第九話  リリア・ラライン。

~~クルルスとクライフォードが談笑する少し前~~


 ラリクスが目を覚ました時、激しい頭痛に襲われていた。

 全身の筋肉が軋み痛む。骨が内臓にチクチクと刺さるようだ。

 小刻みに震える筋肉と、所々、痛む肉体は、先程のまるで白昼夢の様な、激しい戦いがあったという事を物語っている。


 ラリクスは呻き声をあげながら、目蓋を開く。眩しい光が、目に当たり、久しぶりの刺激に眩暈を引き起こす。

 霞む視界の中、辺りを見渡したラリクスは己が、寝台に寝かされている事に気が付いた。

 そして、ラリクスの目を覗きこむ医者とも目が合った・・・・・・

「やっと目が覚めたようだね。と言ってもまだ3時間しか経っていないんだが…すごい回復力をお持ちの様だ、ラリクス君」

「―こ、こ、ゴホ、ゲホ。ここ、は?」

 擦れた声で何処かを問う。


「―ふむ、咽が痛むか。暫くしたら直るだろう。ところで痛む箇所はないかね?違和感を覚える箇所は?体内海精が異常に活性化しているんだ。狂精病に近い症状が懸念される」

 医者はてきぱきと簡潔にラリクスに質問をする。同時に触診する事で身体に異常がないかを調べていた。

 ラリクスは寝起きで、廻らない頭を必死に回転させ、身体に違和感が無いかを改めて探る。


「からだの、…おくが、あつい、です。ぜんしん、いたい。ほねもいたい」


「体の奥が熱いのは海精を使いすぎたからかな。海精は力の源でもある。巡れば巡るほど、身体に力がみなぎるだけで無く、身体に眠る力を引き出してしまう。よって熱が発せられるのだが…詳しいことはこれから専門家の所にお伺いに行くのだから、先生に直接聞くが宜しい。―全身痛いのはその弊害だよ。我々の身体は長時間、全力を出すのに適していないんだ。君がここに運び込まれた時はそれはもう大変だったよ。骨という骨はボロボロで、筋肉は断裂しまくっていた。取敢えず肉体的負傷はこの僕が治療しといたけども、海精は専門外だ。リリア先生に、君の症状について纏めたこの手紙を渡してくれ」


 そう言って、医者は懐から、蝋印で認められた、立派な封筒を取り出すと、ラリクスに手渡した。

~グランテ診療所より、リリア・ラライン教授へ。ラリクス殿の身体状況報告書並びに治療要求書~


「あともう一つ君に渡す書類がある」

 同じく蝋印で認められた封筒を一便、取り出した。

 そして白衣に入れられた短剣と共にラリクスに手渡す。


 ラリクスは受け取ると、首を傾げる。ああ、しまったと言わんばかりに、己の額を叩くと医者は短剣を使い、封を切ると、再びラリクスに手渡した。

 

 ラリクスは書類に目を通すが、目を見開き、声を失った。


「まあ、見ての通り請求書だが。……この僕が治療したのでそれなりにする。だけれども、あの素晴らしい戦いを繰り広げた君に敬意を表して、微々たる額だが割引もした。君には即払いを出来るだけの資産がある事も知っている。速やかな支払いを期待しているよ」


 医者が何やらほざいているが、全くと言っていいほど耳に入らない。

 請求書に記された金額が衝撃的過ぎて、話を聞く余裕が無いのだ。

 天文学的な数字が、事務的に記されているが、その額は―453万海貨シルカ


 昨日の稼ぎの約半分に匹敵する大金である。九つ諸島ではありえない金額に、ラリクスは突如、頭痛に襲われた。

 流石は、小国の国家予算規模の金が平然と動くとと言われるロロスロード・グランテ・シルカナ=ロードイお抱えの医者だ。一回の診察料も馬鹿にならない。


「ロロスロード王国最高、つまりこの辺りの海域最高の医者に瀕死の重傷を治療させたんだから当然の額だよ。―ついでに言うが本社、ロロスロード・グランテ海興会社の方からも特別褒賞金も支給されるけど、そこから支払っておくかい?」


 ラリクスは少し呆然となりつつ、医者に問う。

 あまりの衝撃にかすれた声が治ってしまった。

「ちなみに褒賞金はいくら?」


「―490万海貨シルカだね。余裕でしょう?あと伝言だが、『今回君のおかげで随分と儲けさせてもらった、これはほんのお礼さ』だそうだ」


 ロロスロード・グランテ海興会社の社印が捺印された高級便箋をラリクスに手渡す。中には、銀行で換金可能な海貨等価証状―紙幣とは異なり紙自体に金銭的価値は無い―が一枚封入されていた。医者が言うように医療代はを余裕で支払える。ラリクスは諦めたように顔を伏せ海貨等価証状を医者に手渡した。

「これで支払います…」


「…確かに453万海貨シルカお預かりしました。釣り銭は後で振り込んどくから。ほら、早くお連れさんに会いに行くといい。リリア先生の所に行くんだろう」


 そう言うと医者はラリクスを蹴り出してしまった。本当に医者なのか…。ラリクスは真剣に悩みながら、階段を降りて行く。


 現金の物だな、とラリクスは自分を笑う。

 クルルスに会えるだけでこんなにも心が躍るのだから。


「―本来ならば何があったのか詳しく聞きたい所だが、そんな時間は無いようだな。本日の主役のお目覚めだ。クルルス、出迎えてやれよ」


 とクライフォードの声が聞こえた。

 急に視線が集まり注目された事に、首を傾げるも、頬を掻きつつ答える。


「ん?どうかしたの、クルルス?」


 クルルスはいい笑顔で立ち上がると、片手を振り上げた。なにやら機嫌がいいようだ。

「あ、やっと目ぇ覚めたんだ。お~い、ラリクスゥ!こっち来て!」


「…随分と機嫌がいいみたいだけど何かあった?」


 一つ右にずれてクルルスは座る。

 ラリクスは、クルルスとクライフォードとの間の座席を引くと其処に腰掛けた。クルルスはラリクスに水の入ったグラスを手渡す。


「ちょっと昔の話をね。そんなことより、おめでとう。ラリクス。カッコよかったよ。クライフォード相手に引き分けなんてすごいよ。勘がまだ戻ってないのにさ」


「よう、ラリクス君。お疲れさん。思ったより早く治療が終わったな。やっぱ、ここの医者はすげえな。治療費は馬鹿高ぇがな」


 とラリクスを労う二人。クライフォードは右手で、ラリクスの肩をバシバシ叩く。


「ありがとう。クルルス、クライフォードさん。疲れました。クライフォードさんは強いなぁ。…僕も頑張らないと」

 

 そんなラリクスの向上心にクライフォードは苦笑いをした。

「…君も十分強いさ。俺が陸上人ランディア相手に戦って肝が冷えたのは君で二人目だ。誇れよ」

「…?」

 クライフォードの言葉に首を傾げるラリクス。クライフォードの言葉を、引き継ぎクルルスは言う。

「ロムガルドさんの事だね。あのおじさんは強いよ。単身で全ての海を廻った〈海の覇者〉だし。そう言えば、ロムガルドさんまだ居るの?」


 クライフォードは頭を振り、席から立ち上がる。

「いや、あの妖怪ジジイはお前が抜けてから3,4年くらいでまた一人で海に出たぞ。何せあのジジイは海に関してはお前らシーアナ並に自由人だからな」


「そう。残念だね。久しぶりに会いたかったのに」

 とクルルスは心底残念そうに言った。そのロムガルドとかいう人物と良好な関係にあったのであろう。


「―さて、ラリクス君。君の覚悟は決闘でしかと見させてもらったが…。合格だ。婆様の所に案内してやる。ついてこい」

 そう言うとクライフォードは右手で後ろの扉を指差し、左手をラリクスに差し伸べた。

 ラリクスは嬉しそうな表情で、その手を取ると立ち上がる。クライフォード程の強者に認められて嬉しかったのだろう。

 そんな二人の様子を、クルルスはただ微笑ましそうに眺めていた。

 3人は和気藹々と遊楽館カジノロロスロード・グランテ・シルカナ=ロードイから出る。


「僕って強いですか?」

「あぁ。強えな。陸上人ランディアと思えねぇくらいに。それこそ、海王じゃねぇかって思うくらいにな。ひたすら、鍛錬を重ねたら相当強くなれるぜ。間違いねぇ。陸上人ランディア初の海王になれるんじゃねぇか?」

「海王?海王って何?」

「17ある海の王たちの事さ。最低でも王覇術を4つ、というか殆どの奴は5つ全部習得しているなぁ。生態系の頂点に立つ存在が、その海に住む全ての生き物に認められ畏れ敬われる事でなれる、海の最強の存在。それが海王…異常な強さだ。全員な。―この世界において4番目に強い。それこそ英雄の次に強いぜぇ。それが例え海魚人カイアナであってもな。海王相手じゃあ、俺でさえ何秒持つか…そんな次元だ」


 そんなラリクスとクライフォードの、二人の仲の良さそうな会話に嫉妬したのかクルスはラリクスの腕に抱きつくと上目遣いで口を開く。


「そうだよ。海王はねぇ~。私たち海廻人シーアナでさえ。敵わないんだから」

「…そんな強い奴に僕はなれるのかな?」

「なれるさ。お前ならな。片足っ突っ込んでる奴を俺は知ってる。ロムガルドの妖怪ジジイがそうだったんだ。若い君なら絶対になれる」

「う~ん。ほんとかなぁ」

「絶対大丈夫だから。私が保証するよ」


 自分の強さにいまいち自信を持てないラリクスの言葉を、クライフォードとクルルスの二人は力強く否定する。

 二人のこれまでの経験から、ラリクスがどれほど強いか何となく悟っていた。だから自信たっぷりに宣言するのだ。ラリクスか強者であると。

 夢中になると、存外時間は早く過行く物でつい先ほどロロスロード・グランテ・シルカナ=ロードイを出たばかりだというのにもう娯楽区画を出てしまった。


「さてと。俺たちは、遊楽館カジノを出てからずっと付けられてる訳だが。…勿論、諸君は気付いているな?」


 不意にクライフォードは口を開く。 


 クルルスは気付いて当然というように頷き、ラリクスはやっぱりという表情を浮かべる。

「―僕の気のせいじゃなっかたんだね」

 見渡す限り不審な影はない。だが気がする。妙な感覚がラリクスを襲うのだ。

「…ああ。なかなか上手く隠れてるやがる。大翼祖帝御君にしごかれたおかげで分かるが―こりゃあ、半鳥人俺たちはおろか下手すりゃあ半獣人ビーティアでも分らんぞ」

「どうするの?流石に出所して暫らく経つから、私たちが目当てって訳じゃないだろうしね」

「―こんな所で争ったら監獄にぶち込まれちまうしなぁ。流石にあんな所はもう勘弁だ。…飛ぶか」


 時折二人の会話から垣間見える、二人の過去に興味が惹かれるが今は其れどころではないとラリクスは意識を切り替える。


「ラリクス、クルルス。全力で飛ぶ。俺にしがみ付け」


 そう言うとクライフォードは、弾力があり鋼のように固く木の幹の如く太い、両腕を広げた。抱き着けと言わんばかりに。クルルスは何ら躊躇いもなく、ラリクスはクルルスを見習い、恐る恐る、クライフォードの鍛えられた腕にしがみ付いた。


 それを確認する否やクライフォードは、背の翼を思いきり広げると、力を込め、勢いよく地面に振り下ろす。強風が巻き起こり、道の土砂を舞い、クライフォードの巨体が勢いよく、宙に浮く。

 あっという間に建物の屋根より高く飛上がる。そして幾度となく羽撃き。クライフォードの強靭な胸筋が繰り出す力強い羽撃ききは、クライフォードに勢いを与え、弾丸のような速さを生み出した。


 風を勢いよく切る為、空気が顔に当たりとえも痛いが空中で泣き言を言う訳にもいかないので、ラリクスは歯を食いしばって必死に耐える。

 あまりに速すぎて風を切る音すら聞こえないのだ。如何に隠密に優れていようと追いつけまい。


 人生二度目の飛行も、訳の分からぬまま迎え、訳の分からぬまま終えるラリクスであった。

 


 クライフォードは、いきなり下を向くと、翼を畳み、急降下を始めた。

 くるくると回りながら落ちるがままに急降下し、地面に後少しでぶつかる―その寸前に再び力強く羽撃く事で減速し、地面にやんわりと着地する。

   

 飛んでいる最中は周囲の景色を見る余裕が無かったので、気付かなかったが、どうやら随分と都市部から離れたみたいだ。

 森の木々に囲まれた小さな一軒家がそこにはあった。壁は蔦に覆われ、随分と草臥れている。


 これがリリア・ララインの住む家なのだろう。

 クライフォードは迷いのない足取りで扉に歩み寄ると、躊躇なく扉の取手に手を掛け、扉を開けると家の中に入っていった。


 ラリクスとクルルスは同時に顔を見合わせると、後に続き家の中に入る。

 古びた本の香りな鼻孔を擽る。そして同時に雑然とした部屋の様相が目に飛び込んでくる。


 本棚に積まれた大量の本は最早仕切りの中に収まらす、山を形成している。壁にはよく分からない書状が短剣で打ち付けられており、窓際には年季の入った手帳が幾つも乱雑に置かれていた。


 床にも古すぎてよく読めない古文書や、古代文字て書かれたであろう石版が幾つか積まれており、何処ぞの研究室を連想させる汚さだ。


「ほう。今日は案外綺麗だな」


 だがところがどっこい。こんな床が見えないような汚さでも何とまだ綺麗な方らしい。一体全体、リリア・ララインとはどの様な人物なのか。


 部屋の印象が凄まじすぎて、どの様な人物なのか検討が付かない。

 ラリクスは、小汚い服に眼鏡を掛けた典型的な研究員を、クルルスはよぼよぼだが眼力の強い老婆を思い浮かべる。


 そんな二人の様子など知る由もないクライフォードは、この家の家主を呼ぶ。

「おーい。婆様、信頼できる奴を、連れて来た。海渡りしたいんだとよ。ちょっと来てくれよ」


 すると奥にある扉が開き、一人の女性が出てきた。

 白髪がちらほら見受けられるが全体的に若く、出る所は出て、引き締まっていて、とても老婆には見えない。確かに皺があるがラリクスの知る年寄りに比べると圧倒的に少ない。白いシャツに黒い洋袴ズボンと呼ばれる物を着こなしており、劣情すら催せさせる。老眼鏡を掛けているが、眼光は鋭く、煙草を咥える様は非常に格好良く、覇気すら感じさせる。


 これ世界に名を轟かす、ロロスロード王国が誇る海精使いの出せる貫禄か。ラリクスはただ圧倒させられるだけだった。

 そして同時にリリアはただ立っているだけなのに、本能が、けたましく警鐘を鳴らす。敵対するな、殺されるぞ、と。


 リリアはその鋭い眼光を持って、クルルス、ラリクス、クライフォードの順で見つめる。

 以外そうなそれでいて納得した表情、少し驚いた表情、そして懐かしむ表情。見つめる相手が変わる度に表情は変わるが、その鋭い眼光は変わらない。


 クライフォードを見つめて少し懐かしそうな顔をするも直に元の険しい表情に戻し、口を開ける。


「婆様って呼ぶんじゃないよ!!この馬鹿鳥が!しばき倒すぞッアホ!!あたしゃまだまだ113歳の淑女だよ」

 リリアは開口早々思い切り怒鳴る。

 だが、ラリクスと、クルルスは実年齢に驚く。陸上人ランディアで100歳超えなど聞いたことがないからだ。

 そんなラリクスの様子を気にも留めず、リリアはクライフォードに話し掛ける。

 

「…久しぶりだね。クライフォード。監獄に入る前以来じゃないか。―てっきりどっかで焼き鳥にでもされたかと思ったよ」


「悪いな。里帰りだの何だの、色々あって中々顔が出せんかった。すまん」


「まあ、けど生きてるだけで何よりだよ。―クライフォード、よく来たね。ゆっくりしておき」


「おう。ゆっくりさせて貰うぜ。後、こいつらに海精と契約させてやってくれ。海渡りがしたいんだとよ。俺の友達なんだ」

 クライフォードは親指を後ろに向け、ラリクスとクルルスを指し示す。


 リリアは鷹揚に頷くと、言葉を紡ぐ。

「ほう。こいつの友達かい。…海廻人シーアナの嬢ちゃんと、陸上人ランディアの少年。あたしはリリア・ラライン。―こいつの師匠さ。よろしく頼むよ」


 リリア・ララインの言葉にラリクスとクルルスは頷く事しか出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る