6話 猫好き剣客

 早朝、上半身を起こせば広がる褐色のクセ毛を掻き、何ともなしに寝間着を伸ばす。手触りも着心地も申し分ないが、ゆえに困惑に朱が混じってしまう。

 ワーズ手製の衣料品は、市販の物とは違い、泉のためだけに作られただけあって、こちらの身体に負担をかけない。着脱もスムーズで、初めて袖を通す品でも、すぐに肌に馴染む。

 なればこそ、余計に気恥ずかしい。

 まるでワーズに自分の全てを知られているようで、着心地は良いのに、居心地がすこぶる悪い。

 だからと、綺麗になった制服で過ごそう、とはならなかった。奇人街において、泉の制服は目を引く形をしていると聞いたし、何より普段着で着たいとは思わない。

「……別に、変な意味はないのだし、意識する方がおかしいのよ、きっと」

 声に出すことで羞恥を紛らわせる。

 のそりと布団から這い出ては、まず洗顔、と部屋を出た。

 最中、成人男性と一つ屋根の下という、年頃の娘であるなら構えるべき事態に際し、目覚めた初日に掛けられていたコートやら、何事もなく布団に運ばれた身体やらを浮かべ、更に鍵のない自室を思い返せば、本当に意識するだけ無駄な気がしてくる。

 相手がワーズだからなのか、それとも、知らぬ街で依るべき存在が彼だけだからか。

 判然とはしないものの、この短期間でワーズに対する不可思議な信頼が、泉の中に生まれているのは確かだ。

 そしてその信頼は、前方、黒い背がふらふら階段を下りるさまを見かけるなり、泉の口を慌てて開かせる。

「ワーズさん! ご飯は私が作りますから!」

「んー? でも泉嬢、用意大変でしょう? 昨日は作って貰ったし、今日はボクが――」

「いえ、私がやります! いや、やらせてください!」

 必要もないのに、握り締める拳に力が入る。

 昨日、洗濯に勤しむ泉が気付かなければ、妙な食材が使われたであろう昼飯を思う。

 袖を捲る男の影に見えたまな板の上には、錯覚でなければ人間の胴体が乗っていた。いや、人間を食材として扱わないと言うから、よく似た種なのだろうが、己に近い姿が調理されるのは見たくないし、まして口になぞしたくない。不意打ちに食してしまった腕の美味さは、舌に馴染む絶品であったが、モノを知ってはもう一度、などと考えることすらおぞましかった。

 それが今度は胴体。

 卒倒しなかった自分を誉めてやりたい。倒れたなら最後、目覚めた食卓には調理されたソレらが並べられていたことだろう。

 そうして、突き飛ばすように交代した飯作りへの信頼は、明けてなお鮮やか。 


 贅沢者と言われようが、食材は選ぶ。嫌なものは嫌だから。

 そうして出来上がったのは、かなりいい加減で適当な野菜炒め。大皿にたっぷり盛られた姿は実に圧巻――だが、泉は朝っぱらからこんなヘビーさは求めていなかった。それがここまでの量に達してしまったのは、「もう少しあった方が良いよ」と、呑気に横から材料を投じた男のせいである。

 昨日は文句なく食べていたが、足りなかったらしい。

 そういえば、と皿を何度も舐めていた行儀の悪さを思い出した。ひょろりとした体形のくせに、かなり大食漢のようだ。

 向かい合わせに座る風景にも慣れ、手を合わせて挨拶。

「「いただきます」」

「あぅ」

 か細い鳴き声が聞こえ、驚いて下を見れば、皿を咥えた猫が尻尾で床をべしんっべしんっと叩いている。いつの間に来たのか首を傾げつつ皿を受け取れば、もう一度、今度は綺麗に「なぅ」と鳴いた。

 ぐるぐると催促する喉も受けた泉は、野菜炒めの山へ菜箸を伸ばし、はたと気付いた。

 取り皿からはみ出るほどの量を頬張るワーズへ尋ねる。

「あの、猫って食べちゃ駄目なものありますよね?」

「ん? ないよ?」

「え……でも、タマネギとか駄目だって」

 落した視線の先には、もやしと同色の透明なタマネギの姿。珍しく見知った形は、調理に安堵をもたらしたものだが、ネコが食べた場合、深刻な症状を引き起こすと、何かの雑誌で読んだ覚えがあった。ネコに限らず、人間が好んで食べる物の中には、その他の動物にとって毒になる物がある、とも。

 けれどワーズは、器を支えていた右手の銃口をこめかみに当て、

「あー……猫は芥屋の猫だからねぇ。泉嬢の知ってるネコとは違うんだ。だから、何あげても平気。逆にあげない方が危険だよ」

「そう、ですか……まあ、虎にもなれるし。……ところでワーズさん、その癖、どうにかなりませんか? もの凄く怖いんですけど」

 猫の分を皿に盛りつつ訴えると、不思議そうな顔をしたワーズは、考える素振りでこつこつ銃でこめかみを叩く。その度に泉の顔が強張れば、ようやく察したていで自身の顔の前まで持っていった。

 眉間にすっぽり納まる銃口。

 指摘したせいで、余計に恐ろしい物を見る羽目になった泉は青ざめるが、我関せずの足下からの催促を受けては、取り分けた皿を猫の前に置いた。

「もしかして、これのこと?」

「はい。もしかしなくても、それのことです」

 添えているだけでも問題だが、引き金に指を掛けたままでは、何の拍子で発砲されるか分からない。そんな泉の心配を余所に、しばらく悩むように唸ったワーズは、結局へらり笑うと、銃口で自身の側頭部を小突いた。

「御免、無理」

「な、何でですか?」

「うーん……まあ、色々と事情があってねぇ。……ところで泉嬢、野菜炒め、食べないの? 冷めても美味しいけど、温かいモノは温かい内に食べるのが良いと思うんだけど」

「あ、はい、頂きます」

 はぐらかす口振りだが、野菜炒めを見るワーズの手は、遠慮なく香ばしい匂いを取り皿へと移していく。追求にばかり気を回せば最後、泉の分まで食べられてしまいそうだ。疑問の解消よりも、食欲を優先した泉は、ワーズに負けじと野菜炒めを皿に取っていった。


*  *  *


 丁度良い量を取ったと思ったのだが、意外に多かったらしい。ワーズの取る量につられ、目測を見誤ってしまったか。

 ともあれ、満たされ過ぎた腹を擦りさすり、ソファで一息つく泉。ワーズはといえば、最終的に残り全ての野菜炒めを平らげ、ふらふら後片付けに勤しんでいた。

 これでも手伝いを申し出た泉だが、「満腹ですぐ動くのは身体に悪いよ?」と、若干膨らんでしまった腹を見ながら言われては、隠すように腕を回して引き下がるしかなかった。

 動けない上にやることもなく、隣で寄り添い丸くなる猫に、泉はそっと手を置いた。

 まどろんでいた頭が若草色の腿に移動し、甘えるように喉が鳴る。撫でて、と催促する様に、これが一昨日の虎と同一の生き物と思えず苦笑が漏れた。

 ――一昨日の、目の前で行われていた影絵の惨劇。

 それがどういうものか分かっているつもりだが、猫に対する恐怖は不思議とない。

 最初の邂逅では、確かに恐れと己の死を感じ取ったはずなのに、今では驚くほど遠い。

 奇妙なまでに、自分は猫に害されないという、確信だけがある。

 何の確証もないはずなのに――

 起こした手前、無下にする訳にもいかず、頭から背中にかけてをそっと撫でる。

 金の眼が細まったなら、ふわりと体毛の影が舞い、宙に溶けた。

 猫の質感は滑らかで、撫でる度舞う影には、何の感触もない。

 ただただ気持ち良さだけが見て取れる様子に、繰り返し繰り返し撫でていく内、泉の唇が自然と旋律を紡ぎ出した。

 ふと、鼻唄程度で感動していたクァンを思い出す。

 なんともなしに音楽に関連した物がないか、改めて居間を見渡した泉は、テレビやラジオの類いが見当たらないことに気づく。一家に一台、どころか数台置いてある家も珍しくない中で、それらと縁遠い生活を送ってきた泉にとっては、特に困る話ではないが。

 とはいえ、泉の自宅にそういう機器がなかったわけではない。ただ、泉自身があまり使わなかっただけだ。思えばパソコンも部屋にあったくせに、一度も使って来なかった。

 そんな泉の情報源といえば、雑誌や友人たちとの遊びに偏っている。

 今口ずさんでいる唄も、カラオケで友人が唄ったのをなぞっているに過ぎず、歌詞だってうろ覚え。唄える歌は大抵が古い曲のため、友人たちの前では聞き役に徹していた。たまに唄えと強要されたなら、新譜をかなり調子っぱずれで唄ってみせるため、すっかり音痴で認識されている。

 無意識に、適度に広く浅い交友関係を望んでいた泉にとって、それは至極自然な行動だった。鼻唄さえ誰かに聞かれることもなく、淡々と目標までの日々を過ごしてきた。


 そう、目標――――


「はい」

 唄を止めて耽りかけ、遠くを見つめた視線の前にカップが差し出される。

 取っ手を持つのは、黒いマニキュアの白い手。

「ありがとうございます」

 中身は、ここで目覚めて初めて飲んだ、紅茶の赤みを帯びたお茶だ。

 食事の件もあるため、昨日、振舞われた時にこっそり確認した急須の中身は、どこからどう見ても、ただの茶葉。動物らしき乾物の姿がないのに加え、この茶自体、泉の好みだったので疑いなく口をつける。一口含めば、食べ過ぎに苦しむ胃が幾分和らぎ、安堵が与えられた。

 知らない内に緊張していたらしい。

 自分のことながら、面倒だと笑う。

 あの目標を掲げたのはいつだったろう。

 またも考えに沈みかけた泉だが、妙な視線に気づいて顔を上げれば、椅子に座りにんまり笑う混沌の瞳とかち合った。

 虚を衝かれて、瞬きを数度。

「うぅん、桃色も良いけど、若草色も可愛いねぇ。刺繍ももうちょっと凝ってみようかな」

「……ま、まだ作る気ですか?」

 たっぷり一呼吸の間、何の話か考え、服の話と察して困惑する。クァンが用意した下着もそうだが、普段着として渡された服も、衣装箪笥に入り切らない量をすでに受け取っている。材料費はどうなっているのだろう?

 思い耽るのを忘れて、半分呆れ、半分驚く泉。

 そんな思いを知ってか知らずか、ワーズも茶を啜りながら、

「材料には困らないからね。第一、女の子は着飾った方が楽しいじゃない」

 誰が?、とはさすがに聞けなかった。

(きっと作った服を誰かに着てもらうのが嬉しいんだわ)

 にこにこと楽しそうな様子に、別に自分が褒められている訳じゃないと念じる。服とはいえ褒められ慣れていないから、すぐに頬が赤くなってしまうのだ。

「でも泉嬢が着てくれて良かったよ。史歩しほ嬢なんて、そんな物より自分が着てるのと同じものを二十着作れってさ。デザインすら認めてくれなかったから」

「シホ嬢?」

 初めて聞く名前に首を傾げた。自分が居た場所に似た響きの名前。

「お向かいさんだよ。袴姿の美人さんでね。滅茶苦茶強い上に猫にぞっこんなんだ」

「?????」

 寝そべっていた猫が「みー」と迷惑そうな声を上げた。

 半分も理解できない泉に、ワーズが一つ頷いた。

「なら挨拶しに行こうか」

 勝手に決めて、飲みかけのカップを置いた彼は、そのまま店側へ降りていく。次いで、どこからか白い靴を出しては、きちんと揃えてから土間に置いた。大きさから見て、泉の分らしい。サンダルで散々走り回ったせいで、自分に靴がないことを忘れていた。

「さ、泉嬢――」

 手にしたカップをどうしたものか慌てる泉を余所に、左手を差し出すワーズだが、それ以上の言葉は続かなかった。


びたんっ


 前触れもなく、いきなり居間に倒れこんだワーズの背に、草履の足が少女の姿を伴って現われたのだ。

 否、ワーズを蹴り倒した勇ましい顔つきの少女が、彼の背を踏みつけたまま啖呵を切る。

「おいこら、従業員! どういうつもりだ!?」

 薄暗い室内に煌く銀。

 疾風の如き速さに何かと思えば、時代劇の産物、刀だ。ただし怜悧な得物は素人目にも模擬とは思えないほど、美しい。

 なぞればすっぱりいきそうな先端を向けられ、泉の喉がビクついた。少女が立つ位置からソファまで、大股でも三歩ほどかかりそうな距離なのに、凍てつく切っ先が顎下に突きつけられている錯覚に陥る。

「あ、あなたは……?」

「悠長に自己紹介なんぞしてやるものか! 猫を従えやがって!」

 言って、どすんとワーズの背を力強く踏みつける少女。先ほどはなかった潰れた声が、「ぐえ」と鳴った。併せて腿の重みがなくなっても、目の前の少女が恐ろしく、泉は視線を逸らせない。

「吐いてもらおうか。お前、猫をそこまでどうやって手懐けた!?」

 袴姿の美人さんで猫にぞっこん――じゃあこの人が?

「シホ……さん? っきゃあ!?」

 烈風の如き速さで間合いを詰めた腕から、勢いよく刀の煌きが放たれる。猫が咄嗟に弾いてくれなければ、間違いなく首と胴が離れていただろう。

 少女の横暴に猫が「みー」と鳴いた。

「う、ううううう……ひ、卑怯だぞ! 猫に助けて貰うなんて!」

 言いつつ、少女が猫との間合いを設けて退いた先、

「史歩嬢……げぇ……」

 起き上がろうとしたところを、これまた踏みつけられたワーズが、情けない声を上げた。


 草履を脱いだ史歩が椅子に腰を下ろしたため、泉もソファに座り直した。史歩が土足で上がった床は、ワーズが手早く拭いており、彼女が来る前より少しばかり光って見えた。

「えと、綾音泉です」

神代かみしろ史歩しほだ」

 むすっとしたまま目線を合わせない横顔に、ごくっと喉を鳴らす。

 先ほど振るわれた凶器は、鞘に収められているとはいえ、素人の泉でも分かる、一触即発の空気。

 二人を隔てる食卓の上に猫がいなければ、自己紹介さえ交わせなかっただろう。

「はいはーい、お待たせ」

 そこへ現れたのは、お茶を盆に乗せたワーズ。お茶を淹れなおしたカップを泉へ、湯飲みを史歩へ渡し、自分は台所を背にカップをズズズ……と啜る。

 てっきり助け舟でも出してくれるのかと期待した泉は、傍観する姿勢に内心落胆した。

 気を取り直すつもりで、含んだ茶に、「ほぅ……」と息をつく。

 これを咎めるように、目だけで泉を射る史歩。

 それだけで、またしても泉の喉が引きつった。

 だが史歩は、続け様に怒鳴りつけるでもなく、それどころか大仰な溜息をつき、

「なんでこんな弱い奴が……弱いからか?」

 打ちひしがれたように自問自答を始めた。

 考えに沈む史歩の姿からは目を離さず、なるべく静かにワーズの元へ身を寄せる。

「あの、ワーズさん。あの人、いつもあんな感じなんですか?」

「んー? 大体あんな感じだね。特に猫のことになると、聞く耳持ってくれなくなるね。ボクも前に猫を食べたいなって、ぼやいただけで斬られたし」

(…………何のお話デスカ?)

 論点がズレた話に、「酷いよね」と同意を求められても、泉は沈黙しか返せない。

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