~第六章~
勘違いしていた。愛されていると……。
『あき、疲れてないかい?』
『はい!』
物心つく頃には兄に育てられていた私は、兄の言うことが全てだった。兄とは
『おまえは可愛いね』
兄はよくそう言って、私の身なりを気にしていた。それを愛されていると思っていた。けれど違った。与えられる食事も、温かい湯浴みも、ゆくゆく高値で売るための商品の手入れに過ぎなかったのだ。
『そこ、足もとに気を付けて』
お互いに手を繋ぎ細道を歩く。途中、下から吹き上げる突風によろけると兄が言った。
『よく見ないとわからないけど谷があるんだ』
『たに?』
『うん。落ちてしまうとね、死んでしまうんだよ』
死ぬと聞いて兄にしがみついた。初めて直面した谷は今でも忘れない。
『今日は一緒に出かけようか』
兄は優しかったが、共に遊んでくれるような性格ではなかった。たまに見かける親子連れが、手を繋いで歩く光景が羨ましかった。まさか兄から誘って貰えるとは思わなくて私は天にも昇る気持ちになった。手を繋いで一緒に歩ける。夢が叶う。私は迷わず頷いた。その夢の先がどこに向かっているとも知らずに……。
『ちと幼すぎやしないかい?』
『ですが良品でしょう? 顔も悪くない。きっと美人に育ちますよ』
『うーん、確かに。……でもあんた、別に金に困ってる訳じゃあないんだろ? 実の妹を売るのに良心は痛まないのかい?』
『いえまったく。姉たちも同じように売って家計の足しにしていた母を見ていたからでしょうか。おなごはお金に変わる商品としか見られないんですよね。特にこの子は容姿に恵まれた。今までの中でも最高の一品ですよ。姉たちのように安い
連れてこられたところは、とても華美な建物が並んでいた。ここが
『私は前から養子の話が上がってましてね。連れがいると面倒なんですよ。それなら少しでもお金に替えて持参金にした方が合理的でしょう?』
『こういう商売だ。これまでもロクデナシばっか見てきたけど、あんたがダントツだよ』
兄はキョトンとしていた。彼にとって私は物だった。ずっと、ずっと、妹でも人間ですらなかったのだ。
「あんたもあたしを
女将に何度も殴られ、そろそろ痛みも麻痺してきた。女将自ら
(こんな人にかまってる暇はないのに)
女将に捕まってから随分時間を無駄にした。彼女の話が一部本当なら、姉さんと二乃助さんが妓楼から消えたことになる。早く早く、彼らを探さなければ。そんな時、聞き覚えのある声がした。
「やめっ! やめて下さい……!」
頭を抱えられるように庇われたが、ぶっちゃけ触るなと思った。それより手足の縄を切って欲しい。
「木ノ下様!? ここは立ち入り禁止ですよ。いくらあなた様でも……」
「違うんです! 嘘なんです! 全部私のついた嘘なんです……!」
木ノ下さんは泣いていた。まぁ、そんなところだと思っていた。
「え、じゃあ、二乃助さんと桔梗は……?」
「すみません。全ては私の
そこでようやく女将は我に返ったようだ。慌てた様子で中に戻っていった。きっと
「すみませんすみません! 私のせいで! 大丈夫ですか?」
「それよりこの手足のなわをほどいてもらえます?」
「あっ、はい!」
手足が自由になると、肩を回したり跳ねたりしてどこも折れてないことを確かめる。
「傷の手当てをしましょう」
……こいつは馬鹿なのか。ああ、違う。素直なのだ。ただ、素直なだけなのだ。ことの重要さもわからないほどに。
「そんなひまはありません。姉さんたちを探さなければ」
「え? でも嘘ですよ? 女将さんには明かしましたし、今頃楼主さんにも伝わっている筈です。けれど、まさか君が女将さんに怒られるとは思いませんでしたが……」
「……なら姉さんを呼んでみるといいですよ。二乃助さんも」
もう置いていこうと思った。だが何か不穏な気配を察したのか、彼は転がるように女将さんの後を追った。
「いない! 二人ともいない! どうして……!」
門を出て、着物の裾をた
「ろうしゅのねらいは二乃助さんの命です。そして、あの人は二乃助さんをにくんでいます。そこに姉さんが利用されるかのうせいは高い。いっこくも早くふたりを見つけ出さなければいけません」
「命!? そんな! 私はただ……っ」
「ぐだぐだ言ってるひまがあったら手つだってください。私は西にむかうので、あなたは東にむかってください。手おくれになる前にいそぎますよ」
木ノ下さんは泣きながら頷いた。そして同時に駆け出す。出来れば自分に当たって欲しい。彼は見つけたところで何も出来ないと思うから。
(ああ、嫌だな)
――既に手遅れだと
(また、この夢……)
夢はいつも意地悪だった。
夢の中の私は、この先何が起こるか知っていても手が出せない。終わったことなのだ。全て。目が覚める。頬が濡れていた。
島原に移ってから数年が経った。私は十六になり、源氏名も付いた。
遊女あるまじきと言われるかもしれないが、
外を窺う。まだ真っ暗だ。二度寝する気も起らず身体を起こす。そんな時、真夜中には似つかない明るい声がした。
「ねぇ、りょふってあんた?」
ゾクリ、と悪寒を感じた。いつの間に部屋の中に。あきは動揺を胸に秘め、なるべく冷静に返した。
「違います」
「え? 俺、部屋間違えた? うっそー!」
……これまでも何度か暗殺され掛けたことがあったが、主に女郎の手先に。ここまで間抜けな暗殺者は初めてだった。
「ねぇねぇ、あんた! りょふって遊女の部屋知ってる?」
「知ってますよ」
「ほんと? 案内してよ!」
「……構いませんが、少し質問しても宜しいですか?」
「別にそんな丁寧な話し方じゃなくてもいいのに」
「
「え? なんでわかっちゃう? あんた天才?」
……さっさと
「誰の
「あ、それは言えねー」
あきは驚いた。この
「俺の
「なるほど。偉いですね」
「ほんと? えへへ~」
(まぁ私も、別にそこまで
恨みならたくさん買っている。主に女郎たちの。誰が差し金でも不思議ではない。それよりも、この少年の方が気掛かりだった。こんな堂々と
(
なぜ布を被るのに顔を隠さない。何の為の布だ。せめて口元くらい隠せと思う。
慌ただしい足音が近づく気配にあきはやれやれと溜め息をついた。こういうのは
「やっべ、誰か来る!」
あきは立ち上がって少年に近づくと、その両肩を掴んで押し倒した。そして彼を閉じ込めるように両腕を着いて、目を白黒させている少年に言う。
「静かに」
そうしているとすぐに襖が開き、今夜の
「ここに怪しい奴は来ていないか!」
一応遊女の危機に駆け回っているようだ。しかし不寝番の男はあきの体勢を見るや否や襖を閉じた。「失礼した!」とご丁寧に勘違いしたまま。まぁ勘違いさせたのは自分だが。少年に覆いかぶさる様子は誤解されてもおかしくはないし、駄目押しで、消えろと睨みつけておいた。本当に駄目な不寝番だ。私が男と共寝をしないことなんて周知の事実だというのに。まぁいい、手っ取り早く邪魔する者はいなくなった。再び浅く息をついて下を見ると、真っ赤になった少年が涙目でこちらを見上げていた。は?
「お、おおおおおお、俺、そんなつもりなくって! あ、でもこれってお
……キャーって。やめろ。顔を覆うな。お前はどこの
「……何もしませんよ。貴方とゆっくり話が出来なくなると困るので誤魔化しただけです」
「え、そうなの」
「残念な顔をしないで貰えます」
あきは少年から身体を起こすと額を押さえた。頭が痛い。同じく少年も身体を起こす。すっぽり被っていた布は落ち、全体の恰好が露わになる。
「…………貴方、もしかして忍びですか」
「え! なんでわかんの! 実はおねーさんも同業者?」
「浮世絵で見たことある忍びの姿を体現したような恰好していれば誰でも気づきます」
あきは一息で言い切った。
そう、少年の恰好は頭巾こそはしていないが、黒の装束の内側に
「もっと要領よく忍び込めなかったのですか? 客のふりを装うとか」
「あ! その手があったか!」
「……」
「でも俺、そんなにお金持ってないしなぁ」
「……忍び込むのになんで
とっさに少年を庇った己を褒めたい。この子は早死にする。確実に。
「貴方、忍びに向いてないですよ」
「よく言われる!」
そうなのか。言われているのか。あきは思案した。基本他人に冷たいと言われるが、子どもは別だ。……誰かさんの影響をしっかり受けてしまった。
「……貴方の信条は雇い主を裏切らないことでしたね」
「うん? お金貰ってるしね」
「金額を言いなさい。私がその倍払います。そしてそのお金は返して来なさい」
「え?」
「主人の
「え、え、でも、だって、俺のこと忍びに向いてないって……」
「ええ、向いてませんね。すぐに騙されるし駆け引きも下手です。人ひとり殺す気で掛かるならそれなりの覚悟で挑みなさい」
「……なんかおねーさんの方が忍びに向いてそう」
失礼な。一般常識だろう。
「で? 雇われるんですか? それとも私を殺しますか?」
「なんで俺がおねーさんを殺さなきゃなんないの」
「呂布は私だからですよ」
「ええええ! やっぱり俺合ってたんじゃん! なんで嘘つくの!」
「暗殺する相手に名前を確認する人がいますか。貴方がやってるのは明殺ですよ」
「めいさつって初めて聞いた!」
「私も初めて使いましたし、そもそも存在しない言葉なので覚えなくていいです。それよりどうするんです? 私は気が短いんです。さっさと決断して下さい」
「あ、それわかる気がする」
「さて、
「ごめんなさい! 雇われる! 雇われたいです! これからよろしくご主人!」
「……ご主人ですか。一応源氏名でなければあきという名前がありますが、まぁ貴方の好きに呼んで下さい。それで? 貴方の名前は?」
それに対する少年の返答は呆気なかった。
「え? 忍びに名前っているの?」
あきの
「……貴方は今までなんて呼ばれて来たのですか」
少年が唇に人差し指を当て天井を見上げた。
「おい、とか、お前とか?」
「……」
「あ、でも俺、こう見えて結構長生きしてるから悪運小僧とも呼ばれてるよ! これが名前ってやつ?」
あきはどこへ向けていいのかわからない怒りを持て余した。忍びの世界など、遊女の自分が知る訳がない。が、あんまりだ。
(姉さん……)
私の名前を好きだと言ってくれた
「いいでしょう。私がとっておきの名前をつけてあげます。隣に来なさい」
「え?」
あきは寝台の近くに山積みに置かれている本の中から一冊を手に取った。
「今夜は寝かせませんよ」
世の遊女が、というか客がよく使う
「
主人、呂布の為に命を懸けて戦国を駆け抜けた
「私の源氏名が呂布ですし、彼の相棒かつ愛馬の名前にあやかって
「めちゃくちゃ嬉しい! ありがとうご主人! 俺は赤兎! 改めてよろしく!」
少年、赤兎の様子にあきもうんうんと満足そうに頷く。ここに二乃助がいたら頭を叩かれてたに違いない。
「名前は決まりですね。あ、歳はわかります?」
「んーん、数えてねーや」
「まぁそんなとこだと思いましたよ。じゃあ見た目で行きましょうか。ふむ」
ろうそくの灯りをだけだと頼りないが、見た感じだと十三、十四か……。あんまり歳が近いと落ち着かないから十三にしとこう。などとあきが考えていたことを、生涯赤兎は知る
「十三歳はどうです?」
「いいよ! そっか、俺が十三……。すげー、なんだか人間みてぇ」
「人間ですよ」
パチパチと瞬きをする赤兎に向かって、あきは重ねて言った。
「貴方はずっと人間ですよ」
一瞬言葉に詰まった赤兎は、意味を理解したのち
そして翌日。正確に言うとその日の正午。朝方仮眠を取り直していたあきの元へ
「ご主人! お金ちゃんと返して来たよ! そしたら裏切り者って言われちゃってね、これからご主人の味方をするのかって訊くからちゃんとはいって答えて来たよ!」
「……主人を売らないのが信条とか言ってませんでしたっけ?」
「うん! 自慢しただけ!」
「自慢……」
ナニ自慢だ。
「あと、けんせー? てやつ? ご主人に手を出したら殺すよ! って言っといたよ!」
「それは素直にありがとうございます。でも、殺しちゃうと後処理が面倒なのでやめて下さいね」
「あと気になってたんだけどさ、ご主人ってお姉さんがいるの? 俺、挨拶した方がいいかな」
これにはあきは驚いた。島原に移ってから誰も姉さんと呼んだことがない。私の姉さんはあの人だけ。赤兎の言う姉さんとは誰のことだ?
「……どうして私に姉がいると?」
「ん? 昨夜ご主人うなされてたでしょ。その時、ねーさん、ごめんなさいって、あと、にのすけ? だったかな。にのすけさん、馬鹿、とか、嘘つき、とか色々言ってたよー」
「……」
なるほど納得した。納得はいったが……、
「貴方、いつから
「え、だって寝てるとこを殺すなんて卑怯じゃん」
「暗殺の意味わかってます? ああわかってませんでしたね」
正々堂々を
(どうせ
この先うなされる度に寝言を復唱されてもたまらない。
「確かに、私には姉と兄がいました」
まさか彼らの話をすることになるとは。
姉さんと二乃助さんを失ってから、日々心が渇いていくのを感じていた。しかしこの子出逢い、何かが変わった。心配する気持ち、呆れる気持ち、嬉しい気持ち、忘れていた感情ものを思い出した。だからこの子には話してもいいと思えた。いや、聞いて欲しいと思った。彼らを過去にしない為にも。
過去形から語り始めたことで赤兎も察したのだろう。もう会わせてとは言わなかった。
「姉さんは、優しくて、お淑やかで、おまけに美人で、私の自慢の姉でした」
「にのすけは?」
「二乃助さんは大人げなくて、腹は黒いし嘘つきな人でしたね。でもまぁ、優しくもありましたよ」
「あははっ、なんだかにのすけとご主人ってそっくりだね!」
「どこがですか」
というか私のことをそう思っていたのかこの野郎。あきはゴホンと咳払いする。まぁ、嘘つきと腹黒は否定しないけど。私は大人げなくない決して!
「ねぇねぇ続けて」
「それは構いませんが、一度には話しきれませんよ?」
「じゃあさ、今は一個だけ、なんで二人は死んじゃったの?」
――いきなり核心を突くか。
「……なんでそこから聞きたがるんです」
「だってご主人、泣いてたから」
赤兎はなんてことないように言う。
「ご主人を泣かせる奴はみんな俺が殺すよ。だから教えて。誰がご主人を泣かせるの?」
あきは思わず顔を両手で覆った。
「……ご主人?」
きっと手の平の向こうで赤兎は首を傾げていることだろう。唇を噛みしめる。そうしなければ泣いてしまいそうだった。
「……その必要はありません」
そう、もう終わったことなのだ。全て、あの日に。
「
――あの悪夢の日が蘇る。
あの日、
「おまえは!
叫び声を上げる
(絶対に許さない)
姉さんの受けた絶望は計り知れない。待っていて。必ず
「いって! このガキ!」
「追え! あいつを絶対捕まえろ!」
楼主が命じたが、一行は乗り気ではなかった。そもそも金で雇われた分の仕事は終わったのだ。後のことなんて知ったこっちゃない。
「ええ~、もういいじゃないですか。あれがなくても困らないでしょ」
「駄目だ! 絶対に必要なんだ!」
「ならご自分で行かれたらどうです?」
「……っくそ!」
後ろから迫ってくる楼主の気配にあきはほくそ笑む。そうだ。そのまま追ってこい。
半分は賭けだった。何せ三年前に一度通っただけだ。しかし無事目的の場所に着いた時、思わず空を見上げて天に感謝した。もう逃げる必要はない。谷を背に振り返ると、ちょうど楼主も追い付いたところだった。
「それを返せ……!」
互いに息が上がっていた。
「あなたはぜったい追いかけてくると思っていました」
まだ温かい『それ』を胸に掻き抱く。
「これがひつようですもんね」
二乃助さんの首だ。
「早くおっかさまに見せたいのでしょう?」
「……桔梗がどうなってもいいのか」
この
「わたしは取り引きをしたいだけです」
「取り引きだと?」
「二乃助さんの首と姉さんの身のあんぜんを」
「なるほど。いいだろう。それを寄越せば、桔梗はこれまで通り妓楼で飼ってやろう」
「……取り引き、せいりつですね」
こんなものは茶番だ。勝った気になった楼主が近づき首に手を伸ばした瞬間手を離す。当然二乃助の首は地面に転がり落ち、焦った楼主がそれを拾い上げようとした時だ。あきが彼に飛びかかった。
「貴様……!」
相手は大人だが、体勢さえを崩してしまえば勝機はあった。楼主の首にしがみつき谷の方へと導く。――己の身体ごと。
「やめろ! やめないか! 貴様も落ちるぞ!」
「……元からそのつもりです」
子どもの自分が無事に
とうとう引き返せないところまで二人の身体は傾き、互いに空を見上げる形になった時に楼主は悲鳴を上げた。私は
『落ちたら死んでしまうよ』
かつての兄だった者の
(姉さんには木ノ下さんがついてる)
死ぬ気で許しを
(さよなら姉さん……私と二乃助さんは地獄で貴女を見守ります)
ついでに人の約束を破った二乃助さんを殴って来ます。
覚悟はとっくに出来ていた。しかし、
「……っ」
偶然谷底から突風が吹きあがった。身体の小さな私は地上に戻され、楼主ひとりだけが落ちていく。あまりにも突然のことでしばらく呆然と座り込んでいた。ようやく思考が動き出し、すぐ脇に転がる包みを
「人の気もしらないで……」
まったく腹が立つ男だ。
二乃助さんの首を両手に納める。
「私に生きろと言うんですか」
「自分は約束をやぶっておいて」
「うそつき」
「ばか」
大粒の涙が次々とこぼれ落ち、二乃助さんの顔に注がれる。
「……いいですよ。あなたがそこまで言うなら」
生きてやりますよ。
それから野犬に食い荒らされないよう、二乃助さんの首を埋葬した。道具が無かった為随分と時間を食ってしまった。墓標の代わりに大きめの石を置く。悪いが今はこれで勘弁して貰おう。
(姉さん……)
木ノ下さんは無事合流出来たのだろうか。ふと悪寒がした。もし合流出来ていなかったら?
(まさか後を追うなんてこと……)
すれ違いざまに見た姉さんの表情には生気が無かった。嫌な予感が膨らむ。
(姉さん……!)
それから急いで姉さんの元へ戻ったが、既に妓楼に火を放った後だった。それでも
「あぶねーぞ嬢ちゃん」
「じゃまするな!」
丁寧語もかなぐり捨て、あきは掴まれた腕を振り払った。そして燃える妓楼の中へ飛び込んだ。
「姉さん! 姉さんどこですか!」
煙が目に入り生理的な涙が出る。あきの声が届いたのか、叶絵が慌てて駆け付けて来た。
「あき!? どうして入って来たの!」
ああ、生きてた。生きていてくれた。ほっとしたら腰が抜けた。
「あき、外に出れる? 誰かぁ! 誰かこの子を助けて!」
……っ、なんで! 二人とも!
「姉さんまで、おいて行くんですか……」
叶絵は決まり悪そうな顔であきを見た。
「二乃助さんだって、あなたが死ぬのはのぞんでいないはずです!」
姉さんまで失ったら今度こそ生きていけない。
「姉さん!」
「あき、わたくしは許せない人たちがいるの。どうしても」
「ろうしゅですか? ろうしゅはわたしが討ちました! だから!」
私の告白に姉さんが息を呑んだ。しかし一緒に出てくれる気配はない。
「早く出ないと!」
「あき、あの人だけじゃないの」
この時、私は知らなかった。二乃助さんの処刑が、
「あき、わたくしのあき」
大声を出したせいか、徐々に息が出来なくなってきた。早く、姉さんを……。
「あき、大好き。生きて。わたくしたちの分まで」
それが、
その後、木ノ下さんから救出された私は、島原へと移された。楼主は行方不明、同じく二乃助さんの死もあやふやなままとなった。だが女将は今も生きていると信じている。旦那ではなく、二乃助さんが! 最後まで真実に気づかない愚かな
それから五年が経った頃、吉原で姉さんの怨霊が出たという噂が京都まで届いた。
(ああ、姉さん)
貴女はまだ終わってないんですね。苦しいですよね。もう少し待っていて下さい。今度こそ、救い出してみせますから。
私の話を静かに聞いていた赤兎がおもむろに立ち上がった。
「赤兎?」
「その人たちは、俺にとってのご主人だったんだね。うん、そっか」
「もう終わった話ですよ?」
「でも、ご主人は、その
彼は何を言っているのだ? ポカンと見上げていると、赤兎は大人びた顔で口角を上げた。
「情報収集。吉原までひとっ走りして真相を確かめて来るよ」
「え?」
「だってご主人はすぐにここを出られないでしょ? だったら俺を使って。俺、殺しは下手だけど、情報収集はお手のものだよ」
「けどっ」
「言っとくけど、ご主人だからだよ? ご主人がご主人じゃなかったら、俺はここまではしない」
赤兎の言っていることの意味がよくわからなかったが、要は主として慕ってくれているのだろう。
「その顔、全然伝わってないよね。うん。そんな気はしてた」
「え、何がです?」
「んーん、こっちの話」
赤兎は笑った。そして言う。
「絶対二乃助より役に立ってみせるよ」
なぜそこで二乃助さんの名前が出てくるのだ。というか二乃助さんが役に立ったことなどあっただろうか。赤兎の考えてることがさっぱりわからないが、情報を集めてくれることは正直ありがたかった。
「じゃあその、お願いしてもいいですか?」
「まっかせてよ! ご主人の願いは全て叶えるからさ」
「えっと、あ、ありがとうございます?」
はて? とても嬉しいことを言ってくれるが、ここまで慕われる何かがあっただろうか。首をひねるあきに、赤兎は再び意味深に笑った。
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