1章 神社事務員の災難
1章 神社事務員の災難(1)
海と緑と芸術のまち
七の行政区で構成される鴉原市において最も北部に位置する湯山区は、『緑』を象徴する山がちな区。
その中でも更に北の山の向こうと形容していいところにあるのが
夏真っ盛りのこの時期でさえ涼しい風が通り抜ける避暑地である。
旧稲荷三村の区域をそのまま呼称する名は、町の中心にある湯山稲荷神社に由来する。
元々は隣村にあたる温泉地、湯山町にあったものだが、温泉採掘のやり過ぎで地盤が下がり、社を支えきれないからということで今の場所に移された。現在でも御神体本体は湯山町にあるものの、社は簡素なもので、神社の機能は全て稲荷町にある。
稲荷町駅からすぐの山道に沿って並ぶ大量の朱鳥居と、共に県の重要文化財指定を受ける本殿・拝殿、宝物庫にある絵巻物には国の重要文化財も含まれる。
そんな湯山稲荷神社の社務所応接室、重厚なテーブルセットとは不釣り合いにラフな格好の青年が話を切り出した。
「それで宮司殿、困ったことというのは?」
切り出された側もまだそれなりに若いと言っていい年頃の男だが、こちらはきっちりと折り目の付いた袴をはじめ、神職の平服姿である。
眉を下げながら溜息を吐いて、本題を口にする。
「実は、うちの経理をやってくれている人がトラブルに遭ってね。家に帰るのもちょっと危ないような状況で、昨日は社務所に泊まってるんですよ」
本当は宿直の神職以外は泊まってはいけないのを特別に許していて、さすがにいつまでもこのままというわけにはいかないのだという。
「なるほど。要はそのトラブルをどうにかしてくれということですか」
「そういうこと。瀬神さん……その子には昼から有休をとってもらったんで、ゆっくり話を聞いてあげてもらえませんか」
「本人には了承を?」
「詳しくは話してないけど、まあ役所の無料相談に行こうかなって言ってたくらいだし……相談先を探してるには違いないと思いますよ」
宮司はなにやらまごついた口調で目を泳がせた。
そこから更に詳しく話を聞こうとしても、なんだかんだと理由をつけてはぐらかす。直接個人から聞いてほしいということばかり言う。
事務員個人のトラブルにもかかわらず、わざわざ神社の法務担当を引き受けている人間を呼んだのだ。それなりに込み入ったことなのだろう。
青年は努めて平静な声を出して釘を刺す。
「宮司、相談料については別途ご請求になりますがよろしいですね?」
元々ここの人遣いには言いたいことがあったのだ、ちょうどいい機会だから契約更新に向けての踏み台にしてしまおう、と頭の片隅で思う。
正式に顧問を引き受けてまだ三ヶ月に満たないが、お試しの半年契約なので、細々と恩を売っておいて損はなかろう。
ああ、煙草が吸いたい。
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