1章 神社事務員の災難(3)

 瀬神ひまりは薄幸だ。

 元々ついてない人生だとは思っていた。

 物心ついた頃には母子家庭で、母を亡くし姉を亡くし、高校まではなんとか出たが、その後の就職先ではろくな目に遭わなかった。

 ようやく安定した仕事が見つかり、少し不便な立地ながらも築浅の女性専用物件に落ち着くこともでき、これで少しは人生も楽になると思って慎ましく暮らしていた。

 そんな折に健康診断で要精検と言われ、怯えながら大学病院へ行っても異常の理由が分からず、検査入院を二週間も強いられた末に言い渡されたのは検査結果の取り違え。しかしそれだって丁寧な謝罪と賠償金のほか慰謝料が支払われるというから我慢できなくもない。

 そう思いながら帰り着いた二週間ぶりの我が家に見知らぬ人間の気配があれば心も折れそうになる。

 どうにか職場まで行って仮住まいを得て、後は仕事で気を紛らすのが精一杯だった。

 今も黙り込むと嫌な想像が頭を走る。

 湯山温泉郷へ向かう車の後部座席で揺られながら、ひまりは気分転換にと運転席へ声をかけた。

「あの、三ツ世さんは、この春からうちの法務を見てくださってるんですよね?」

「ええ。以前は祖父が色々とお手伝いをさせていただいてたんですが、あの人は弁護士ではなかったですし、混み入ったことになるといつも単発で依頼をかけていたと聞きまして、それなら顧問契約で見ますよとご提案を。神社法務は経験もありますし、こちらも開業したてで色々模索してまして」

「おじいさまは、その」

「三ツ世善光です。葬式のときはお世話になりました」

「いえ、その、あんなに参列者の多い神葬祭は初めてで、私は専ら事務方ですが、やはり緊張しました。稲荷町の名士……だったんですよね?」

「割合に古い家なので。別に土地持ちでも大店でもないですが、妙に人に好かれるタイプで、色んな役を引き受けてたみたいです」

「三ツ世さんも優しいですもんね」

「いや、これは仕事なんで。まあ、お役に立てれば嬉しいですけど……あ、ちょっと急なカーブ曲がります」

 数秒後、窓に身体が沿うような感覚。

 稲荷町と湯山温泉郷の間は曲がりくねった山道ばかりだ。カーブの数もかなりものだが、青年は律儀に全て予告する。

 平坦な道に出てしばらく進んだところでひまりのナビが始まった。

「その次の角を……あ、あれです」

「あの緑っぽいやつです?」

「そうです。あれの一階の一番奥なんです」

「なるほど。近くのパーキングを探しましょう」

「それならここの突き当たりがいつも空いてます」

 誘導の通りに駐車して徒歩で戻る道中、青年が少々困ったように言った。

「女性専用物件なんでしたよね、防犯カメラもあるでしょうし、私が映りこむとややこしいですかね」

「大丈夫だと思いますよ。お隣さん、色んな男性を連れ込んでましたから」

「ああ、そう、ですか……」

 だからややこしいのではないかと言っているのだが、この際いいことにする。

 いきなり部屋に入るのではなく裏からベランダの様子を探り、郵便受けをチェックし、特に違和感がないことを確かめる。

 防犯カメラは集合玄関の出入りを監視しているが、他の箇所には特に設置されていないようだ。

「郵便受け、昨日は開けました?」

「はい。チラシばっかりだったので、そこのゴミ箱に捨てましたけど」

「そこからの蓄積は手つかず、か……部屋、行きましょうか」

 ひまりの部屋は一階の端だった。

 ここも防犯カメラの気配はない。

 すぐに緊急通報できるように構えながら、受け取った鍵で玄関を開ける。

 時間的には今日も他人が上がり込んでいてもおかしくはない。十分に警戒する必要があった。

 ひまりに下がるよう合図を出して一気にドアを開くが、あからさまな気配は感じられず、電気類も消えている。そして例のぬいぐるみも見当たらない。

「……瀬神さん、玄関の中で待っててください。奥まで見てきますので、動かないように。その後、状況確認をお願いします」

 風呂場、トイレ、ダイニングキッチン、洋室と見て回り、収納スペースも開けて、特に不審者などはいないことを確かめ、ひまりを呼んだ。

「どうですか、変わったところはありますか」

「ええと……あの」

「どうしました?」

「私のものじゃないものが、たくさんあります」

 ひまりではない誰かの荷物がある。

 それだけははっきりした。

 見覚えがないという荷物については青年が改めたが、持ち主の分かるようなものはなかった。

 残されていたのは女物の衣類が中心で、サイズからしてひまりより少し大柄なくらいと推測された。

 冷蔵庫の中にはひまりは飲まないというビールがあり、ますます得体が知れない。

「盗まれたものは?」

「ないと思います……」

「大丈夫ですか」

「すみません、ちょっと、あまりにも気持ち悪くて」

 そりゃそうだ。正常な感情である。

 迷うところではあるが、青年は一気にけりをつけることを選択した。

「もう警察呼びますね。けど、その間に本人に気づかれても悔しいんで、我々もここで待ち伏せます」

 歩きながら電話をかけた先は湯山署。

 状況を説明し、静かに来てほしいと告げる。

「えぇっ、ちょ、鉢合わせたらどうするんですか」

「大丈夫です」

「なにを根拠に!」

「いいから信じてくださいよ。玄関から死角になるところ……この辺で座って待ってましょう」

 勝手にクッションなどとってきて勧めてくる。ひまりの部屋だというのに。青年が驚くほど平然としているので、一周回ってひまりは落ち着いてきた。

「お茶でも淹れましょうか」

「いえいえ、お気遣いなく。ところでね、もうこれ弁護士の仕事じゃないので、請求は別の料金体系にしますね。その方が安いし」

 なんの話かと思えば金の話だった。

 言っている意味がよく分からず、聞き返すしかない。

「……はい? え、でもあなた弁護士さんですよね?」

「それは副業ですね。あ、名刺渡してなかったな、そういえば」

 財布からから出てきたそれは、字だけが並ぶシンプルな名刺。


 三ツ世総合事務所 所長

 善悠法律事務所 弁護士

   三ツ世 善悠

  MITSUSE Yoshiharu


「……総合事務所ってなんですか」

「総合事務所は総合事務所。何でも屋」

「何でも屋」

「稲荷町のちょっと便利なじーちゃん……の孫です。便利屋と呼んでいただければ。困ったことがあってもなくてもとりあえず呼んでみてください。小さな歯車としてお力添えいたします。法律に関するご相談は初回三十分五千円から、それ以外のご依頼は十分五百円で承ります」

「つまり今回のこれは」

「大体今で三千円です。待ち合わせの三十分は除くので」

「えっ、安いですね?」

 言ってみたものの、正直安いかどうかはよく分からない。

 特に頼れる知人がいないひまりにとっては、こうして側にいて話し相手をしてくれるだけでもありがたいには違いなく、それが十分五百円と言われれば、安いという気がした。

「良心価格がモットーなんで。ああそれともう一つ」

「まだあるんですか」

「瀬神さん、新しい家は稲荷町内でもいいですか」

「それはまあ、通勤圏内ならどこでも構いませんが」

「じゃあ、すぐにご案内できる物件があるんですけど、見てみます?」

「え、ご迷惑でなければ……」

 どうして急にそんな話を、と思いながらも、特にこだわりのないひまりは簡単に頷いていた。

「ここなんですけどね」

 スマホで見せられたのは稲荷町ミッセという物件。

 賃貸サイトではなくなにかのPDF資料のようで、少々見づらい。稲荷町内では珍しく背の高い建物で、オートロックもついている。

「単身用だと五階が空いてます。1LDKで、家賃は六万円から」

 まるで不動産屋のように話を始めるので、ストップをかけた。

「ええとすみません」

「なんでしょう」

「あの、あなたは一体」

「ここの大家です」

「……便利屋さんでは?」

「それは副業です。話を戻しますが、ここはトイレと風呂がセパレートでして、ガスコンロは二口あってですね」

 ついていけない。

 ついていけないとひまりは感じた。

 ただし、その物件は魅力的だった。

 家賃が今より高いのだけが気になるが、それも駅近になるなら飲める条件だ。

「それと家賃ですが、こんなのは俺の裁量なんで、水道代込み四万でいいです」

 内覧せずとも即決だった。



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