第4話

「黒井会長……」

「メェちゃ……ん」

 そこに居たのは兄の夏芽なつめ。初めに翔利を生徒会に引き入れた張本人だ。

「元中等部会長な。で、弓削? 何か言う事は」

 どういうわけか夏芽は、高等部に在籍する現在でもその上下関係を誇示する。

「来校者書類の管理が甘かった。管理棟も封鎖すれば良かった。何もかも詰めが甘かった」

 俯きながら悔しそうな翔利を夏芽はじっと見つめていた。

「一番守りたかったのに、一番最初に触れたヤツがあんな奴らだなんて」

 怒りと苦い後悔が混じる苦しそうな翔利の言葉に、こちらまで締め付けられるような胸苦しさを感じる。

「そこの彼女と付き合ってるんだろう?」

「え?」

 突然の夏芽の言葉にキョトンとした翔利は、それが初めて聞く言葉の様な驚き方をしている。

 そんな翔利に珍しくフワリと夏芽が笑んだ。

「高等部にまで届いてる噂も知らないなんて、お前、余裕なさすぎだ」

 そうしてそのまま、くしゃりと翔利の頭を撫でて、緩く小突く。

「文化祭準備で多忙を極めていたんだろうけどな。周りの声も聞こえなければ、周囲なんて見えてこない。大事なものも守れない」

 そうしてゆっくり頭を下げる。

 驚きに固まる翔利に「ありがとう」と。

「陽芽を助けてくれてありがとう。よくやった」

 そう言って、ニヤリと表現したくなるような意地の悪い顔で笑む。

「認めてやる、翔利」

 昔、生徒会に引き入れる前に呼んでいた名前で翔利を呼んだ。

「マジで? やった!」

 二人の会話が見えないで、ボンヤリと二人を眺めていたら、振り向いた翔利と目が合った。

 その表情が、僅かに緊張を帯びる。

「これで、やっと伝えられる」

 いつかの様に、光が差したような満面の笑み。

「陽芽、好きだ」

 どこまでも真っ直ぐな言葉は疑いようもない告白。

 ――ドクリ――。

 一つ大きく鳴ったまま止まった。

 いつもはうるさいほどに響いてくる、自身の鼓動が聴こえてこない。

 これはいったいどういう事だろう。翔利は涼花ちゃんと付き合っているのではなかったのだろうか。

「陽芽?」

 ボンヤリと眺めるだけしか出来ない私を、翔利が少し心配そうに覗いてくる。

 その瞳は、やっぱり優しくて、温かくて。自分じゃない彼女ひとに似合っていると思ってしまう。

 パタタと小さな走り出す音に、振り向くと涼花ちゃんの後ろ姿が目に入った。

「涼花ちゃん……?」

 混乱した思考がまとまらない。

「翔利の彼女は涼花ちゃんじゃないの?」

 誰もが認める、お似合いの二人。

「いや、だから、ソレ何だよ? 初めて聞いたんだけど」

 苦い顔で心底、不快そうな翔利に戸惑いしかない。

「少し前から噂になってて、翔利も否定しなかったから、本当の事なんだって皆が……」

「はぁ? そんなんデマに決まってんだろ? 誰だよ」

 憤る翔利を余所に、なんとなく分かる気がした。夏芽を見ると小さく頷いている。

 たった今、走り去って行った小さな背中。

 誰しも、振り向いてもらいたい相手が傍に居れば、そのチャンスに必死になる。

 想いが大きくなればなるほど、頑張れる事も多いけれど、その想いに溺れて、心が弱くなることもある。

「オレには陽芽が居るのに」

 世話を焼かれる自分じゃなくて、自分で立って翔利と並ぶ事が出来る、涼花ちゃんのような人になりたい。そう思った。けれど、今はまだ実現できていなくて。

「それじゃ、ずっと“黒い姫”の御付だよ」

「だから、ソレな! 陽芽、それどういう意味か本当に理解してないだろ」

 再び怒り出した翔利に、今度は明らかに夏芽が噴き出した。

「陽ぃ、何で自分が“姫”って言われてるか分かってないだろ」

「ただのからかいでしょ?」

 当然とばかりに返した私の目の前で、夏芽は心底楽しそうに笑い、翔利は頭を抱え蹲る。

「やっぱり! 美人過ぎて近寄れねぇだよ。その上“鉄壁の守り”もあるわ、本人が一番、のほほんとしていて危機感ないわで、男どもは話す事すら出来ないって、どれだけ泣きつかれるか」

 言われている半分も分からない。いや、自分の認識とズレ過ぎていて、理解が出来ないのだ。

「翔利は、普通じゃない」

 いつも傍に居たのに、容姿を褒められことも、性格を指摘されたこともない。

「それこそ、“鉄壁の守り”を突破すべく、努力したからだろうっ」

 力説するような強さで、「分かれよ」と訴えられても、信じられない思いで見遣る事しか出来ない。

「鉄壁って……」

「このオレだろうな」

 フンっと鼻先で笑いながら夏芽が言った。

「分かってて緩めてくれない、その感じ」

 その焦れたような翔利の表情が、どことなく情けなくて可愛いと思う。

「オレに向かってこれないようなヤツが、この陽ぃを守れるわけがないだろう」

 もしかしなくても過保護な二人に、ずっと守られていたのは知って居た。

「メェちゃんは、お兄ちゃんだから」

「後は任せたからな、翔利」

 私の言葉には応えず、翔利にだけそう言って夏芽は帰っていく。



「ちょっと落ち着て話そう」

 そう言った翔利の提案で、再び管理棟最上階。

 いつもは一人で居る、空に浮かんだようなこの空間で、翔利と二人きりの不思議。

「翔利は変われない私で良いの?」

「陽芽は変わったよ」

 私は“私”を変えられない。そう宣言したのに、ポツリと翔利は寂しそうに呟いた。

「いつからか、オレや夏芽さんを頼らなくなった」

「……え?」

 どこか遠い瞳で翔利は大きな窓の外を見遣る。

「誰に何を言われても“自分”は“自分”と思っているだろう」

 たった今、心に思った事を言い当てられ、小さく心臓が跳ねた。

「真っ直ぐに上げる顔は……本当に」

 緊張を孕む空気に、コクリと鳴った音はどちらのものか。

「――“姫”って名前が――似合ってた」

 差し込んでくる光は何時しか金色を含み始めている。

「“黒薔薇姫”は男子の憧れ。“黒い姫”は女子のやっかみ」

 遠くから聞こえる、文化祭終了告げる校内放送。

「そのどれにも、陽芽は毅然として……というより、言われて当然みたいに顔を上げていた」

「それは、だって……」

 いつも傍には、人目を集める翔利や夏芽がいたからで。本当に、当然で。

「それは、違う。俯かなかった陽芽は、本当に強い」

 反論しようとしたら、ゆるく首を振って否定された。

「どちらにしても、陽芽に向けられる視線は良いものばかりじゃない」

 ピカピカの夕日が辺りの空を染めていく。

「だから、夏芽さんと約束した。陽芽を守れるようになるから……って」

 私も、翔利も染まっていく。

「生徒会に入って“力”を手に入れた。他のヤツらの動きも聞き取れるように、常に見回った」

 翔利のひと言ひと言に、治まっていたはずの鼓動が騒ぎ出す。

 ――とくん、とくん、とくん。

 温かく響く音が大きくなりすぎて、翔利にまで聞こえてしまいそうだ。

「全部、オレが陽芽の似合いになりたかったから。お前の隣りに居て、恥ずかしくない男になりたかったから」

 翔利の声に

――ドキっ――

 と、跳ねて。

――ッックン――

 と、鼓動が止まった。

 ハタタと頬を伝う、温かな温度に。

「ふっ」

 と呼吸が戻る。

 その瞬間、窓の外で夕日の光をキラリと含んだ大きな翼が翻る。

 二人して見遣った先には大きな黒いカラスが夕焼けの中に光を纏って消えて行った。

「黒い色は何色にも染まらないと思っていたけれど、光の色には染まるんだね」

 呟いた言葉に、隣で見ていた翔利が微笑んで、流れたままになっていた涙を、ぎこちなく拭ってくれた。

「陽芽が好きだ」

 その笑顔は優しい光。恋しい光。

 光は陽芽にとって、翔利への想いそのものだ。

「翔利が……好き」

 ようやく伝えられた想いに。繫がった想いに互いに手を取り。


 そして、キラキラと光り舞う中、唇を重ねた。



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そして 恋になった 露月 絃結 @tuyutukiiyuu

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