2章 油屋のこども食堂(5)

 二ヶ月でけりをつけるとゼンユーは宣言した。

 設備改修と人員確保、許認可関係、食材調達ルートの確保と広報、このあたりの最低限を二ヶ月でこなすだけでなく、横槍を入れたがる会長派の相手もしなくてはならない。

 設備と許認可、食材関係は朔の担当だが、それ以外、特に厄介ごとの対処はゼンユーの分担。

 オープン予定日まであと一ヶ月に迫り、店の形とオープニングスタッフの目処がそれなりになってきたあたりで、ゼンユーは苦手分野に直面していた。

 ちょうどそんな頃、管理人室より事務所の方にいることが増えたゼンユーを見て、声をかける人があった。

「大家さん、最近忙しそうですね。よかったらこれ」

 差し入れだと言って渡されたのはアイスの袋。

 見覚えがあると思ったら、このところ毎日見ているグリーンキッチンのロゴが印刷されている。

 中身もあの店の豆乳アイスだった。

「ハルノさん、すみません気を遣わせて」

 ハルノは稲荷町ミッセ四階の住人で、双子の小学生を育てるシングルマザーだ。

 デザインセンスのある器用な人で、イラストレーターやクラフト作家として働いている。

 ハルノというのもアーティストとしての名前。

「いえいえ、お世話になってますから。他にも手伝えることがあれば言ってくださいね」

「ありがたいです。……ところで、これ結構高いですけど、いいんですか?」

 グリーンキッチンの豆乳アイスは高い。

 よくある乳使用のアイスの倍近い値段なのだが、店内では混入――コンタミネーションを避けるのが難しいがためにやむを得ず外注生産しているからである。わざわざこっちを選ぶ人はあまりいないほどの値段差になっている。

「うちの子、牛乳が駄目で。他のアイスも怖がって食べないんですけど、ここのは安心して食べるんです。前に店長さんが丁寧に説明してくれたからなんですけどね。だからいつもまとめ買いで割り引いてもらってるので、気にしないでください」

「すみません、知らなくて」

「いえいえ、いいんですよ。うちはここにお安く住まわせてもらってるだけでありがたいんですから」

 ハルノは五年ほど前、善光の時代からミッセに住んでいる。

 元は関東の方にいたのだが、夫の暴力的な言葉に耐えかねて知り合いを頼り鴉原へ逃げてきた過去がある。

 稲荷町に落ち着いたのは、偶然にも善光に声をかけてもらえたからだった。

 収入の少ないハルノの事情をくんで、格安の家賃での契約になっている。

「ハルノさんが褒めてたって、グリーンキッチンの社長に言っときますね」

「社長って鳴島さんでしょ? お隣さんだし、顔合わせる度に直接お礼してますよ」

「ああ、そっか、そうだった……」

「かなり疲れてますよね大家さん。本当に大丈夫ですか?」

 大丈夫かと聞かれれば大丈夫なのだが、パフォーマンスの精度は格段に落ちている。

 特に苦労しているのが広報。既にかなりうるさくなっている横槍の対応で日中かかりきりになるため、隙間時間で進めてはいるのだがなにせ苦手分野。

 これまでグリーンキッチンの広報をやってきた季子は今新メニュー考案に忙しく、そうでなくとも簡単なページとSNSくらいしかスキルがない。

 信頼できる投げ先があればと思いながらこの数日を過ごしていた。

 そして気づく。

 今目の前に適材がいることに。

「えっと、大丈夫なんですけど、できたら頼まれてほしいことがあって」

「なんでしょう?」

「新店舗のPR一式、発注したいんですが」

「一式?」

「チラシ、ポスター、ウェブ、できれば店内メニュー周りも」

「……納期は?」

「一ヶ月で」

「うーん……子どものことがあるのでそのスケジュールでは確約ができないです」

「そう、ですよね……」

 ふりだしに戻ってしまったとゼンユーは内心崩れ落ちた。ショックを受けていても仕方がないのでなんとか踏みとどまる。

「ちなみに、どういうお店なんですか? 知り合いを紹介できるかも」

「グリーンキッチンの二号店です。アレルギー対応のレストランを出したくて」

「……大家さん、いえ、ゼンユーさん」

「はい?」

「どうしてそんな大事なことをもっと早く言ってくれないんですか!」

「え、あ、すみません」

 大きな声に気圧されて思わず謝るが、なぜ責められているのかはさっぱり理解できていない。

 固まるゼンユーにハルノは続けた。

「グリーンキッチンのためなら、全力でやりますよ」

「え、いいんですか」

「当たり前です。あのお店はアレルギー児の親の支えなんですよ。腕、振るわせてください」

 勢いに押されて急いで朔を呼んでその日のうちに契約書を交わし、翌朝双子を学童へ送り出してからぶっ通しで打ち合わせ。設備施工中で蒸し風呂のような店内にヘルメットを被って入り、ああだこうだと寸法を測る。

 二号店はこうして一気に前進した。

 季子の開発メニューに朔がOKを出し、同時に食材調達ルートの構築も完了。設備は順調に改修され、予告チラシの配布は一回目が終了。経験者中心に揃えた新スタッフの研修も一号店で順次済み、頻度を増した横槍もゼンユーが完璧にシャットアウトしている。

 会長派が動くおかげでむしろ町内では噂になり、住民なら子どもだけでも食べさせてもらえるらしいという話が広まってからは若手世代を中心に味方が増えた。

 商店会も青年部はみんな賛同してチラシを自分の店にも置いてくれている。

 そしていよいよオープン三日前。

 グリーンキッチンのSNSで投稿した二号店情報は、かつてないほど拡散されていた。

 パステル調にデザインされた店内と優しい風合いのクラフト風宣材の画像がヒットしたのだ。

 拡散数がどんどん上がっていくのを各自スマホで眺めながら、朔の部屋のベランダで残暑の夜の熱気の中たたずむのも悪くはない。

「ていうかさ、俺知らなかったんだけどさ」

「なに?」

「ハルノさんて、こんなに反響出る人だったのな……」

「それ、僕もびっくりした」

 鳴り止まない通知音は、二号店情報の投稿にデザインはハルノが手がけたことを書いたのが発端。

 それをハルノ本人が仕事のアカウントで引用したので一気に広まったのだ。

 かつてのハルノはイベントのトータルデザインなどで名を馳せた大型デザインの名手だった。

 ファンも多く、産後様々な事情により大きな仕事を控えていた彼女が店を丸ごとデザインしたとなれば話題になるのも頷ける。

 それが地方都市の片隅の小さな店でも、わざわざ行くと発言しているアカウントもそれなりにあるようだ。

 ありがたいとは思いながらも、二号店のサービスを本当に求めている人たちを待たせることにならないかとは少しだけ心配になる。

 蓋を開けてみないと分からないので、今考えても仕方がないのだが。

「当日はゼンユーも二号店に入ってくれるんでいいんだよね? 基本調理は季子、アレルギー対応は僕が音頭をとるから、調理場以外のトラブルは丸投げしていい? こっちの領分ならすぐに呼んで」

「はいはい、任せときな」

 神泉満月庵の若い従業員が偵察に来る気らしいというのを聞いている。ホール担当の通常接客で対応するが、いざとなったらゼンユーの出番となる。

 もうここまで来たら後は祈るくらいしかできることがない。

 

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