浅葱色の刻
孔雀 凌
人は、短い時間に様々なことを考えることが出来る
「始発が動くまで、後、5分弱位だな。何か飲み物を買ってくるから、待っててくれよ」
友人はそう言い残すと、四メートルほど先にある、コンビニエンスストアへと姿を消した。
閑かに首を傾けて、僕は上空を仰ぐ。
ここは、南九州にある、某鉄道駅前のロータリーだ。
暗闇に包まれた、肌寒い真冬の引明け空は、未だ覚めやらぬ夢の中に佇んでいるようでいて、不思議な気持ちになる。
一人、誰かを待つ、孤独な時間は淋しく、奇妙なほどに穏やかだ。
夜明け間近だろうか?
そんなことを匂わせる空だ。
だが、明るみは漂わない。
『影の本来の姿は青く、美しい』
そう、強く想っていた自分自身をふと、想い出した。
何故だか、分からない。
じきに朝の清んだ空気が訪れるだろう、夜明け前の暗さが、この眼には光を最も吸収する物として認識されていない気がしたんだ。
無音の、無白の、この時間にだけ垣間見ることの出来る空間の袂で、瞳を凝らせば真実の色が見えてくる。
目覚めを控えた空は、雲の動きを視認することも難しい。
けれど、彼方の裡面に心が届きそうだと感じるのは、どこかで青さを受けているからだ。
『影の本来の姿は青く、美しい』
陽光に照らされた物が生み出す、もう一つの表情が青く輝く息衝きだと気付いたのは、無意識の中で夜明けの青さと連動していたのかも知れない。
ぽつり、置き去りにされなければ、改めて空を見上げることもなかっただろう。
誰とも接することなく、物想いに耽る時間は短い様で長い。
一分一秒が、気が遠くなるほどの物に想える時があるくらいだ。
言えば、限られたスピーチに挑む感覚に似ている。
数えるほどしかない秒針の音色が永遠に近い錯覚を起こしてしまうのだ。
人は僅かな刻と間正直に向き合うと、躊躇うものなのか。
だが、今の僕には、居心地がいい。
右腕につけた、腕時計の長針がまだ二周半しか回っていない。
なのに、闇で世界を覆い尽していた大気は、目まぐるしく表情を変え始めていた。
曖昧な境界線に眠る、雲の存在を示す輪郭が仄かに浮かび上がっていることに気付く。
それは、何とも言えない光景で、僕はいつまでも眺めていたいと願った。
時計の針が、もう一周して同じ場所に辿り付く頃には、どんな姿を露にしてくれるのだろうか。
花開く瞬間を見落としたくないと願う様な、煙たくなるほど一途にその時を待っている。
夜明けの訪れは想う外、はやい。
兆しを感知すれば、瞬く間だ。
「お待たせ! コーラで良かった? 発車、もうすぐみたいだから行こうか」
炭酸飲料二本を手にした友人が、背後から僕に声をかける。
差し出された飲料を、無言のまま、この手で受け取った。
「どうした? えらく、しんみりしてさ」「え?」
「好きな相手のことでも考えてた、みたいな顔してたから」
この目元を覗き込む友人が興味深そうに語りかける。
そんな彼の言葉に少々、驚く。
何故、そう想ったのか、と。
僕達は、事前に購入しておいた切符を片手に、改札口を潜りホームへと向かう。
空は大きな変化を遂げてはいない。
けれど、芽生えた物が一つ。
小さな眠り姫が眼を覚ました様だ。
さっきまでは届くことのなかった、小鳥達の囀りが、僕達を見送る様に可憐な声音を聴かせてくれている。
鳥達には分かるのだろう。
地上の全ての物が覚醒を控えていることを。先を行く、友人の背にそっと尋ねてみる。
「お前にとって、影って何色?」
「何だよ、突然。影って、これか」
ホームの明かりに照らされた、自身の足下から伸びる影を友人は指差す。
揺るがない指先に頷くと、彼は悪戯に笑ってみせる。
「黒じゃん」
『影の本来の姿は青く、美しい』
そう想うのが、たとえ僕だけであったとしても、自身を厭わない。
気付くはずのない物に出逢えたと考えれば、悪くはない。
人は短い時間に様々なことを想起できるものだ。
その現実に、どれだけの瞬間を無駄に過ごして来たかということも、同時に想い知らされてしまう。
「むこうへ着いたら、賑やかになりそうだな」
始発の快速電車の中で、窓際に座った友人が鞄から飲料を取り出し、笑う。
「ああ。でも、楽しい時間は、あっという間に過ぎるんだろうなあ」
僕達はこれから、ディズニーランドへと赴く。
互いに有給を利用しての、四泊五日の旅行だ。
娯楽に身を預け、戻って来る頃には、再びこの地が身体を癒してくれることだろう。
友人の肩ごしに窓の外を見つめていると、発車のベルが鳴り響いた。
車窓の彼方に映る空は、深く綺麗な静寂色をしている。
それは、ずっと眺めていなければ知り得ることのない、束の間にまどろむ、暁闇だった。
完
浅葱色の刻 孔雀 凌 @kuroesumera
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