DO NOT SHOOT!

孔雀 凌

ある日、刑務所が崩壊した。刑務官から一日限りの自由を与えられた佐竹は、故郷を目指す。


「撮るなよ?」

賑わう繁華街の中央で、佐竹は不愉快な表情を露にした途端、自分を捕らえようとするカメラレンズに左手を翳して遮った。

その薬指には梨地仕上げを施した結婚指輪と想われる物が一つと、どこから仕入れたか分からない玩具の様な分厚い銀の指輪が人差し指を飾っている。

「っと。やべ」

薄汚れた作業着を纏う佐竹は、一瞬後ずさりをして、覆い隠していたレンズから手を離すと、擦り傷だらけの手足を隠す様にして姿を消し去った。

ここ十五年足らずの年月が、身辺をすっかり変えてしまったという現実を、佐竹は嫌というほど味わっていた。

それだけではない。

街全体の有り様も、彼にとっては随分と変わり果てた物になっていたのだ。

繁華街を抜け切る時、人通りがほとんど見られない路地裏で、もう一人の自分を、佐竹は見る。

陽の当たることのない薄暗く、すすれた外壁にかろうじて留まる一枚の古ぼけたポスター。

かつて、世間を騒がせたメンズ界の一流モデルだった、若かりし頃の佐竹の姿がそこにはあった。






「行け」

倒壊した刑務所の瓦礫の傍らで、看守が放った言葉は佐竹の記憶に新しい。

ほんの、十二時間前の出来事である。

自然が引き起こす地震ですら、たやすく崩壊することなど滅多にない、頑丈な造りの刑務所をこっぱみじんに壊滅させたのはテロによる規模の大きな爆発だった。

一部の囚人は四方へ逃れ、また一部の者は再び捕らえられ、拘束された。

だが、大半はその場で息絶えた。

佐竹は、逃げようとはしなかった。

解放された、眼前に拡がる縛りのない空間を眺めても、邪心は芽生えなかったのだ。

自分は身柄を拘束されているという真実を、痛いほど知っているのだろう。

「生き別れた、息子のことを考えているのか?」

看守は瓦礫の片隅でうずくまる、佐竹の背に小さく問いかける。

「考えたって仕方ねえよ。逢いに行けないんだから」

差し出された、刑務官の右腕にすがりつき、佐竹は擦り傷に覆われた全身を彼に預けた。

両側から監視通路に挟まれた、独房からは決して覗くことの出来なかった外界の景色も、今は手が届きそうなくらいに間近にあるのに、佐竹の眼は死んだ鳥の様に生気がなく、未来も見据えてはいない。

まるで、形のない足枷が彼を苦しめている様だった。






「逢わせてやる。ただし、一日限りだ」

看守の予想もしない言動に、足元のバランスを崩した佐竹は、立て直そうと爪先に力を込める。

胸元から、錆びた懐中時計を取り出した看守は佐竹にそれを握らせる。

「逢わせてやると言っているんだ。

お前は殺人鬼じゃない。

だが、二十四時間以内には必ず戻って来るんだ。

私の責任問題も問われるからな。

いいか。

どこにいようが、お前は逃げられない。

はやく行け! じきに、マスコミが騒ぎ出す。

身動きが取れなくなるぞ」






背中を押されてから既に、十二時間が経過していた。

窃盗と強盗を何度も重ねていた佐竹は、入出所を繰り返している。

一度も息子に逢いに行けず、今更でもある行動に彼は後ろめたさも感じていた。

ただ、走り出した身体は止まらない。

崩壊した刑務所から自宅までは約十四キロ。

傷を負った身体にとって、その距離は容易い物ではなかった。

やがて、懐かしい家路に辿り着き、佐竹の心はゆるやかな空気に包まれていた。

昔と変わらずにそこにある光景。

妻と出逢って、幸せに暮らしていた長屋。

けれど、そこには誰もいなかった。

人の気配すら感じさせない。

固く施錠された窓や扉を前に、佐竹は肩を落とした。






深く、沈み始めた夕陽が郊外線の駅前に現れた佐竹を優しく迎えた。

もう、時間がない。

佐竹は懐中時計を握り締める。

改札口の近くに一人の男がいる。

あの時、俺を撮ろうとしていた青年だ。

佐竹は気付いた。

「もう一度、写真を撮らせてもらえませんか?」

カメラを手にした青年が佐竹に問う。

初めて見る、男の笑顔。

懐かしい様な、愛しい様な感覚に佐竹は襲われた。

「僕の父が、僕がまだ生まれる前に、モデルの仕事をしていたんです。

あなたはどこか、父に似ている気がして。

父はもう、亡くなっているんですけどね」

「亡くなった……?」

「はい。幼い頃、母から、そう聞かされました。

骨もなく、現実味はありませんが。

僕はずっと長い間、海外に住んでいて、先日帰国したばかりなんです」

佐竹は男から目を逸らせずにいた。

褪せた記憶を佐竹は夢中で手繰り寄せた。

そうして、頭で考えるよりもはやく、彼は青年の襟口を掴んで、着飾ったシャツをはだくと、胸元にある物を見つけた。

ホクロだ。

男の胸にはホクロが三つ並んでいる。

唯一、記憶していた、我が子のしるし。

忘れもしない。

「どうされました?」

青年の言葉に、佐竹は無言で首を振る。

その表情はどこか清々しい。

「あの、写真を」

正面に翳されたレンズを透かさず右手で覆って、佐竹は悪戯に笑って見せた。

「撮るなよ!」









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