1章 神社事務員の災難(2)

 瀬神ひまりは湯山稲荷神社の事務員で、主に経理を担当しているという。

 商業高校出身で簿記の知識はかなりのもの、宗教法人ならではの独特の経理を淡々とこなし、なんなら他の神社にも教えて回るほどだというからどんなベテランかと思えば、まだ採用二年目二十四歳、女の子と言っていい若さだった。

 さらになぜか緋袴――巫女の装いで現れたので、青年は混乱した。

「あ、事務が空いてるときなどに、時折巫女さんのお手伝いも頼まれるんです……楽しいのでいいんですが。今日は御祈祷が立て込んで境内整理に出されておりましたのでそれらしい格好をと……すみません」

「いえ、構いませんよ」

「ありがとうございます。ではこちらへ。お打ち合わせに使う部屋を借りております」

 妙に丁寧な言い回しを聞いているうちに青年は思い当たった。いつも神社の代表番号へ電話すると出てくれるのはこの人だ。

 経理を一手に引き受けて電話番もして、巫女の手伝いまでさせられるとは、やはりこの神社は人遣いが荒い。

 案内された小さな会議室で椅子に腰掛けると、ひまりは隅の簡素な給湯スペースでお茶を淹れ、事の経緯を話し始めた。

 彼女は稲荷町に隣接する湯山町の端にあるアパートでひとり暮らしをしているそうだ。

 稲荷町を起点に市の中心部へ伸びる湯山山麓鉄道、通称ユヤデンで稲荷町から一駅、湯山温泉郷駅から歩いて二十分、駅近とは呼べない場所の女性専用物件だという。湯山温泉郷の中心街からは外れた新興住宅地の縁にあたる部分で、周囲には同じような小規模の物件がいくつか並んでいる。

 ひまりが湯山稲荷神社に就職した二年前から住んでいて、それより前に住み込みで働いていたホテルが経営破綻したために食と住居を一気に失い、なけなしの失業手当で借りられた物件だったのが縁だという。

 失業中でも保証人がなくても問題ない、オートロックでしかも築浅1DKが三万円台なんて好条件他にはないと飛びついたのが悪かったらしい。

 住み始めてまもなく二年というところで、ストーカーに目をつけられた。

 これが今回相談したいトラブルである。

「ワケありの女性が多くて、そういう被害に遭ってる人も少なくないっていうのはお隣さんからなんとなく聞いてました。私もワケありといえばワケありですから、仕方ないのかなとも思ったんですが……」

 ストーカー被害は基本的には警察マターだ。

 しかしながら彼らを本格的に動かすのはなかなかハードルが高い。

 警察を動かすための証拠と勇気の蓄積に心が折れてしまうことも多く、泣き寝入りになりがちなのはここに問題がある。

 そんなときに弁護士を頼ってくれれば被害の立証から接近禁止の仮処分手続きくらいまでは代行が可能になる。のだが、青年のストーカー相談経験はそう豊富ではなく、学部時代の法律相談ボランティアで聞いた数件のケースを思い返しながら話を続ける。

「それで、その、具体的にはどんな被害に? ああ、話せる範囲で構いませんから」

 何度か深呼吸をして、ひまりは小さな声で言った。

「……家に、住みつかれたかもしれません」

 それはもうストーカーなどという名称ではない。

 本当にそんなことがあるとすれば大変な事態なのだが、ひまりは本当なのだと言って滔々と説明を始めた。

 帰宅して室内に入ったところ、見覚えのない小さなぬいぐるみが下駄箱の上に置いてあった。それを不審に思いながらも奥へ入ろうとしたところで炊飯器の完了音がして、そこでとても怖くなって、それきりだそうだ。

「……それは怖いですね」

「ええ。いつからか正確には分からないんですが、誰かが勝手に住んでるみたいで怖くて」

 言いながらスマートフォンを取り出し、咄嗟に撮ったという室内の写真を青年へ差し出した。

 慌てていたからだろう、ぶれてはいるが、玄関と部屋を仕切る簾の向こうにテレビや冷蔵庫が見えている。

 不審に思ったぬいぐるみというのは写っていないため、どんなものかは確認できない。

「失礼ですが、正確な日が特定できないというのは一体どういうことですか。時間までは分からずとも、日にちくらいは分かりそうですが」

「ああ、それが私、ここ二週間ほど入院してまして」

「入院?」

「あ、病気ではないですよ。検査入院です。先月受けた健康診断で引っかかりまして、精密検査を」

「それは、大丈夫なんですか」

「結局、カルテを取り違えられてて、私はいたって健康で……まあ、どこも悪くないのが分かりましたし、慰謝料がもらえるそうなのでそれはいいんですが」

「……そっちも聞いた方がよければ、またご相談くださいね」

「ありがとうございます……」

 本当にこの二週間の間に誰かが住み着いたということであれば、即警察へ通報すべき案件である。

 ただしここまで気持ちが悪いと逆に躊躇してしまう気持ちも分からないではないので、青年は順序立てた話の組み立てを再開した。

 むしろこんなことをする相手だ、常識的な振る舞いができるとも考えづらい。その点ではひまりの行動は賢いとも言えた。

「神社に泊まったのは昨日から?」

「ええ。入院のときにまとめて持っていってた荷物をそのまま抱えてきたので、通帳とか着替えはあるんです、それでなんとか。元々入院は一ヶ月の予定だったので、服とかもたくさんあって」

「なるほど。とりあえずもうその部屋に住み続けるのはやめる方向で考えていてください。今回の件が解決しても、精神的に快適な住環境が維持できるとは思えません。こちらで部屋を手配します。契約に必要な印鑑や所得証明書類などはありますか」

「印鑑と身分証は手元にあります。源泉も、まあ、発行するのは私なので、どうとでも」

「なにか気にかかることが?」

「母と姉の位牌があって。あれだけは置いていくわけにいかないので……」

 困ったように笑ってみせるのを視認してしまえばもう手は決まっている。

「瀬神さん」

「はい」

「もちろん、部屋の中のものを諦めろと言っているのではありません。しかしながら先ほどの言い方ではそう取られてもおかしくはありませんでした、申し訳ない」

「いえ、そんな」

「日を寝かせてもメリットはありません。とりあえず現場を見に行きましょう。でもその前に今思いついている仮説を説明させてください」

「ありがとうございます」

 まず、ひまりが部屋を間違えたという可能性。

 あり得ない話ではないので検討するが、先ほどのぶれた写真に写っていた家財は全て彼女のものであり、不鮮明ではあるがどれが何かはきちんと説明できる様子であるため排除された。

 次に、誰かが本当にひまりの留守を知って上がり込んでいる可能性。

 ひまりはこちらだと思っているし、あり得なくはない。女性専用物件でそれが可能かという話はあるが、女性をストーカーする女性もいるだろうし、さしたる判断材料にはならない。

 そして。

「第三者が上がり込んでいる可能性……念のため聞きますが、合鍵を持っている人は?」

「管理会社だけです」

 このご時世だ、管理会社にも色々あるので一概に信用はできない。

 色々と総合して、一度現場を見てみようという結論に至った。

「分かりました。……車を出しますから、動きやすい服に着替えてきてください。三十分後に正面鳥居前でお待ちしています」

 

 

 

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