3章 小役人のプライド(4)

 その天の声が降ってきたのは五月の頭。

 明日から連休だというまさにその日の午後四時。

「八杉くん、ちょっと」

 席を外していた特命政策課長が帰ってきたかと思えば、椅子にも座らず恵治を呼んだ。

 どこへでもついていきたがる千歳も腰を浮かせたが、恵治に来るなと口パクで言われて大人しく仕事に戻る。

 課長に続いて別室に入れば、神妙な顔で聞かれたのは例の件の進捗だった。

「……今、どの段階だ?」

「協定書の調印が終わったので、連休明けからPV制作会社とロケハンに入る予定です。撮影は来月から三ヶ月ほど」

 最初に見せたスケジュール通りなのだが、課長はうーんと唸った。

「それ、二ヶ月巻けない?」

「……まだ着手から一ヶ月経ってないんですが」

「そこをなんとか」

「なにがあったんですか」

「市長がね、夏の会議のときに流したいんだそうだ」

 夏の会議という単語は、今この時期の鴉原においては特殊な意味を持つ。

 今夏鴉原市最大の事業、姉妹都市会談。

 世界五カ国六都市と姉妹都市協定を結んでいる鴉原市は、それらの国を一度に呼んで国際交流イベントをしようというのだ。

 そのために集められた総合企画局の姉妹都市会議事務局の面々は気の毒なほど大変な目に遭っている。

 実を言えば恵治と千歳もそちらへ移るという話があったのだが、交渉の末に立ち消えとなった。

 まさかここにきてまたその会議に苦しめられるとは。

「え、いや、あれってお盆時でしたよね? 二ヶ月ちょいしかないじゃないですか」

「だからそれを、な?」

「な、じゃないです、無理ですよ」

「どうにかならんかな」

「ならんですよ」

 制作会社との契約上、そんな急な納期短縮は不可能だ。

 金を積めばいいという単純な話でもなく、一般人の撮影という物理的に時間のかかる内容なので、どうやってもある程度の時間はかかる。

 二ヶ月で見れるものにするなんて、無茶だ。

「理由、聞いてもいいですか」

「……明日にはオープンになることだが、このまま行くとどうやら二年後には確実に人口ランキングの順位が下がる」

「あれ、結構盛り返して順位上げましたよね、うち?」

 鴉原市は少し前に教養文化都市というフレーズでブランドの刷新を図り、教育と文化に集中投資して人口を回復した。はずなのだが。

「うちは微減なんだ。かつてよりも減少幅は小さいし、年度替わりは転入超過になってる。でもな、一個下が常に微増で、しかもなんと……合併するらしい」

「合併? このご時世に?」

「するらしい……」

 今日のうちには至急の照会で人口取り込み策の提案依頼が来るだろうというのは、聞かずとも分かってしまう。

「……一晩ください。ちょっと整理します」

 そう言ってデスクに戻った恵治は、何事かと食いついてくる千歳を押し返しながらまずPV制作会社に電話をかけた。

「シンプルに聞きますが、八月頭納品にしてもらうにはどうしたらいいでしょうか」

「……はい?」

 そりゃそうだよなという返事が得られたところでここからが本番である。

「金は積めるだけ積みます。物理で足りないところの補強はなにがどのくらい必要ですか」

 予算を奪ってくるのは恵治の得意分野だ。

 他局の財源だろうと遠慮なく引っ張ってくる。

 問題は単純なマンパワーだと判断していた。

 電話の向こうで営業が狼狽えているのが手に取るように分かるが、それを気遣っている時間も惜しい。

「今日中に、概算でいいので追加の経費見積もりをください。あと、足りない人手がどのくらいかも」

 人を庁内で引っ張るのは無理だろう。

 となると有志だ。有償ボランティアの形をとって学生雇い上げが現実的かもしれない。

 電話を切り、千歳に声をかけようとすれば、ノートパソコンの画面には既に撮影ボランティアの依頼文。きらきらネイルの指先がすさまじい速度で打鍵を続ける。

 あれだけの情報でここまで汲み取ってもらえると楽である。

「館埜ちゃん、それできたらクラウドに上げといて。フォルダ作っとくから」

「らじゃです」

「費用試算は俺がやる。リスケの案は任せていい?」

「お任せください」

 エクセルを立ち上げながら、私用スマホで通話アプリをタップする。

 コール十回の後ようやく出たゼンユーに、時候の挨拶もなく問うことには。

「仮の話だが、この連休中の撮影は可能か」

「旅館系は無理だ、忙しい。それ以外も忙しいが、不可能ではないと思う」

「お前の予定は?」

「朔の店でキッチンのシフト」

 エクセル入力の手が止まった。

 ずり落ちかけたスマホを持ち直して。

「どういうことだ?」

「いや、俺あいつのとこの役員なのよ。で、人が足りないとシフト入れられる」

「そうなの?」

「意外と人遣い荒いのよ、朔」

「そうじゃなくて、お前、朔の会社にも関係してるの?」

「そうだよ。色々あってさ、今日もこれから出勤なんだ」

「あ、そう、ですか」

「うん。で、なに? 声かけといた方がいい?」

「いや、まだいい。頼むことになったらまた連絡する」

「はいよ」

 最悪の場合はゼンユーに丸投げしてしまおうと思っていたのだが、それは難しそうだ。

 困ったぞと手を止めれば、カラー印刷の紙が目の前に置かれる。

「リスケ案です。元々撮影終了から一次納品までの期間がこのくらいなので、逆算して制作会社さんがこのくらい巻きで撮ってくれればギリ間に合います。でもそれが無理なら」

「……無理なら?」

「稲荷町のみなさんに自撮り、してもらいます」

 しゃきんと口で効果音を言って、セルカ棒を伸ばしてみせる。

 案外妙案かもしれない。



 最近のスマホはすごいのだ。

 下手なビデオカメラよりもよく撮れるし、なにより操作が分かりやすい。

 セルカ棒を配布してそれぞれ撮影をお願いすると、みんなかなりのりのりで撮ってくれる上、思わぬ副産物が出た。

 撮影第一号、季子が店前で撮ったときのことだ。

「これって撮った後に一回転してもいいの?」

「一回転?」

「だから、お店を背景にして撮って、最後に私の好きな景色はこれですって、向き変えてもいいの?」

 季子の場合、大切なものは店だが好きな景色は店から見える風景だった。

 これは朔も同じで、聞いていけば店主の多くが同意した。

「まあ、見慣れた風景だからなぁ」

 稲荷町の名物立ち飲み屋、居酒屋いなりの大将もそう言って、くるりと回転してくれる。

 後になればなるほど、先に撮影を終えた人からの情報が入っているのでテンプレ化が進み、回らない人の方が少数派に。

 撮れたものから順に制作会社に送り、編集に入ってもらうのだが、途中経過のファイル名が『くるりん動画』になるくらいにはくるりのイメージがついているらしい。

 六月の半ば、梅雨入りと同時にリスト全ての撮影が終了した。

「やれやれ、どうにか終わってよかったなあ」

 観光協会のベンチスペースでサイダーを開けたゼンユーがさも完成したかのように言う。

 しかしながら、恵治からすればまだ終わっていない。

 納品ではなく、撮影が。

「ゼンユー」

「うん?」

「ありがとな、色々。忙しいのに案内とか」

「いいってことよ」

 稲荷町出身者としての土地勘のある恵治はともかく、千歳や、一緒に動いてもらった技術職三人組にとってはゼンユーの案内が頼りだった。住居表示ではなく地番がそのまま残っている部分もある中で正確に場所を当て、手早く相互の紹介をしてくれるのは、彼の立場ならではの強みだ。

 だが、恵治はちゃんと気づいていた。

「お前、あのリストから自分を抜いたな?」

 そうこの男、三ツ世善悠は、カンパニーの協力者名簿から自分を抜いた。すなわち、撮影リストから漏れている。

「ゼンユーさんも撮ってください!」

 自分のセルカ棒を渡そうとする千歳から逃げて、今度は恵治の手を避けて。

「いいじゃん俺一人くらいいなくても」

「駄目だって」

「ほんと細かいなあ、小役人は」

「駄目だ、俺のプライドが許さない」

「ふうん、プライドねえ」

「そうだ、俺の、小役人のプライドを傷つけるな――お前ほどの功労者を省くわけにはいかない」

 この動画のコンセプトは変わっていない。

 稲荷町の人々をそのまま映し出すことで、その魅力を伝える。

 これだけ顔の利く人間を入れなかったら、それは嘘に近い。

 ゼンユーは乗り気ではないようだったがそれでもなんとか納得して、大きな溜息を吐いた。

「条件がある」

「なに?」

 にまりと笑って言う。

「お前らも撮れ」

 恵治はもちろん、千歳ももう稲荷町の一員みたいなものだから。

 

 こうしてできた動画は、くるりんPVとして小さなブームを起こすことになる。

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