正畢

ぱぁと外が明るくなる。トンネルを抜け、急に差し込んだ光が少女らの目を刺戟した。

少女はいつの間にか眠ってしまっていたのだった。眠る直前の感覚が如何だったという記憶もなく、とても滑らかに、安らかな睡眠に誘導されていた。

朝。黎明だ…… 少女は思わず斜め前の男性の方に目を移した。彼は疲れ切って隈を抱えた瞳で一眠りしているようにみえたが、寝てはいないようで、そっと瞳を開け、「起きたんだね」と少女に笑い掛ける。


「僕はこのよの、ぷつりとした幕引きと、継承の黎明をみた……。噫、嘉せよ…」


目を細めて彼は窓の外を見詰めながら独り言のように喋った。


黎明、これは少女の心にも宿った感想だった。

その意を少女が告げると、彼はおもむろに彼女の方を一瞥し、小さく、そうだねと返した。「僕らは途切れることなく、ひとつの糸を共にしているのだから」…、と、彼は心中だけでそう思ったが、外に声として洩れることはなく、ただ彼の中で炭酸のように消えた。


その代わりでもないのだが、彼は

「僕らはひとつの船に乗っているのだから」と、解り易く砕いて言った。


「船?」

「そう。」


男はそれ以上、何もことばを返さなかった。少女がいくらその次を待っても、答えることは無かった。



ああ、つぎは……新しい終わりの様だ。


男が気付いたように窓とは反対側に目を配ってしっかりそう確認すると、一面、眩いばかりの光に覆われ、車内はみな目を一瞬だけ瞑った。



少女が気付くと、そこには誰も居なかった。少女が何も考えださないうちに、代わりに一人の別の男性が、ボックス席に足を踏み入れてきた。新しい客だろうか。


彼は「此処、いいかね」と少女に目をやって尋ねた。少女が頷くや、ゆったりとした動作で先ほど消えてしまった男が座っていた席に腰を下ろす。


「僕はあいつの代りにも以て此処に来たんだ」


座るや否やのところで彼は窓に目をやって少女に語る。


あいつ?と少女は首を傾げたが、先ほどの疲れ切った男性のことだろうか。

その意を読んだかのように、目の前の男は続ける。


「彼は此処に来られなかった。僕も本来、来るべきでは無かったが彼の代りに…。終わりを見届けられなかった彼の分もだってさ。僕だって当の前に死んでいたさ」


少女には訳が分からなかった。ただ、彼の言う「あいつ」は先ほどの男を指すのではないことが明白になった。

この男は誰かに頼まれてこの夜汽車に乗っている。ああ、気付けば辺りは真っ暗だ。彼と話すうちに…、いや、彼が訪れた、その前…あの閃光の一瞬、舞台が切り替わって居たのだ。空には深い、深い藍色のキャンバスに小さなビーズの星。


彼にとって、少女がすべてを理解するなどということは抑々考えてもいない事だから、構わず男は続ける。夜汽車の温かな照明に浮かびあがる彼の白髪は綺麗だった。


「終わったって。また終わったってな。彼は病没だったから、全うしたというところか。」


男は「あいつ」と呼んだ別の男の事を追想していた。窓にぼんやりと沈められた彼の目線は何処といった具体的対象物を捉えてはいない。目線と共に、冥に追悼を浮かべていた。


彼は漸く還ったかのように少女に気を払い、

「あぁ、ごめん」と笑んだ。初めて彼はまともに少女の顔を見た。

そのまま少女に意識を向けて話を始める。人の好い性格を窺わせる笑みだが、口調ははっきりと芯を持っていた。


「僕はこの時代を見届けることなく斃れたんだってさ。でも、思ったより直ぐだったな……、ほらしかし、外を御覧、美しい灯だろう……この哀悼は世への餞別と敬愛だよ。安寧を求めた代への共感だ」


彼が指さした先を見ると、走る車窓からふわりと浮かぶ燈火がいくつも観えた。

綿毛のようにふわふわと浮かんでいるのは、彼によるとこの街の哀惜だという。


またこの街も、さっきの街のように重要な…大切なものを失ったのだ。

少女は、あまりに優しい白髪の男の物言いに、喪失の暗喩を察する。


間が開いて、男は急に声色を変えて感を零した。


「僕はここでやっと、見送る事が出来た……」


否、変えたのではない、変わってしまったのだった。男は泪を堪えているような震えを声に絡ませてやっと言葉を紡げたのだ。



美しい情感であった。街も彼も皆ひとつの、なにか大きなものをおくっていく。


少女がえも言われぬ感慨を覚えようとしていると、彼は其の儘涙を湛えて眠りに就いてしまった。彼の口元は控えめにだが微笑んでいる。

彼はメイを果たせたのだなと、少女は抽象的な理解を示してまた目を閉じた。





「…おい、」――、と誰かの名前を呼ぶ声で少女は眠りかけた意識を呼び起こされた。…その名前は、斜め前で眠っている男のものであった。

目を覚ますと少女らの座るボックス席の傍に立ち、誰かが男に呼び掛けている。

少女の斜め前に座る男は、立っている男性の姿を認めると、ひとり納得したように言葉を返した。


「ああ、もうそんな時間か」


白髪の男はそんなことを言っていた。それから、迎えに来たらしい、先ほど呼び掛けていた長身の男性に「わかった」と一言告げると、少女の方に向き直った。


目をまっすぐ見詰めたまま、彼は「長い旅路だね。御気を付けて」など労り、席を立つ。

長い旅路…それを彼は、何を訊くともなくさらりと見て取ったのである。

そっとジャケットの襟を正し身支度を整え一礼して、男は緩々と言葉を交わす暇も無しに迎えの男性と共に去って行く。


少女がその去りゆきを見届けぬうちに、今度は蒼白い光に一面を覆われて、また情景を攫って行かれてしまった。

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