4章 三ツ世善悠の休日(3)
「なあゼンユー」
「電車乗るのか?」
「そうだよ。ほれ切符、なくすなよ」
湯山山麓鉄道、通称ユヤデン。
その起点駅である稲荷町駅の駅舎へやってきたゼンユーは、小児料金の一日乗り放題切符を二枚買った。
ユヤデンの澤ノ井行き始発は五時十五分。
先に双子を改札に通して待つように言い、ゼンユー本人は駅長室へ向かう。そこで腕章を受け取ると、双子と合流して停車中の列車へ乗り込んだ。
「ゼンユー」
「なにそれ?」
左腕に取り付けた腕章を引っ張る小さな手を払い、もったいぶって説明する。
「これはな、ガイドの印なんだ」
腰を落として刺繍の文字が見えるようにしてやれば、マナカナは声を揃えてそれを読んだ。
「ボランティアガイド?」
「そ、俺はユヤデンのガイドをしてるの。時々な」
「ゼンユー、休みじゃないの?」
「休みだよ。だからこれやってるんじゃないか」
湯山山麓鉄道のガイドはボランティアだ。
土日祝日に限ったサービスで、登録している三十人くらいが交代で乗車し、生音声でガイドをする。
これも善光が始めたことで、ゼンユーは自身が中学の頃から携わっている古株中の古株。今では育成側にいることが多いものの、どうしてもみんなの都合が合わないときにはこうして代打で乗車する。
経験が物を言うガイド職、ゼンユー乗務時の評判はすこぶるよく、彼が乗っているときは大当たりだと書いている個人ブログも存在するほどだ。
「あと三分で発車するから、大人しく座ってろ。澤ノ井まで静かにしてろよ?」
そう言われて素直に指示を聞ける年頃ではない。
ゼンユーの周りを行ったり来たり、運転席のガラスに頬を寄せ、窓を叩き、落ち着かないにもほどがある。
しかしゼンユーはそれに構っている場合ではない。
発車一分前には定型の口上があるのだ。
「みなさま、本日は湯山山麓鉄道をご利用いただきましてありがとうございます。当列車は五時十五分発、稲荷町始発澤ノ井行きでございます。当駅を出発いたしますと、湯山温泉郷、湯山口と順に停車し、終着澤ノ井まで各駅に停まります。本日は休祝日ダイヤのため、ユヤデンボランティアガイドが沿線をご案内しながらの運行となります。私三ツ世が終着駅までガイドいたしますので、ぜひお楽しみいただければと思います。それでは定刻となりました。ドア付近のお客様、閉まるドアにお気をつけください」
車掌室からコードを引っ張ってきた小型のマイク片手に、淀みなくいい声で話すゼンユーを目の当たりにして、双子は急に大人しくなった。
いつもと違う発声で別人のようにも思えて、口パクで言われた『座れ』に自然と従っていく。
「一つ目の停車駅、湯山温泉郷は鴉原市最大の温泉地でございます。春の桜、秋の紅葉と有名でございますが、夏は川床、滝遊び、流しそうめんなど、水を使った風流な遊びが楽しめます。一昨年には稲荷町の葡萄農家と提携し、オリジナルのワインや葡萄ジュースを開発しており、それを使用したスイーツがお土産として大人気となっております。さて、列車は吊り橋の上を走行しております。進行方向向かって右側、遠くに見えますのが湯山稲荷神社の元の建立地でございます」
乗客は約三十人。ガイドに従って窓を覗き込む人も多く、ゼンユーはそんな客の会話を聞き取っては喋る内容を変えていく。台本のない生ガイド、ここまで全て頭に入っているのは、ゼンユーを含めごく僅かだ。
その調子で澤ノ井まで喋りきった後、今度はまた稲荷町へ戻る車両に乗り込み、同じことをする。
もちろん逆向きなので話す順番は違うが、押さえるべきポイントは押さえつつ、客に合わせて変えていく。
途中まで熱心に聞いていた双子たちは復路の仲間で眠り始め、稲荷町ではゼンユーに抱えられるようにして電車を降りた。
次の列車には大学生の新人ガイドが乗り込む。
緊張している様子のその子に腕章を渡し、背中を叩いて送り込み、ゼンユーは双子を連れて駅を出た。
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