3章 小役人のプライド(3)

「戻りましたー」

 鴉原市役所高層一号館二十七階山側、市長室特命政策課港都湯山まちづくり担当ラインは静かだった。

「おかえりなさい、係長!」

「ただいま、館埜ちゃん。変わったことは?」

「特にないです。つまんないです」

「平和なのはいいことじゃないか」

 港都湯山まちづくり担当は係長二人、担当三人のチームである。

 係長の一人である恵治は事務職で、もう一人は土木職。

 恵治の下についている館埜千歳も事務職だが、他の二人はそれぞれ建築職と農業職で、土木職の係長についている。

 五人あわせてフルセットというわけだが、いかんせん専門職の三人は現場に出っぱなしであり、事務職コンビの二人が一緒に出かけてしまうと電話番すらいなくなる。

 割を食うのはいつも千歳で、毎日淋しそうに一人事務仕事を片付けているのを見るのは、上司として心痛むものがある。

 去年新規採用で入ってきていきなり初任配属が恵治の下。二人きりの港都まちびらき三十年担当として毎日外回りと夜中までの残業で力をつけてきた。

 それが今年はライン丸ごとの引っ越しで、仕事の対象は似ているものの内容はガラッと変わって庶務一色。たまに来る事業打ち合わせも係長だけが出かけていく。

 去年一年で事業課の楽しいところを知ってしまっているだけに、デスクワークオンリーの生活はストレスも溜まるだろう。

「あ、いなりちゃんグッズ買ってきたぞ」

「やった、ありがとうございます!」

 恵治が現場に出かける度にあれこれ買ってきてほしいと言うのも困ったものだが、この程度で楽しく仕事をしてくれるなら安いものである。

「それな、ゼンユーが作ってるんだって」

「そうなんですか?」

「うん。正確には、ゼンユーが部長をしてる商店会の青年部ってとこの企画らしい。新しいのできたら教えてくれるって」

「すごい! ゼンユーさんまたご飯ご一緒したいです!」

 千歳とゼンユーは以前に一度だけ飲んだことがある。

 稲荷町の立ち飲み屋である居酒屋いなりに千歳を連れていったときに会ったきりだが、そのときの印象がよほどよかったらしく、ことあるごとにまた行きたいとせがまれている。

「飯は無理かもしれないけど、来週こっちに来るよ」

「なんでです?」

「例の仕事、あいつが引き受けてくれるらしいんだ」

「……ゼンユーさん、何者なんです?」

「何でも屋だな、あれは。まちの便利なにーちゃんだ」

「おじいさんもそういう人なんでしたよね」

「善光じいちゃんはもっとすごかった」

 港都島造成にあたり稲荷町付近の山を切り出す際、住民に新しい鴉原を作ったという誇りを持たせて反対を抑えた功労者が三ツ世善光だ。

 その後も港都島と湯山温泉郷から稲荷町にかけて諸々の調整役を引き受けた。今でも役所の都市整備関係部署では新人に必ず教えるエピソードに含まれている。

「そうだ、小学校の資料は見せてもらえたんですか」

「ばっちり。館埜ちゃんのフォルダに落とすから印刷よろしく」

「了解ですっ」

 同じ単純事務でも、恵治がもらってくる仕事の補佐の方が千歳のテンションは上がる。この上司は必ず自分にも美味しいところをかじらせてくれると分かっているからだ。

 初任配属からようやく一年、担当時代に抜群のエースとして人事リストに挙がった男、八杉恵治の真下にべったりついてきただけあって適応力はずば抜けている。恵治からすれば、来年以降この子を部下につける人間が心配になるほどだが。

「係長、写真印刷しましたよ」

 五枚の写真はどれも古く劣化した巻物で、湯山稲荷神社の引っ越しの様子が描かれている。

 これをPVの導入に使いたくて参考に写真を撮らせてもらったのだ。実際はきちんとした資材で撮り直すが、とりあえず上を頷かせるのにモノがいる。

 稲荷町の成り立ちをシンプルに表現するにはどうすればいいかを考えたとき、思い出したのは母校の宝物だった。地域学習の度に図書室で説明を聞いたものだ。

 つまるところこれは稲荷町の人々の大半が記憶に持っているもの。それも恵治の中ではポイントが高い。

「じゃあこれ使ってちょっとイメージ固めていこうか。来週にはゼンユーが協力者の候補リストをくれるから、それと合わせればすぐにレクに入れるようにしよう」

「はい、お任せくださいっ」

 パワーポイントを立ち上げてちゃっちゃと写真を貼りこみ、前に撮ったサンプルインタビュー動画を組み込んでいく。

 動画作成を委託する会社へ出す撮影イメージとして恵治が映ったものだ。

「イメージデータとは別にコンテみたいなのもあったら説明できますよね?」

「十分。秒数とか細かいのは入れないでいいぞ、下手に書くと縛られる」

「心得ておりますっ」

  その翌日のうちに課長部長市長室長と順に三段階を三十分刻みでレクを入れて持ち回りで決裁を取った二人は、翌週月曜にはゼンユーとの打ち合わせを迎えていた。

特命政策課のミーティングテーブルで詳細な企画案を読み合わせながら、ゼンユーは感嘆する。

「ちょくちょく役所絡む仕事してきたけどさ、ここまで上の役職が出てくるのにニ営業日で話まとまるの、初めてだわ。さすがだね、八杉係長サン?」

「そら今回は元々大ボス勅命よ、やるやらないの答えが出てればあとはいくらでもごり押せる」

「ごり押せちゃうのがテクだよねえ小役人」

 八杉恵治が担当者であった頃、エースと呼ばれた理由はこのごり押しテクニックである。

 面を合わせてからごり押すだけでなく、そもそも面を合わせるまでの押しが強いのだ。

『上に話を通せてないから一週間待ってほしい』……そんな断られ方をするのは役所にありがちなことだが、恵治に限ってこれはない。

『今から首を縦に振らせてくるから三十分待っててくれ』、大抵これだ。

 説明する時間が取れずに苦労することの多い役所の体制にあって、恵治は空気を読まずねじ込むことねじ込むこと。

 ねじ込めばそれだけ他の予定に皺寄せがいくので嫌がられがちだが、恵治の場合はその皺を最小限に抑えてくる。

 突かれる隙は最初から塞いでおき、懸案は予め練っておき、ここまで詰めたから黙って了を出せと言わんばかりの圧力で持っていく。

 引っくり返させないことこそが恵治の強みであり、力業で全てを収めてきた秘密である。

「資料はともかく、上の予定押さえてごり押したのは館埜ちゃんだよ」

「へえ、やるねえ」

 少し離れたところのデスクで事務処理を続けていた千歳がわざわざやってきて胸を張る。

「なんのためにギャルやってると思ってるんですか、こういうときにガンガンいくためですよ!」

 千歳は分かりやすくギャルである。

 あまり市役所では見かけないレベルで派手な見た目であり、髪と化粧はもちろん、爪の先も持ち物も全てに気を遣うこだわりっぷり。

「それ、そういう意味でやってたの?」

「そうです。大学の頃だって髪も染めたことなかったですけど、こうしてる方が色々都合がいいので」

 童顔の千歳は高卒に見られてしまうことも多く、配属されて三日で仕事にやりづらさを感じ、その結果とった対策がこれだった。

 完璧にきらきらにしておくと、大抵のお偉方は自分をちゃんと見てくれる。面倒なお局には目をつけられるが、そんなのは最初から無視を決めている。

「でもさすがに髪色は今より明るいの禁止な。たまに市長がいるとこに出ると、怒られないか冷や冷やするんだ」

 服はこれまたこだわりで、役所女子には珍しい常時スーツ。体型に合わせてオーダーメイドしているため、かなりスタイリッシュな姿になっている。

「で、館埜ちゃんがごり押してくれてこんなに早く話が進んだわけか。ありがたいね」

 まずはカンパニーの代表者であるゼンユーに正式に協力依頼をかける。そして稲荷町内の協力者のリストを出してもらい、それを対象とした協定書を交わす。

 そこからは既に決定しているPV制作会社が地域に入って撮影していく。

「完成は一応五ヶ月後を予定してる」

「ちょうど紅葉前の時期にリリースか。ユヤデンで流せって頼もうか? 顔利くけど」

「いや、それはこっちでやる」

「じゃあ任せるわ。メンバー名簿はメールでもいいの?」

「ああ。むしろデータの方がありがたい」

「はいよ。今週中には送れると思うから」

 そんなわけでかなりいいテンポで進んでいたはずのこの事業が、思わぬ方向に進んでいくとは、このとき誰も思っていなかった。

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