探偵は RUN & RUN
「
田代さんから声を掛けられて、はっ、とした。
「お姉ちゃん! あそこ!」
桜花が指差すとシックはクレーン車の脇に立て掛けてある自転車を引っ張り起こしていた。
シックのツイッターアカウントで見たあれは、ギアチェンジの無いピストレーサーのはずだ。サブカル女子のアイテムとして推奨し、自らも実用していると書いていた。
なんでこのタイミングで? とアタシは思考をやや躊躇した時、
「緋糸! 『小説発表を早めたその時間にクレーンが直撃した』この状況証拠だけで見切り推理だ! シックがテロリストだ!」
ぽかん、としかかったアタシにもう一声来た。
「緋糸クン!」
「王子様!」
見ると王子様は車から脱出したその場所でうつ伏せになったまま、腹ばいで足をズリズリと引きずっている。立つのも無理そうだ。そのままの姿勢でアタシに怒鳴りつけた。
「走れっ! 緋糸クン!」
「は、はいっ!」
アタシは駆け出した。
シックは立ち漕ぎでピストレーサーのペダルを無理矢理に踏み込み、クン、クン、と加速させていく。とにかくスピードに乗られる前になんとか追いつこうとアタシは全力疾走した。
『も・・・少し・・・』
そう思ってモチベーションが上がった瞬間、シックは体を左右に振って更に力を込めた。
「わ。ダンシングしてる!」
そのままペダリングがスムースになって行く。加速し、スピードに乗り始められてしまった。
幹線道路はしばらく道なりで直線が続く。シックは車道の路肩部分を走り始めた。アタシも路肩を走る。追い抜いていく車が怖いけど、アタシはさっき振り子の先の鉄の塊で即死させられる子たちを見てしまっている。
ここでシックを逃したらアタシは彼女たちの霊に毎夜苛まれるだろうことを恐れ、死ぬ気で足を動かした。そして、手も後方に、肩甲骨が捻じ切れるぐらいに反動をつけて後方に振り上げ、その振り子運動をエネルギーに変換して足へと連動させ、とにかくシューズのつま先を1cmでも先のアスファルトに着地させ、着地させたそばからもう片方の膝で軸となる足を追い越させ、ハサミが、ジャキン、と空間を挟むようなスピードと連続運動とで前方への推進力を得ようとし、実際に得た!
路肩と通過する車両の間で窮屈に走るシックは思ったよりもスピードが伸びず、再び立ち漕ぎに戻る。アタシは足の筋肉のダルさを感じたけど、ハムストリングスごと、つまりより大きな部位の筋肉を動かしてランニングのパワーを得ようとした。パワーをそのまま前方へのエネルギーにすべて転換し尽くせばスピードが生まれる。
「はっ!」
アタシは中学校の体育祭のリレーで陸上部だからという理由でアンカーを任された田沼くんが最後のコーナーで発し、そのまま1組の子を抜き去って2組が優勝した時のその気合の声を発してみた。
思った通り瞬間的に効果があり、遅れずについて行けてる。
異様な光景だとは思う。
絵に描いたようなサブカル女子のスタイルでピストレーサーを鬼気迫る表情で走らせるシック。
少し離れ、サブカル女子もどきの出で立ちでやはり死の一歩手前のような深甚な表情で陸上部ばりのフォームでもって追随するアタシ。
この姿を見て、犯罪者を民間人が追いかける風景だと誰も認識しないことは間違いないだろう。
そしてアタシはパトカーが一台も来てくれないことも仕方のないこととして許容している。
なぜならばビッグサイトにおける現在の状況は間違いなくこの国のテロ史上最悪の名を冠せられる惨劇となっており、被害者の救助と現場の収拾に全力を注がなくてはならず、仮に王子様たちがシックとアタシのチェイスを報告したとしても動き出しにはもう少し時間がかかるだろうことを把握していたからだ。
ただ、疲れる!
お尻とハムストリングスの付け根の筋肉が固まって引きちぎれそうだ。
そして、なによりも肺が苦しい!
スピードとしてはフレッシュな状態の最高速度を全く達成できてはいないけれども、心肺の運動としては全力疾走をかれこれ3km近くはしてきており、ゼハッ、ゼハッ、と苦しみのさなかにあるのだ。
『登り道になれば、シックもスピードが落ちるかな・・・』
そう縋るように考えたけど、傾斜が緩くシックはそのままのスピード。アタシは逆に徐々に足が重くなっていく。
ようやく交差点が見えてきた。
これだけの交通量ならばいくらなんでも信号無視をすることはできないだろう。信号で引っ掛かれば停止してアタシに追いつかれたくない以上、左折か右折をするはずだ。
右折するとその先は平坦。
左折するとその先は・・・下り坂だ!
ダメだ! 左折させたらそのまま下って完全に振り切られてしまう。
かと言って右で平坦な道を行かれてもアタシが疲れるか足をつった時点でジ・エンドだ。
ああ。加納さ〜ん。
早くパトカーこっちに寄こしてよー。
ん?
加納さんって言えば。
確か、競輪で大負けしたとか言ってたよね!
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