※入居条件応相談 稲荷町ミッセ -ワケあり人の住まう家-

姫神 雛稀

序章 鴉原市稲荷町の三ツ世善悠の話

序章 鴉原市稲荷町の三ツ世善悠の話

 海と緑と芸術のまち鴉原からすはら

これはここ鴉原市の合い言葉のようなフレーズですが、これよりご覧いただくのはまさにこの言葉の通りの風景でございます。

 右手には穏やかな鴉原港、左手奥には東西に連なる都賀とがの山々。またその手前に見えますのは、鴉原の中心市街地、澤ノ井さわのいの街並み。市内に点在するアート関連施設の大半が、今見える範囲に集まっております。鴉原にアートが集積するきっかけともなりました鴉原最初の美術館である澤ノ井東翁とうおう芸術ギャラリーは山麓エリアにあります大きなガラス張りの建物で、そこから西へ向かって並ぶ美術館は現在七十三館となっております。

 さて、間もなく当列車は開通三十周年を迎えた鴉原大橋を渡りまして、日本最大級の人工島、港都島こうとじま、通称マリンコートアイランドへ進んで参ります。左へ大きく曲がりますのでお立ちのお客様は手すり吊革等ご利用いただきまして、お怪我なさいませんようご注意ください。

 みなさまにご乗車いただいております当列車、鴉原市営鉄道港都臨海線は、港都島造成時の作業資材運搬用として整備された鴉原共同貨物線を前身としております。

 港都島は元々鴉原港の貿易機能を強化するため、新しい埠頭を作る目的で造成された島ですが、造成開始直後の時期から鴉原市の人口が急増したことを受けて住居区画を追加し、大幅に計画変更されて今の姿になりました。現在の島内人口は一万五千人を超えております。

 それでは間もなく島内最初の駅、マリンゲート駅へ停車いたします。前方右手に見えております高層のツインタワー、港都総合庁舎最上階展望室へはホーム階直結改札口より専用エレベータをご利用ください。

 ご乗車ありがとうございました。マリンゲート、マリンゲート駅でございます。お忘れ物などなさいませんよう、今一度ご確認の上、お足元お気をつけてお降りください。


「綺麗な声の方ですねえ。こういうアナウンスって女の人が多いイメージでしたけど、男性の声もいいですね」

 鴉原市役所本庁舎高層一号館二十一階海側。総合企画局企画課、港都まちびらき三十年担当ミーティングテーブル。

 鴉原市役所係長級事務職員、八杉恵治やすぎけいじは資料束をつまみ上げて言った。

 向かい側に座る部下、館埜千歳たてのちとせは対照的ににこやかで、緩く巻いた髪をいじりながら耳を傾ける。車内アナウンスのデモ音源CDは回り続け、港都臨海線は次の港都グランドホテル前を目指して進んでいた。

「でもなんか不自然っていうか……あーごめん、一旦止めてくれる?」

 三ヶ月前に昇任異動で着任した係長と二ヶ月前に初任配属でやってきた新規採用職員のペアは局内で既に有名だった。

 担当時代に数々のプロジェクトを力業で回してきたせいで怖がられることの多い恵治と、彼の初めての部下にして一切物怖じしないどころか新規採用とは思えない順応性を見せる千歳。たった二人の港都まちびらき三十年担当は、予算をかっさらい突貫でコネを作り、持ち前の図々しさで横串を刺して回ってはギリギリのところで成功をもぎ取ってきた。

 部長級以上にはたいそう可愛がられ、課長級までには尋常じゃなく煙たがられる、そんな二人組。

「係長係長、これ知ってました? この声の人、普段は湯山山麓鉄道のボランティアガイドやってるんですって。先月の鴉原商工会議所の会報に載ったみたいです」

 千歳がネットで見つけた顔写真を見せようと手を伸ばすが、恵治は頭の後ろで腕を組んだまま見向きもしない。

「知ってるよ、それも読んだ。館埜ちゃんはもっとアンテナ張ろうな」

「う、分かりました。精進します」

「さてと……一駅分で何秒だった?」

「二分弱ですね。ちなみに収録時間は全部で一時間を超えてます」

「上りと下りで内容変えてくれって発注したんだっけ」

「そうですね。今回は仮納品なのでまだ修正指示を出せますけど、どうします?」

「んーと、一応最後まで通しで聞いて変なところないか確かめて、問題なければ納品書と請求書送るようメールしといて」

 言い置いて自分は立ち上がろうとするのを千歳が引き留める。

「係長も一緒に聞きましょうよー」

「駄目だ。俺は今日中に交通局と広報室に話をつけてくるからそれは任せた」

「えーっ、私もそっち行きたいです」

 千歳はこの頃なんでもかんでも恵治の後を付いて行きたがる。二人職場ということもあって通常なら担当者には聞かせないようなに話も色々と立ち会わせてきたが、少し度が過ぎると課長に釘を刺されたばかりでもある。

 頼もしく有能な芽を育てたい気持ちはあれど、無闇に使い潰すことだけは避けなくてはならない。

「館埜ちゃんにはまだ早い。……手分けしてさっさと仕事終わらせよう。金曜だし、定時に上がれたら今日こそあの店連れてってやるから」

 忙しさに甘えて二ヶ月近く延期にし続けた約束を持ち出せば、千歳は嬉しそうに目を輝かせた。



 湯山山麓鉄道とは、鴉原市の北部に広がる山間部を縫うように走る山岳鉄道だ。

 昔ながらの農村地域稲荷町いなりちょうと市内最大の温泉地湯山町ゆやまちょうを結び、そこから更に伸びて都賀山系を貫くトンネルを抜けた先、澤ノ井駅までを繋ぐ。

 澤ノ井駅側から乗車してトンネルを抜けたところから終点稲荷町までの区間に限りボランティアによる生ガイドが楽しめるが、生憎ながら休祝日と長期休暇の一部編成のみの特典である。

「係長はこの電車のガイド聞いたことあるんですか?」

「まあ稲荷町出身だからな……」

「いいですねえ。私も今度聞きに来ます」

 宣言通りに定時で仕事を納めた二人は、恵治の行きつけの店を目指して山を上っていた。

 山を越えるまでは通勤通学の人間で混み合うが、そこを過ぎれば座席にも空きができる。

 終点で降りれば、駅前には稲荷町商店会と書かれた提灯風のランプが並ぶ景色が広がっていた。

「稲荷町は、山の上にあるお稲荷様の社から名前をもらった村なんだ。今日は行かないけど、今度来るならお参りするといい。こっちだ」

 脇道に入っていく背中を追いかけていけば、これまた提灯のかかった古民家に辿り着いた。居酒屋いなり、どうやら立ち飲みであるらしい。引き戸を開けて踏み込めば、ほぼ満席の店内で心地よいかけ声が耳に届く。

「久しぶりに来たと思ったらどうしたケイちゃん、可愛い女の子連れて!」

「部下だよ。あんまりそういうこと言うとセクハラで訴えられるぞ大将。今はそういうの厳しいんだから」

「辛辣だねえ……って部下? ケイちゃんの?」

「そうだよ。言ってなかったっけ、この春から係長になったの」

「まじか! こりゃ祝いだな、とっておきを開けてやろう!」

「いいよ大したことじゃないし。奥、使うから」

 混み合う店内を千歳の手を引き進んでいけば、場所の確保を頼んでおいた旧友が手酌しながら待っていた。

「やあ、小役人。いや、八杉係長サン?」

「相変わらず憎たらしい顔をするよな、ゼンユー」

 千歳はそんな二人のやりとりを見て、二度ゼンユーの顔を見直して、慌ててスマホを取り出して。恐る恐る言う。

「あの、三ツ世善悠みつせよしはるさん、ですよね……?」

「ご名答。昼間はどうも。請求書は明日の郵便に乗せるからよろしく」

 自分が仕事を頼んでいる相手と同一人物だと分かった途端、千歳の中で混乱が生じた。

「か、係長」

「なに?」

「あの、そういうのは大丈夫なんですか?」

「なにが?」

「利害関係者、的な、その」

「限りなくグレーだと思うけど、まあここは立ち飲みなので。たまたま隣で飲んでた男が発注先だろうと、それは仕方ない」

「えええ……」

「まあゼンユーは保育所からの旧友で、今回の発注もイレギュラーだし……詳しくは週明けな。とりあえず飲みもん決めな」

 理由になっているかどうか怪しい返答をしてメニューを渡すと同時に、やたら豪華なお造り盛り合わせと一升瓶が現れた。

 大将の顔を見る限り、祝ってくれるというのは本当だったらしい。



「悪いな館埜ちゃん、家までは送っていけないけど、気をつけてな」

「はーい、ごちそうさまでした!」

「また月曜な。土日は出てくるなよ?」

「分かってまーす。おやすみなさい」

 千歳を乗せたタクシーを駅前で見送って、恵治とゼンユーは帰路につく。

 家が隣同士の割に互いに忙しく、ゆっくり話すのは実に三ヶ月ぶり。

 恵治の昇任も理由だが、ゼンユーの事情の方が忙しなかった。

善光ゼンコーじいちゃん死んでからのごたごた、もう片付いたのか?」

「あらかたな。じいちゃんが取ってきた仕事も最後の一つが今日納品できたし」

「……無理言って悪かった」

「いやいや、港都臨海線はじいちゃんの作品みたいなもんだから。むしろ光栄だよ」

 三ツ世善光みつせよしみつといえば市民誰しも名前くらいは聞いたことのある有名人だ。鴉原が人口を大きく伸ばした時代を牽引した功績者。山を削って海を埋め立てた頃、様々な場面で繋ぎ役を請け負った人。

 そんな人物が四月に急逝して以来、唯一の血縁者であるゼンユーは奔走を余儀なくされた。

 海側で働いていたのをすっぱり辞めて、会社を継ぎ、地域の役を継ぎ、善光の生きた道をなぞるように更新して。湯山山麓鉄道のガイドをしていたこともあってか、ゼンユー個人として地域に受け入れられるのにそう時間はかからなかった。

 既に立派な『便利なにーちゃん』をやっている。

「お前のことだから、山の人間に海のことを頼むなって怒るかと思ったんだけどな」

 少し間を置いて、ゼンユーは声を上げて笑った。

 酒が入るとすぐに笑うのはこの男の癖だ。

「だってそりゃお前」ゼンユーは誇らしげに胸を張る。「鴉原の海は、稲荷町の山の上から見るのが一番綺麗だって俺たちは知ってるから、な?」

 





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