1章 神社事務員の災難(4)
そんなことをしているうちに警察が到着し、簡単な事情聴取の後のタイミングでやってきた侵入者を手早く確保。
これにて事件は一旦の解決を見た。
管理会社の社員というありがちな人物が今回の犯人である。
この近くの営業所で夜勤中心の勤務をしているのだが、家に帰るのが面倒だという理由によりここでこっそり仮眠をとったりなんだりしていたという。
平日は一日も休まず毎日真面目に朝から晩まで働いているひまりに目をつけて、勝手に上がり込んでいたわけだ。実に一年半にも渡って。
検査入院で長期不在にすることを知ってから、この一ヶ月は自由にできると油断して普段より派手に使っていたところへ家主が帰ってきてばれたという真相である。
不法侵入にライフラインの無断使用、米などもしれっと拝借していたらしく、警察もどこから突っ込んだものかとぼやく有様。
その場で実況見分を行った後、ひまりは早々に解放された。まだ事情聴取は残っているが、それは後日となっている。
位牌と遺影、証書類の他に衣類も追加で持ち出して、残りのものは運搬を依頼するか処分か、落ち着いてから決めることとした。
どうしたらそんな奇妙な事件の被害者になれるのかと思うくらいには珍妙な一件であったが、ここで話は終わらない。
瀬神ひまりはその週のうちに稲荷町ミッセの住人となった。
今回の件で発覚したことには、彼女は今まで一度も有休を使ったことがなく、正月の休日出勤の振り替えすらもらったことがないらしい。入院で手をつけたのが最初だというほどで、故に侵入者も安心して入り込んでいたわけだが。
元々湯山稲荷神社の労務環境に物を申したかった顧問弁護士は我慢ならなくなり、彼女に本来付与されているのとは別に特別な有給休暇五日間を与えるよう宮司を説得した。
その五日間で事情聴取に赴き、引っ越しを済ませ、住民票を移し、住環境を整備して落ち着いたところで、彼女は恩人を夕食に招待していた。
とはいえまだ稲荷町の娯楽施設を知らない彼女、店のチョイスは青年任せである。ミッセからさほど遠くない場所の小さなカフェバー、グリーンキッチンのカウンターでタパスをつまむこととなった。
ビールは飲めないひまりだがワインはいけるのだと言って、青年のペースにあわせてどんどん飲む。
「すみません、なにからなにまで」
「いえ、大丈夫ですよ」
「特にお休みの件は、実は今までも何度か取りたいと申し出ては却下されていたので、助かりました」
「それもまた叱っておきます。そういうところがいい加減なままの組織は俺も庇いきれないので」
ワインを一口含んで、少し真剣な顔をしてみせる。
実際、あの神社に言いたいことは山のようにあるので、むしろいいきっかけになったとさえ思っているほどだ。
「そういえば報酬をまだお渡ししてなかったですよね」
「いえ今回の報酬は発生してませんから。結構ですよ」
「いや、あのとき三千円って言ってたじゃないですか」
「そりゃあの時まだあなたはうちの店子じゃなかったんで。店子は基本的に無料サービスなんですよ、うち。使い放題です」
さもそれらしく言ってみせるが、嘘である。
店子かどうかは彼の中でサービスする要件になっていない。正確を期すならば、誰でもサービスする男である。
とりわけ稲荷町ミッセはワケありの人々のための物件。
故に無料サービスされる率が高いのは事実だが、絶対ではない。
「……本当にいいんですか」
「もちろん。その代わり、俺が困ったときはお手を借りますよ」
「貸せることなんてありますかね」
「そりゃいくらでも」
ポケットから煙草を取り出しかけて、ふと気づいて踏みとどまる。
「いいですよ、気にしませんから」
「……では失礼して」
窓際の席なのをいいことにガラス戸を細く開けて煙を流す。この店があるエリアだけは喫煙可の寛大さは青年もよしとしている。
ゆっくりと煙を逃がしながら、『ところで』というわざとらしい話の入りをいつするかを考える。
青年の頭は今そのことだけで満たされていた。
どう切り出すかというよりは、どうまとめるかの方に神経を使う。
いかに着陸を決めるかが問われている。
「ところで――ぬいぐるみのことですが」
侵入者によれば、そのぬいぐるみは二週間前に急に置いてあったという。入院する前のひまりが置き忘れたのだろうと思い、触れもせずに置いていたのだが、捕まった日に帰ってきたらなくなっていて、まずいと思ったときにはもう取り押さえられていたそうだ。
うさぎのような狐のような微妙なフォルムだったというそれは玄関を向いて置いてあり、入る度に見張られているような罪悪感を侵入者に与えていた。
だからといってやめなかったわけだが。
「そうでした、あれは結局なんだったんですか」
前のめりに聞いてくるひまりを見て、青年は着地点を決めた。
なにがなんでも決めてみせると固い決意で。
グラスが空いているのを見逃すことなく、赤のボトルを傾けて。
「あれはですね――稲荷様の化身です」
「……はい?」
いい感じに声を裏返すひまりに飲むよう勧め、自分もグラスを空ける。
「いや、あなたがあまりに真面目に奉職なさるものだから、留守中の守り神として稲荷様が向かわれたのだと、宮司殿が言ってましてね?」
「はあ」
化身だなんだなどと嘘もいいところ。
実際には本物のストーカーがいただけの話である。
どうしてもぬいぐるみの謎が解けないので、あの部屋を引き払った後にこっそり調べたのだ。
そうしたら出てくる出てくる盗聴器の類。
こうなると困るのが伝え方である。
いつからかも分からない、犯人の目星はもちろんつかない。本人に被害の自覚はないようだし、手がかりとなるものもない。
下手に伝える方が怖がらせる可能性が高い。
「だから、あなたを見て安心して姿を消したわけですよ」
そう判断しての苦肉の策がこれだ。宮司にもある条件と引き換えに協力するよう言ってある。
「ええと、もう一回聞いてもいいですか」
「ですから、あのぬいぐるみは稲荷様の化身でしてね?」
何度も話す羽目になるが、その合間にアルコールを増やしていく。酔わせてそれらしい記憶へ変形させる、そういう作戦だ。あまり上品なやり方ではない。
何度も繰り返し、脚色を少しずつ変え、それらしく話してみせて、ひまりはどうにか話を理解した。
なんとか会計を済ませたのもあって満足したらしく、ひまりはぐっすり眠ってしまった。
「ゼンユー、新しい住人をお持ち帰りはやめてね」
少なく請求してもらった分の差額を支払いながら、青年は店員のちょっかいを甘んじて受ける。
「そんなことするかよ、大家だぞ」
「はいはい。で、騙しといてどうする気なの、危なくないわけ?」
「だからうちに住んでもらうんだろ。安全だからな」
稲荷町ミッセはワケあり人専用の家だ。
一般の市場には情報が出回らない、特殊な物件。
先代大家の頃からずっと、そうやって店子を守ってきた。
当代の大家はまだ若い青年ながらも、確かに先代の遺志を継いでいる。
三ツ世善悠がゼンユーと呼ばれ親しまれる、稲荷町では有名な男だということをひまりが知るまでに、そう時間はかからない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます