~第三章~
言い訳に聞こえるだろうが、この時のおれは本当にらしくなかった。普段ならもっと
「そこにおわすのは、二乃助さまでありんすか?」
この問いに、おれは
「うせろクソチビ」
はい。ないよな。知ってる。わかってる。でも後悔は先に立たない訳よ。叔父を殺した翌日だ。ひとりになって気持ちを落ち着かせたかった
「おれは今機嫌が悪ぃんだ。それ以上近づいてみろ。池に落とすぞ」
普通大人からここまで言われたら逃げると思うだろ? おれは思ったし意図的に脅した。そして再び
――ドン。
「え?」
強い力ではなかった。しかし
バシャン!
しばらく
「そこで、あたまをひやしたら、いかがですか」
おい、
遊郭に住む女は、親しい人間以外に
頭は完全に冷えた。物理的に。だが、違う意味で血が
「あんっ、クソチビいいいいいいい!」
あれ? なんでおれ
おれが全身びしょ濡れで震えながら玄関に入ると、偶然そこにいた女将が悲鳴を上げた。あ、やべ。
「二乃助、あんたどうしたんだい」
「いや、寝ぼけて池に落ちちまった。はは……」
まさか
「着替えを持って来るわ。先にあたしの部屋で待ってなさい」
おれは素早く
「……大丈夫よ。
耳元で
「あたしが着替えさせてあげる」
女の顔を向けて来る女将に、二乃助は
自分に気があることは知っている。し、その好意を利用させて貰った手前、
さっそくしだれかかって来る女将に苦笑交じりに笑う。
「
「構わないさ」
「いや、おれが構うんでさぁ。あなたに風邪でも引かれちまったら申し分なくて死んじまう」
「まあ」
まあまあ、と女将は気を良くした。
(う、傷つけないようにあしらったつもりが……)
余計に火を着けてしまったようだ。これ以上
「ええっと、その、着替え、ありがとうごぜぇました」
「いいのよ。困ったことがあったらいつでもあたしを頼りな」
「……はい」
「そういや
「あきのこと? あの子がまた何かしたのかい」
「いや、そういう訳じゃなくて……」
って、あいつ
「少し見かけただけです。その、見ない顔だったもんで」
「そうね。あの子は三日前にうちに来たよ。で、どの
「……大変っスね」
来て早々たらい回しにされる禿って……。いや、あいつならあり
(あき、ねぇ)
カナは知っているだろうか。まぁとにかく着替えるか。このままだと本当に風邪を引く。
「じゃあ女将さん。おれ行きますんで」
「ええ、また今度ね」
「はは……」
まるで逢い引きの約束だ。おれにはまっっったくその気はないんだが……。
(いつか目が覚めてくれりゃあいいんだけど)
そう願いながら妹の部屋に向かう。妹は
「カナ、邪魔するぜ」
「じゃまするなら帰ってください」
「……」
今、確実に
……思い出したらまた腹が立って来た。なんか心配して探してるのが馬鹿らしくなって来たな。そもそも勝手に
(どう考えても
あきも大人になったとは知っている。けれど女ひとりを危険な目に
カナの記憶から造られた建物は生前の妓楼とほとんど同じだ。つまり広い。一階の部屋を見て回り、二階に続く階段を登り切ったところで、ようやく目的の後姿を発見した。
「あき!」
あきが振り返り、
「……その様子だと思い出されたようですね」
「何か
あきの肩に手を掛け、身体ごと向きを変える。
「一度でもいいから
「そこかよ! てかその源氏名やめろ! ぶっ飛び過ぎてんだよ!」
「人の名前にケチつけないで貰えます?」
「テメーの名前じゃねぇだろうが!」
ここで一息つく。落ち着けおれ。こんな話をしに来たんじゃないだろう。
「なぁ、何をそんなに焦ってるんだ? おれが目を覚ますまで待てねぇことか?」
「何のことでしょう」
「舐めるなよ。おまえがひとりで片を付けようとしてんのはわっかんだよ。……おれと似てるからな」
あきは一瞬
「これ以上姉さんの手を汚させたくないんです」
「そこがわからねぇ。おれは起きたばっかなんだ。詳しく説明しろ。なんでカナが怨霊になってやがる。おれはなんでここにいる」
「……貴方、二人から何も聞いていらっしゃらないのですか」
「おまえを追って来たから聞きそびれたんだよ」
「人のせいにしないで貰えます?」
「へーへーごめんなすって。で、話してくれるよな」
「……なら貴方も探すのを手伝って下さい。歩きがてらお話しします」
「誰をだ?」
「楼主です」
「あ~……取りこぼしってあいつのことだったのか。なんて
「本当に。昔殺したと思ったのですがね。脇が甘かったです」
あきの後に続きながら頷いていた二乃助は、そこで、ん? と頷くのをやめた。
「殺した?」
「ええ、崖から落としてやりました。けれど生きていたんですね。かといって
「待て待て待て待て」
二乃助は額を押さえた。なんて?
「……いつのことだよ」
「崖から落とした時のことですか? 貴方が処刑された直後ですね」
「待って待って。おまえその時いくつだ?」
「八つでしたかね」
「……崖から落とした」
「さすがに
「……馬鹿野郎!」
二乃助は淡々と言うあきの両肩を掴んだ。そして前後に揺さぶる。
「下手すりゃおまえが殺されてるとこだ! 危ない真似はすんじゃねぇ!」
「家族を殺されたら!」
あきも負けじと言い返す。
「
あきは二乃助の
「貴方、昔言いましたよね。私のことを、家族だって。私には姉さんと貴方しかいなかった。貴方が殺されたと聞いて、
「……っ」
あきの立場に立って考えてみる。想像の中のおれはどうやっても男をぶっ殺していた。そうだ、こいつはおれに似てるんだった。
胸倉を掴む手をそのままに、彼女の背に腕を回し閉じ込める。あきは抵抗しなかった。
「最低です。貴方なんて。勝手に死んで……大っ嫌いです」
「ああ」
「……嘘かもしれません……」
「ああ」
泣き方も知らない、不器用なおれのもうひとりの
「すまねぇ。おまえをひとりにしちまって」
「まったくですよ」
清々しいほどの
「私言いましたよね? 楼主の部屋で怪しい本を見つけたから身を
十年前、あきが言った。怪しい本といった中身は、過去行われて来た様々な処刑法が書かれていた。誰に使うかなんて
『ろうしゅはあなたを殺すきかいをうかがっています。くれぐれも気をつけて』
そしてそう釘を刺されていた。だのにこの
「あの二発目の
「それ以外何がありますか」
わかった。全面的におれが悪い。平手打ちで済んだことが
「悪かった」
「……いいですよもう。姉さんに謝って貰えれば」
「……」
「まさか、謝っていないと?」
「謝った! けどすぐわからなかったことに対してだった気がする……」
「チッ、まぁ起き抜けで混乱もあったのでしょう。次会ったら死ぬほど謝って下さい」
「はい! ってか、もう死んでんだけど」
「人の
「いや違ぇ! つかよ? こうして普通に話してっけど、おれ、幽霊ってやつだよな?
逃げまとう奴らに必死に話しかけた。無視されていると思っていたが、そもそも
「……まさか、おまえらも幽霊とかそんなんじゃねぇよな?」
「だったら私が全員残らず祟り殺してるところですよ」
「だよなー」
目が本気だった。
「そもそも姉さんは甘いです! ただ悪夢を見せるだけなんて! 私なら現実世界で貴方と同じ目に
「お、落ち着け……って、おれと同じ目? おまえ、おれがどう殺されたのか知ってんのか?」
あの時、あの場にいたのか? あの光景を見たのか……?
顔から血の気が引くのを自覚した。
「あき」
そんなまさか。あきの両肩に手を置く。
「……いえ、直接見た訳ではありません。けれど予想は付きますよ。あの本の中身を見ずして渡すとでも? それに、だからこそ、姉さんの気持ちもわかるんです。大切な家族を
あきはそこで言葉を切った。
「あき? おまえ、もしかして具合でも悪ぃのか?」
胸を押さえて俯くあきの頬は真っ白だった。もともと色白な奴だが、よく見ると目の下に
「なんでもありませんよ」
「なんでもねーことないだろ! おい! カナたちのところに戻るぞ。少しでも横になれ」
「そんな暇……っ」
あきは何度か深呼吸を繰り返しておれを仰ぎ見た。決して折れないとその
「……次、おれが我慢できねぇと思ったら担ぐからな」
「そのような失態は犯しませんよ」
ほんっと! こいつは!
(昔から可愛げの欠片もなかった奴だが
綺麗には、まぁ、なったんじゃねぇの? 身内の
「……」
「なんで急に離れるんですか」
「あ、いや……」
年頃の娘とこの至近距離はどうだろう。いや、こいつは妹みてーなもんだけど。やべ、変に意識したら止まらなくなった。
「で、デカくなったなって!」
「十年ですよ?
「そりゃそうだけど!」
おまえに
「そもそもおまえって壮碁と仲悪かった筈だろ! だのになんで一緒にいんだよ!」
わかってる。自分でも
「今は仲が良さそうに見えました?」
「いやまったく!」
そういやこいつ、かんざしで刺し殺そうとしてたわ。
「そうだ! 髪! いつまで下ろしてんだ。かんざしはどこやった? おれが結ってやるから貸せ」
「ああ、貴方に手を掴まれた時に落としてそのままですね。姉さんたちのところにあると思いますよ」
落とすなよ! おれのせいか!
「どうでもいいじゃないですか髪くらい」
「よくねーよ!」
思わず叫ぶとあきがポカンとしていた。……しまった。気まずさを隠すように右手で顔を覆う。
「普通、遊女が髪を下ろすのは
もっと詳しく言えば、どうでもいい客には見せない。それこそ
「はしたないって言いたいんですか?」
「……そこまで言ってねぇよ」
ただ、こう、面白くねぇ。けれど、そんなこと言えるか!
「はいはい。後でちゃんと結いますよ。まったく、たまに厳しいところは相変わらずですね」
「お、おう」
どうやら普通に注意と捉えられてしまった。いや、いいんだけどよ……。
「んじゃまぁ、じじいの捜索を開始すっか。で? おれが死んだ後どうなったんだ? おまえ頭いいだろ。簡潔に説明してくれや」
「もうっ、注文が多い人ですね。まぁ私も急いでるので異は唱えませんが」
言って歩き出すあきの後を追う。
「まずは
言いながら、あきは近くの部屋の襖を開ける。そこに
「ああ知ってる。直接訊いた訳じゃねぇが、壮碁とカナが話してんのを偶然聞いた」
カナがそこで死んだとも……。
「楼主を殺した後でした。姉さんが火を着けて
「おまえが謝ることじゃねーだろ」
「いえ、目を離した私のせいです。復讐しか考えてなかった。そのせいでまた家族を失った……」
小さい身体で火の中に飛び込んだのだろう。すぐに想像できて胸が苦しくなった。おれが、生きていれば――。
「続けます。見世を失った私たち妓女や禿は、
「京都のか?」
「ええ、物理的に離されました。おかげで身動きが取れなくなりましたよ。姉さんの噂を聞いた時もまだ
二乃助は
「私が大変な思いをしたとか今思いました?」
「人の心を読むな妖怪」
あきは猫のような目を細めてハッ鼻で笑う。
「暇人たちに付き合ってあげるほど、私は優しくありませんよ」
まぁ何もない筈がないよな。言葉も文化も違う子どもがいきなり入って来るんだ。おまけに顔も整っている。女の美に対する
「まぁ気にすんな。女の
「嫉妬? ああ、あれが嫉妬だったのですね。貴方は、散々私が自分と似ているとおっしゃいますが、ひとつだけ違います。私はやられたらその場でやり返します。我慢なんてしません」
「……ちなみに何された?」
「そうですねぇ……あ、晴れ着を切り裂かれたりした時は、犯人の
「よりによっておまえ、そこを
「本人より効くでしょう? おかげで私は新しい着物をあつらえましたが、その
「でしょうね!」
「せっかく気を利かせて男からお金を出させたのに面倒でした」
「おまえわかっててやってるだろ!」
「まぁちゃんと責任取って仲を取り持ちましたよ。それ以来、私に手を出そうなんて考える
「おまえに助けなんていらなかったな……」
カナ、おまえと一緒にして悪かった。と心の中で謝る。
「それから私は、吉原に戻る為に情報を集めました」
「吉原の?」
「そんな簡単なのは集めると言いませんよ。
「ごめん。待って。意味がわからない」
「貴方が亡くなってから、しばらくして幕府が
「……平家物語について熱く語ったんじゃないのかよ」
「それもありましたが、こっちもあったということです。嘘は言ってません」
あきはしれっと答えた。あ、なんだか先の展開が読めた。
「情報を売ってたのか」
「おかげで
「おまっ、いや、生きてるならいい。まったく、危ない橋を渡ってくれる」
「ちゃんと
まったく可哀想と思ってない顔であきが言う。
……こいつを主に持つとか、
「つまり、身は島原に置いているけど、今回吉原に来たってことで合ってるか?」
「ええ、やっと許可が下りたので、その
「は? 下見?」
「最後に見たのは十年前でしたから、荒れ放題だと思っていたんですけどね。想像していた状態よりずっと綺麗でした。きっと木ノ下さんでしょうね。これから更に綺麗にして、新しい
「誰が?」
「私以外、誰がいますか」
どうしよう。目の前に、おれの常識をことごとく
おれは
「おまえが
「ええ、近々そうなりますね。まだ妓楼の名前は決めかねているのですが。まぁそれは置いといて。そうして姉さんの墓参りを
あきは次々と
「昔、彼とは約束ごとがありましてね。その約束を果たそうとしたら突然景色が変わって、気がつけば焼けた筈の
「カナか」
「ええ、姉さんが現れて、一生懸命私を止めようとしてましたよ。姉さんに
あ、今最初と
「壮碁としたっつー約束はあえて訊かねぇけど、おまえらは、おれがいることに驚いてなかったよな」
「そりゃいるでしょう」
「なんでだよ!」
「貴方が姉さんを置いて先に
「……」
何も言えなかった。
最後の襖を開け放ったあきが、不機嫌そうに振り返った。
「いない。どうやら今は起きているのかもしれません」
「どういう意味だ?」
「あいつは私らと違って生身じゃないんですよ。あいつにとってここは夢の世界。起きたら現実に帰ります。まぁ帰ったところで
「もし自害したら?」
「それこそ姉さんの
相変わらず無茶を言う。
「おまえらはどうなるんだ?」
「さぁ? その時になってみないとわかりません」
あきがわからないと言うのは珍しかった。少し引っ掛かったが、その時が来たら全てわかるだろうと自身を納得させる。
「とりあえず
そう言ってあきが
「待て!」
おれはその腕を掴んだ。戻る前に聞いておきたかった。
「おれは確かに
「知っています。貴方は死ぬ直前までそういうことを考える人ですから」
「おれは、なんでここにいる?」
「私は貴方ではないので。でも予想の範囲内でならこうじゃないですか。未練が強くて成仏できず、フラフラしてるところを姉さんに拾われた、と」
「人を
「それか、姉さんの強い
「罪悪感?」
「貴方を
「そんな訳あるか! だいたいあれはおれが……」
「ええ、そんな訳ないんですよ。だって、貴方、わざと見せつけてましたからね」
バレてた。
「ああ怒っていませんよ。私は私で、裏でいじめてましたから」
「おまえもかよ!」
「最後には姉さんと幸せになるんですから、少しくらいいじめたっていいじゃないですか。貴方も、そう思っていたのでしょう?」
押し黙る。まったくその通りだ。壮碁から足抜けを手伝って欲しいと頼まれた時は腹をくくった。これでカナとお別れか、と。
「好きな奴と過ごすのが一番いいかと思った。だからあの話に乗った。けどまさか」
「姉さんは貴方を取ったというより、純粋に心配したんでしょうけどね。まさかそれがきっかけになるとは。一応私たちなりに
「……本当にな……」
本気で別れさせるつもりはなかった。あいつらには幸せになって欲しかった。これが
「……おまえらだけがおれを
きっと意識の問題だろう。あきと壮碁の中ではおれがいて当然だと思っていた。いないと思っていたら視えない。そんなとこだろう。
そしておれがなぜ二十歳と思い込んでいたのか。これもなんとなくわかった。怖かったのだ。怨霊にカナの気配を感じた時、おれ自身がその事実を封印したのだろう。記憶と、カナの顔を同時に。馬鹿なことをした。そのせいでカナがどれほど傷ついたことか。……そういや、
「おまえ、『拒絶』って呟いてたな。知ってたのか。あの時に
「聞こえてらしたんですね。ええ、貴方が姉さんの顔が見えないとおっしゃった時にですけど。きっと現実を受け入れたくないんだろうなと思いました。この甘ちゃんが」
「もっと優しくして。てか、何もかも知った上であの態度って人としてどうよ?」
「失礼な。優しくしてたじゃありませんか。無理やり現実を
あきの『懐かしい』に二十五歳のおれが反応したのか。ん? 待て、何か言い忘れてるような……。
「ああ! おま! あ、あぶあぶ、危ねぇだろ! 大の男の
「怒るか心配するかどっちかにして頂けません? 大丈夫ですよ。小さい頃の私と一緒にしないで下さい。貴方くらい支えてみせますよ。貴方が
「つまり巨漢だったら見捨ててた訳だな。おまえのその冷静なところ本当に尊敬するわ」
もちろん
「……おまえさ、おれと初めて
「ああ、人のことをクソチビ言って下さったあの時ですか。覚えてますが何か?」
う……胃が、あの時のおれ、どうしてくれる。
「あれは、その、」
「大丈夫ですよ。誰だって虫の居所が悪い時があります。例え初対面で暴言を吐かれたって仕方ありません。昔のことをとやかく言うつもりはありませんよ」
言ってる! 今まさに言ってる!
「確かにあの時は言えない事情があった、けど! 普通池に落とすか! あのあと熱出したんだぞおれは!」
「馬鹿じゃないと証明されて良かったですね」
ああ言えばこう言う!
そういやあの後どうなったか途中だったな。まぁきっとおたくらの想像通りだ。
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