3章 小役人のプライド(2)
「ケイじゃん、うっわー、市役所勤めってまじなんだ。すごーい、えっ、係長って偉いんじゃないの?」
グリーンキッチン本店のレジ前で、同級生三人は再会を果たしていた。
本日の鳴島社長はスタンダードなオリーブ色のエプロンで、試食用の瓶詰めチーズマリネを仕込んでいる最中。きりのいいところで手を止めて受け取った名刺を見て感嘆の声を上げる。
驚かれた恵治の方が実は数倍驚いているのだが。
「いや別にそんなに偉くはないが……というか何故朔が店を……? お前、本稲荷の米農家だったよな……?」
「田んぼは姉ちゃんが継いでくれるから、僕は独立したんだよ。あ、季子もいるよ、呼ぼうか?」
「季子って倉見季子? え、あいつも葡萄農家じゃなかった?」
「季子のとこは一族結託して法人化するとかで人雇ってやるようになって、実質従兄が全部見てるから、季子は好きにしてていいんだって。たまに収穫に借り出されてるけど。待ってて、呼んでくるから」
「なんか、知らない間に結構色々変わってるのな」
「お前このところさっぱり帰ってきてなかったもんな。たまに会っても他の奴の話一切しないし」
「仕事が忙しすぎて、ついに本庁真ん前のマンション買っちゃったからな」
「一括で買ったのか?」
「まさか。職員信用組合で三十五年分割よ」
「広いのか?」
「九十平米ある」
「同居人のご予定は?」
「……あると思うか?」
じとりと睨まれたので、ゼンユーは話を変えた。
「ちなみに」
「うん?」
「季子の名字が鳴島になった」
しばしの沈黙の後、恵治はその場にうずくまって頭を抱えた。
「うわー、そこくっつくの? 全然予想してなかった」
「まあ俺は経過を全部見てたから驚きはしなかったけど、でもまあ子どもの頃のことを思えば意外だよな」
倉見季子といえば、マンモス校だった湯山中学校でさえ入学前から名の知られた厄介者だった。
湯山温泉郷よりも更に向こう、湯山の新興住宅街の外れにある中学まで毎日一緒に通っていた四人組の中で断トツに知名度が高いのが季子だった。ただし悪い意味で。
同郷ながら恵治が顔を合わすことはほとんどなかったとはいえ、いくらなんでも情報が遅すぎる。
「ていうか、季子はゼンユーが好きなんだと思ってた」
「なんで」
「だってあいつ、お前の言うことなら聞いてたし」
「そうか? 朔しか見てなかったぞ、季子は」
その言いぶりではまるで、と恵治は思ったが、口に出す前に懐かしい声が聞こえた。
「ケイじゃん、久しぶりー!」
「おお、久しぶり!」
恵治の手を掴んでぶんぶん振るあたり、昔と変わっていない。
「季子って、どこぞのホテルに就職したって言ってなかった? 成人式のときに」
「そうなんだけど、朔が店やるって言うから戻ってきたの。朔に事務仕事ができるわけないし」
「あー、分かるわー」
「でしょ?」
「ひどくない?」
朔の抗議を聞き流し、きちんと祝福の言葉を伝える。
「朔、季子、結婚おめでとう」
「ありがと」
「どうも」
「ていうかさ、こういうこと聞いていいのか分かんないんだけどさ」
「うん?」
かなり躊躇しながら、季子のスカートの膨らみをちらと視界に入れて聞く。
「季子……妊娠してる?」
「えへ、五ヶ月」
季子の妊娠が分かったのは二月のことだ。
二号店オープンからまだ半年弱とあって全関係者が心配したが、当の季子はつわりが軽く体調もいいからと前の通りに働き続け、さすがにそれはどうなんだと朔が責められるまでになった。
一時休養し、結果として無事に安定期を迎えたが、そもそも調理場は重労働だ。
頑張りすぎる傾向にある季子の復帰への周囲の反対は大きく、現場からは一時離脱することとなり、今は内勤として情報収集などに力を入れている。
「まじか、朔がパパになるのか……嘘だろ」
「なんでそっちにダメージ受けてるの? 僕に失礼じゃない?」
「いや、お前頭はよかったけどこういうのどんくさかったし」
「その気持ちは分かる。俺も実はそう思ってた」
「ケイもゼンユーもひどくない? なにしに来たの?」
その言葉で恵治は我に返る。
あまりにも驚きのニュースだったので忘れていたが、今日は仕事で来たのである。
「実はだな、ちょっと仕事を引き受けてくれる人を探していてな」
「どんな?」
「移住ポータルサイトでインタビューを載せてもいいよっていう人」
「いいよ?」
「ほら言ったろ、早くも一組釣れた」
「うわ、本当だ、すごいな……」
即答した割に意味の分かっていなさそうな朔に、恵治が改めて説明を始める。
「今、稲荷町への移住促進策を模索してて、ありきたりだけど今の住民の声を集めたいんだ。で、役所のPVによくあるぼやかしたやつじゃなくて、店の名前とか全部ちゃんと書く。謝礼はできないけど宣伝はしてくれてもいいし、割と自由にしてもらっていい。そういうのを作ろうと思ってて、出てくれる人と地域で呼びかけてくれる人を探してる」
地域に実在する店や企業のことを実名で伝えなければ、その地域の魅力は伝わらない。特定のいくつかだけ取り上げるせいで公平性が保てないのだから出たいところを全部載せればいい、紙じゃ載りきらないし発信力が弱い、やるならウェブだ。やらせろ。
――という主旨のことを七営業日に渡り直談判した結果、根負けした上司が好きにやれとばかりに恵治を解き放った。
見切り発車もいいところだったので少し焦っていたが、ゼンユーがいるなら大丈夫だろうと思っていたのは間違いではなかったらしい。
「じゃあカンパニーだ。そしたらみんな集まるよ」
「朔もそう思うよな?」
「あたしも思う。メールしとこうか?」
「あ、ちょっと待って、まだ駄目、ストップ」
危うくフライングで拡散されそうなのを止めて、別日で打ち合わせさせてほしいと提案し、今日のところは帰庁することとした。
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