探偵は脚を漫画のように回転させる

 そうだよ。

 シックが乗ってるのはピストレーサー。つまり、構造は競輪選手が競輪場で乗るのと同じ。

 加納さんは競輪で大負けした日に限ってやたらとウンチクをたれてくる。

 素人のアタシに向かって。


緋糸ひいとちゃーん、競輪選手は日々鍛錬を怠らないんだよ。なのに俺の一世一代の重要レースの時ばっかり練習の成果を出し惜しみするんだよ〜』

『なら、加納さんが競輪選手になったらどうですか?』

『え!? 俺? 無理無理!』

『やってみないとわかりませんよ』

『緋糸ちゃ〜ん。競輪選手はずっとペダルを漕いでないといけないんだよー』

『仕事ですもんね』

『そうじゃないよ。下り坂でも漕いでないといけないんだよ〜。なぜかというとね・・・』


 そうだった!

 アタシ、なんとしてもシックを下り坂に行かせなきゃ!

 あの下りならスピードに乗って、そしたら・・・


 とアタシが目論んでると直進は赤で行けず、左右どちらかというアタシの思惑通りの展開となったよ。

 けど、シックは重心が右へ行こうっていう方向に傾きかけてる。


 そうだよね。乗ってる本人がそんな基本的なこと知らない訳ないもんね。


 でも、右へは行かせないよ!


「えいっ!」


 アタシは桜花おうかみたいな可愛らしい掛け声を出して、外した星型サングラスを手裏剣のように投げた。

 20mは離れてたと思うけど・・・


「わっ!」


 シックの右頬を掠めて、カチャ、とアスファルトに落ちた。一瞬だけシックが躊躇したその間に右折車が何台も連なって曲がり、シックの行く手を遮った。


「ちっ」


 舌打ちする唇の動きが見えて、シックはやむなく左折した。


 ただ、シックはスピードをコントロールし、やや緩めに下り始めた。


「あっ! アタシを振り切れる程度のスピードに抑えるつもりだね。コラー! 全力で漕げー!」


 アタシの声が聞こえてるかどうかはわかんないけど、シックは慎重に下ってる。


 ならば、アタシが全体力を使い果たすとしたらこの場面しかない。

 それは必ず起こるから!


 アタシは下り坂を徐々にスピードを上げてシックを追う。

 アタシのそのプレッシャーにシックも仕方なくスピードを上げる。

 アタシはもう転げ落ちてもいいぐらいのスピードまで持って行こうとしている。


「ああ。この坂、ちょっと怖いな、走って下りるの」


 通常のスピードを超えた分、風もまた勢いを増す。


 アタシの足が、どんどん速くなる。

 どんなに視線をまっすぐに一定させようとしてもつんのめって転げ落ちそうな勢いだ。


 それでもビビっているわけにいかない。なんとかしてシックを捕まえないと。


 シックのペダルを踏む動きもどんどん速くなる。ほぼ目で終えないぐらいの回転域に入ってきているようだ。


 アタシはとうとう自分の脚を、ストロークというよりは、漫画でよくあるあの『ぐるぐるぐるっ』と足元が見えなくなって脚が回転で渦を巻いているようなあの状態になった時、


 ガッキイン!


 やった。

 ついに来た!


 音と同時にシックを見るとペダルを踏んだまま前方に一回転する勢いがついていた。


 そうなのだ。

 ピストレーサーはペダルを漕ぎ続けていないと車輪が回らないのだ。

 逆もしかりでペダルが止まっている時は、車輪も止まる。

 直前までどんなに高速のペダリングをしていたとしても。


「ああっ!」


 シックはピストレーサーに乗ったまま宙を舞っていた。

 下り坂でペダルを漕げば漕ぐほどスピードは上がり、ペダルを漕ぐ早さが坂道の落下エネルギーに及ばなくなったところでとうとうペダルの動きが止まり、ガキン、と急停止してその反動で宙を舞っている訳だ。


 ズザザザ、と勢いと坂道の急傾斜とで道路に倒れ込んでいる。


 アタシはその衝撃での怪我は深甚で、応急措置が必要だと思ってシックに近寄った。


 けど、シックは、その事故の状況では有り得ない反応を示した。


 立って、アタシに攻撃してきたんだ。


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