3章 小役人のプライド
3章 小役人のプライド(1)
四月、稲荷町の桜は一斉に盛りを迎えた。
湯山稲荷の参道では店の隙間に桜が根を張り、風が吹く度花びらが舞う。
しかしながら鴉原で桜の名所と言えば澤ノ井公園と湯山温泉郷。
稲荷町は一番に名前の出てくる場所ではない。
そのおかげで穴場になってはいるのだが、いかんせん淋しく思うのも事実で。
こんなに綺麗なのにもったいないよなあとぼんやり思いながら、ゼンユーは路地で煙草を吹かしていた。
と。
「あれ、ケイ?」
桜の枝の向こうを親しい横顔が通り過ぎたのを見つけて声を上げれば、相手も気づいて少し引き返してきた。
「おー、ゼンユー。元気にやってるか?」
「いやまあ俺は相変わらずだけどさ……」
「そりゃなにより」
八杉恵治、保育所からの腐れ縁。
濃い灰色の背広を片手で掴んで肩に引っかけながら、ビジネスタイプのリュックを背に歩く足下は革靴。
どうやら仕事であるらしい。
去年の夏に澤ノ井の方へマンションを買ったとかでこちらへは寄り付きもしなくなったため、本当に久しぶりだった。
「え、お前、港都島担当じゃないの?」
恵治は鴉原市役所の事務職員だ。
去年の今頃に係長へ昇進したと同時に市長肝入り事業へアサインされた、文句なしのエースである。
ピチピチの新卒を部下にもらって喜んでいたが、任されていたのは鴉原自慢の巨大人工島のまちびらき三十年記念事業のはずで。
港都島と呼ばれるその島は稲荷町から山を越えた遙か向こう、鴉原港にあって、つまり彼が公務でここにいるのは不自然なのだが。
煙草の灰をぼろぼろと落としながら首を傾げるゼンユーを見ながら、恵治は上着の内ポケットを探る。
「二月から臨時の職制替えで市長室にラインまるごと移ったんだ。港都まちびらき三十年担当改め、港都湯山まちづくり担当になった、よろしく」
新しい名刺だと渡されたのは、やけにおしゃれなカラーリングで鴉原市のシルエットが入ったもの。
市長室特命政策課港都湯山まちづくり担当係長と書いてある。
「……なんの仕事なのこれ」
「港都島と湯山区のまちづくり。去年まであった各区役所のまちづくり振興課が集約されて特命政策課になったんだけど、俺らはその中の港都島と湯山区の地域担当」
正確に言うと、本庁在籍ながらも澤ノ井区役所港都支所と湯山区役所にも席があるという。
「相変わらず歯車やってんな、お前も。で、なんで港都島と湯山をセットにしたんだよ、遠いだろ」
「港都臨海線と湯山山麓鉄道で一本道だから。うちの大ボスの頭の中では、そこは相互交流して当然の地域なんだよ」
「えええ、無茶言うわあ」
「まあ実際キツいよ? 特に港都島は去年からの継続の動きがあるから手放せないし、だから湯山の方の動きはこんな時期になっちゃって。あ、でももう来るの五回目なんだぞ。いつも時間カツカツだから会いに来れなかったけど」
「それはいいけどさ、湯山の担当なんだろ、なんでわざわざ稲荷町に」
「大ボスは稲荷町を重点的にやれと仰せだ」
「いやいいよ、こっちのことは気にするな。というか放っといてくれ」
元々稲荷町はあまり行政の介入のない地域だった。
観光行政も隣接の湯山温泉郷ばかりに集中していたし、本稲荷地区の農業も地元で結成した営農組合が自力で色々やっているのでわざわざ農業所管課が過剰なちゃちゃを入れることもなく、なににつけても気を遣われることの少ない地域。
それが急に専任者をつけました、なんて言われても困る。
「それがそうもいかんのよ。今年俺が使える予算、九割くらい稲荷町用」
「ああ、そう……」
なんでまたそんなことにと思いながらも、幼馴染みの仕事なので悪くは言わない。
再びふかし始めた煙草を見て、恵治が突っ込みを入れる。
「ていうかさ、路上喫煙禁止じゃないのか?」
「禁止なのはそこの線まで。ここは私道で俺の道。だからなにを咎められるいわれもない」
「え、こっち側もお前のとこなの?」
「自慢じゃないが、今やこの区画は大体俺の土地だぞ。地味に買い集めてるからな」
「なにしに?」
「そりゃお前、土地転がしよ」
「こんなとこ転がしてどうするんだ?」
「色々あるんだよ」
このところのゼンユーは余り土地で買えそうなものを見つけるとすぐに買い上げている。
稲荷町内の土地は相続と各種騒動で分筆されまくってややこしくなっており、工事の度に難航するのだ。
商店会を上げて調査しろと申し入れたこともあるが動きはなく、とりあえず近所の土地を自力で集約し始めている。
「まあお前、大家業もやってるもんな」
「それは副業だけどな。で、なにしに来たんだ?」
「小学校へ資料を借りに。かなり稀少なものらしくて、動かすのも難儀するんで、写真を撮らせてもらいに来たんだ」
「ふうん。なにに使うんだ?」
「まだ言えない」
「あっそ」
「あと、いなりちゃんとかいうキャラのグッズを買って帰らなきゃならないんだが、どこで買える?」
「観光協会だな。ま、お買い上げありがとうございます」
「なんでお前がお礼を」
「うちの商品なんで。ほれ」
言いながら見せたのは携帯灰皿のストラップ。
プレートに狐面のキャラが印刷されたそれの端の方に『稲荷町商店会青年部』とクレジットが入っていた。
「商店会青年部?」
「そ。これ、俺が青年部長になって最初の仕事なんだ」
「お前青年部長なんかやってたっけ?」
「まあな。一応商店会の本部役員だぞ。……でも困りごとをどうにかしてやれるほどの力はないからな、厄介な話持ち込むなよ?」
グリーンキッチン二号店の一件はまだ尾を引いていて、最近では定例役員会でゼンユーと会長が毎回一騎討ちを繰り広げては引き分けになるお決まりのパターンと化している。
青年部として必要な要求は別で通ってはいるが、ゼンユーは確実に動きづらくなっていた。
「いや別に厄介ごとではないさ。ちなみにお前、稲荷町の若手の経営陣に顔利いたりするわけ?」
「そりゃまあ全員知り合いだし……でも商店会には入ってない店もあるからなあ。そういうところは青年部ルートでは話ができん」
「勉強不足で悪いんだが、稲荷町の店って何軒くらいあるんだ?」
「あー、全体で百五十くらい店があって、そのうち商店会に入ってるのが百三十六、うち青年部に入ってるのは五十一で、商店会に入ってないのは大体若手の店だから、まあお前が興味ありそうなのは六十五軒くらいかな」
「商店会に入ってないっていうのは、入りたくないっていうことなのか? 曲者の経営者とか?」
「いや、ほんとはみんな入りたいんだよ。町全体のキャンペーンとかにも便乗できるし。でもほら、堅物が商店会長だから、認めないのよ。でまあ俺とこに相談に来るんだけど、俺はもう面倒だし、別に商店会入らなくていいよって言っちゃうのな。で、それじゃなんかもったいないし、経営者だけ呼んでも仕方ないしってことで、四十五歳までの全関係者取り込んだサークルみたいななんちゃって組合を作って、最近は基本そっちで動いてるのが多いかな」
去年の夏以来商店会で動きづらくなったゼンユーは、別の組織を立ち上げた。
稲荷カンパニーと呼ばれることの多いこの集まりは正式名称を稲荷町の未来を盛り上げる会という。
これも会長との確執の一因ではあるのだが、それを差し引いてもメリットの大きい、稲荷町に関係する全ての若手による緩やかな共同体である。
稲荷町内の経営者はもちろん従業員、ただの住人、本稲荷の農家衆もメンバーになっており、人数だけでいうなら稲荷町で一番なのは確実だ。
「え、なにそれ」
「うん?」
「俺らその堅物が動かなくてまじ困ってるんだけど、堅物が口出しできない若手の集まりがあるってことか?」
「あるよ? まあまだできて半年だけど。フリーペーパーとか作ってる」
「……そこと手を組みたいと思ったら?」
わざとらしく二回煙を吐き出して、うーんそうだなあとこれまたわざとらしく唸ってみせて。
「俺を納得させてみれば?」
「……お前が友達で本当によかったって思ってる」
「そりゃどうも。で、なんの仕事なんだ?」
「待って、小学校のアポがもうすぐだから、終わったらまた寄るよ。事務所にいるよな?」
「急用がなければ」
「了解。先に企画書だけ渡しとくから、読んでて。一応ゼンユー止まりにしといてほしい」
紙束を押しつけるようにして走っていく背中を眺めながら煙草を消す。
「さてと、一仕事の予感かねえ」
役所の仕事を引き受けるのは初めてではないが、前の一件は善光が死ぬ直前に受注したものだったため、最初から手をつけるのはこれが最初になる。
事務所に入って珈琲など淹れながら、渡された企画書を流し読み。
移住促進プロモーション企画(案)と書かれたそれは、稲荷町の現役世代の生活を紹介することで移住イメージを刺激するという、いかにも地方都市の役所がやりそうな内容だった。
ただ、こういう企画にありがちな『個別の企業名を出せない』という制約はないらしい。というかむしろ『きちんと具体的な名称を出す』と明記されているくらいには覚悟があるらしい。
「なるほど、一部だけ載せるわけにはいかないから、作業量が膨大になるの承知の上で全員当たろうってわけか。ケイらしいな」
それなら確かにカンパニーのネットワークがふさわしい。商店主だけでなく、従業員も農業関係者も、一般住人にも声をかけられるし、それなりに協力してくれる人もいるはずだ。
「となると、順番が大事だなあ」
ゼンユーは一人になると独り言が大きくなる癖がある。特に事務所で考え事をしているときはかなりうるさい。
「朔、さくさくー」
なんて歌いながら電話をかけはじめるのもいつものことだ。思い通りに予約をとりつけた後、今度は恵治の連絡先を呼び出してメッセージを送る。
「会わせたい人がいるから、小学校前で待ち合わせよう。迎えに行く、と」
送信、と。
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