第2話

――隣りに立つには、何が必要でしたか?

 問いかけた瞬間、翔利が答える様に視線を上げた。とっさに屈み込み姿を隠してしまったけれど、きっと見つかった。

 案の定、ポケットのスマホが震え出す。

 少し眺めて切れるのを待ってみたけれど、一向に諦める様子はない。

「こうなったら、こっちが折れるしかないんだよね」

 通話にスライドして、無言でスマホを耳に当てた。

「……」

『何で隠れンだよ? 陽芽』

 少し低く、あまり機嫌の良さそうではない声に、ジリジリとした想いが焦げ付く。

『何か言えよ』

 翔利の声が耳に直接流れ込んで来るたび、一拍ずつ鼓動が大きく速くなって、全身を震わせる。そんな私を翔利は知らない。

『おぉい、陽芽?』

 翔利の呼びかけと共に『ね、翔利くん。あと、ここの確認』と涼花ちゃんの少し張った声が聞こえてくる。

『風間さん、少し待って。ゴメンね』

 涼花ちゃんに謝る、自分に対するものとは明らかに違う柔らかい声。更に黙っていると、フッと小さく息を吐き出す音が聞こえた。

『ってなワケで、オレ、今すっげぇ忙しいんだけど』

 どこか不貞腐れた物言いに、「翔利」と呟いた。

『何だよ』

 聞き取れるかどうかの呼びかけに、さらに少し尖った声が返ってきた。これが“彼女”と“友人”との差かな。

 そう思い当たって、キュウと絞られる胸の奥の感覚を無視した。

「……お疲れ様」

『あ、それは少し癒された』

 ふっと力の抜けた笑いが零れた気がしたけれど、今のは涼花ちゃんに聞かれて良いものじゃないと思う。

「そんな事、彼女を横にして言って良いの」

『は? 彼女?』

 心底不思議そうな翔利の反応。

『翔利くん“黒い姫”より、今は生徒会の――』

 意識をこちらから逸らそうとした涼花ちゃんの言葉に、『ねぇ』と、聞いた事も無い程低い翔利の声が聞こえた。

『何なのソレ。“黒い姫”ってさ、風間さんまで陽芽をそんな風に呼んでるのかよ』

 明らかにその場が凍り付いているのが、小さな機械を通してもこちらにまで伝わってくる。

 呼ばれ慣れたその名に翔利がそれほど怒りを露わにするとは、当の本人すら思わなかったのだから、そこに居る誰しもが思っていなかったのだろう。

 シンと張り詰める空気に、祭りで賑わっていた周囲の喧騒も遠い。

「翔利、あの」

 その反応に戸惑っていると、普段は滅多に人の来ないこの場所に、数人の気配が廊下を渡ってきているのが分かった。

「迷ったぁ」

「はぁ? ここどこだよ」

「マジで」

 気怠そうな物言いは、あまりガラの良い印象は受けない。案の定、捉えた姿は三人の私服姿の男子で、おそらく招待客の他校生だった。

「うっわ! スッゲ美人が居る」

 その中の一人がこちらに気付いて寄ってくる。

「……え?」

 誰の事を言っているのかも分からず、廊下に座り込んで翔利と話している姿のまま固まってしまった。

「マジで、君、美人だねぇ。ちょっとさ、俺たち案内してくんない?」

「あ、ソレ、イィわ! ついでに打ち上げでカラオケ行こ」

「お前、打ち上げってってココの生徒じゃねぇじゃん」

 ゲラゲラと品の悪い笑いを上げて、勝手にこちらの行動を決めてしまう。

「はい、立って、立って」

 スマホを持ったままの腕を掴まれて、引っ張り立たされる。

『陽芽?』

 こちらの様子に気付いたのか、微かに翔利の声が聞こえた気がしたが、確かめるにも腕を取られていて、スマホは男の顔の横だ。

 ――ドクン。と、感じたことのない嫌な気配に、まるで意識を持たない人形の様に体が動かない。

「いやぁ、それにしても、マジでスタイルも良いし、美人だねぇキミ」

「中学生じゃ通らないね」

 立たされて、それこそ上から下まで舐める様に視線を這わされる。

「あぁ、この子じゃね? “黒薔薇姫”!」

 初めて聞く言葉の連続に混乱した思考が、更に体の自由を奪っていくのだけは自覚出来た。

「マジでか! 俺らラッキーがすぎるっ」

「案内してよ、俺らココがどこかも分かんねぇし」

 ズルズルと数歩引きずられた時だった。

『陽芽っ!』

 スマホから先ほどとは比べものにならない怒声が聴こえた。

「えぇ? なに? 男と話してたんだ」

「ゴメンね、そこの彼。黒薔薇姫ちゃんちょっと借りるよ」

 勝手に答え通話を切ると、男のジャケットのポケットへとスマホは没収された。

「はい、じゃ行こうねぇ」

「出来るだけ、人気のない教室とかが良いなぁ」

 いびつに歪められた口元から漏れる笑みに、全身がゾワリと震える。

「お前、何考えてんのかダダ漏れで引くわ」

「えぇ? 案内頼んでるだけじゃん」

 立ち上がらされたおかげで再び見る事になった階下では、翔利がもの凄い速さで走り出したところだった。

 騒然となっているのは数人の生徒会役員だろう。何かを指示しながら、翔利の後を追うように走り出している者もいる。

 そんな中、涼花ちゃんだけが呆然と立ち尽くしていた。

 管理棟最上階の入口は少し特殊で、決まった階の一番端からしか入る事が出来ない。

 だからこそ、普段は人が来ないのだけれども、それは何か問題が起きたとしても人目に付きにくいという事でもある。

(ダメだ。このまま、翔利が助けに来てくれるのを待ってる状況なんて)

 状況を悪くしたのは自分。逃げるチャンスはきっといっぱいあった。放心している場合じゃなかった。

 でも、今さら後悔しても遅いから。考えろ。

 まずは人目につく場所に移動しないといけない。生徒会長の翔利より、招待客の方が優位だ。他の目がないところで翔利と彼らが事を起こしてしまったら、言いがかりをつけられたとしても言い訳が立たない。

「陽芽、オレ生徒会長になるからさ、いつも人の目に晒される事になる。たださ、それが有利に働くって事もあるから」

 いつか翔利が言った事があった。

 翔利なりの“何か”考えがあってそれを決めたのだろうとしか思っていなかったけれど。

(こんな時、翔利だったら)

 ――どうする?


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